Ⅱ 怪盗からの予告状

 パリーシスの真ん中を流れるセイン川……その下流、街路樹の植る美しい大通りも、その道沿いに並ぶ瀟洒な高層建築物も見られなくなる街の郊外に、川の真ん中の中州に建つアラキ城という古城がある。


 中世に建てられた王都防衛のための城砦で、現在は時代の変化によってその役目を終え、金持ちの貴族に払い下げられて邸宅として使われている。


 だが、川の中州にあるので住むにも不便であり、無骨な石造りの特に綺麗でもないその城を購入した物好きというのが、ナジャン・ド・カオリン男爵だ。


 もとは高利貸しをしていた人物で、男爵の地位も金で買ったものであるが、このナジャン、ある時から古美術収集にドハマりし、防犯も兼ねたコレクシオンの保管庫として、この城を安値で買い取ると美術品ともども引き篭もったのであった。


 その冷たく無機質な石壁で囲まれた城の内部には、古代イスカンドリア帝国期の壺や彫像に、フランクル王家にまつわる宝飾品、それに古典回帰運動リグレッシォネ以前の名画の数々など、多くの古美術品が人々の目に触れることく、好事家の老人一人を楽しませるために納められている……。


 ま、住むには不便だが、城へ侵入するには河岸から延びる石橋が一本しかなく、もともとが堅牢な城砦でもあるために、確かに防犯の面では最適の物件ということもできよう。


 ところが、そんな城住まいのナジャン男爵のもとへ、かの怪盗紳士から犯行予告状が届いたのである。


 その予告状というのは以下の通りだ。



 拝啓。親愛なるナジャン・ド・カオリン男爵。


 貴殿の住まわれるアラキ城には、貴殿の御心を悩ませている財宝の数々が不幸にも溜め込まれているとの由。

 それではいつ盗まれるかと心配で、夜もおちおち眠れないことでしょう。

かくなる上は、不肖、この私めが貴殿を悩ませている財宝のすべてをお預かりすることと致しました。

 なに、御礼には及びません。私の善意をどうか遠慮なくお受けとりください。

 それでは、一週間後の夜にお伺いいたしますので、それまでしばしお待ちいただきたく存じあげそうろう


 貴殿の良き理解者アルベール・ド・ラパン



 無論、封筒と便箋には彼のウサギの紋章が黒インクで印刷されている。


「なんと太々しい! 盗人風情が言うにことかいて……慇懃無礼いんぎんぶれいとはまさにこのことだ!」


 今朝見ると城の門扉に挟まっていたと、執事が持って来たその手紙を目にしたナジャン男爵は、激しい怒りに痩せこけた顔を真っ赤にする。


 だが、その怒りよりもむしろ、より強い恐怖の感情の方が勝っていたと言っていい。


 なにせ、相手はあのアルベール・ド・ラパンなのだ。これまでに彼の予告を受けて盗まれずにすんだものはない……長い年月と莫大な資金を注ぎ込んで集めた、命よりも大切なコレクシオンが消え去ることを想像すると、もう居ても立ってもいられない。


 そこで、ナジャンは久々に城を出てパリーシス中心部の官公庁街へ赴くと、衛兵隊本部内にある捜査部の事務室を訪れた。


 その道・・・のプロ、ゼニアール捜査部長を頼るためである。


「──どうか、お力をお貸しください! 御礼ならいくらでもいたします!」


 応接のテーブル越しに目の前に座る、カーキ色のシルク製ジュストコール(※ロングジャケット)にやはりカーキ色の羽根付き帽を被った初老の男性に、ナジャン男爵は頭を下げて懇願する。


 両手の指には宝石付きの指輪を幾つも嵌め、首にも金銀細工のネックレスをかけた小金持ち感たっぷりの装いであるが、その衛兵らしからぬ装飾品に反して眼光は鋭く、衛兵の内でも犯罪捜査を専門に受け持つ玄人なのだ。


「なに、御礼など必要ありません。頼まれずともそれが我々の責務ですから。いやむしろ、このような機会を与えてくださった神にはたいへん感謝です。よろこんでヤツめらを捕らえに参りましょう」


 しかもこのゼニアール、ずっと出し抜かれてきたこともあって、アルベールの逮捕には執念を燃やしている。


「なんと頼もしいお言葉! いやあ、わざわざ城を抜け出して来た甲斐がありましたわい」


「では、さっそく捜査を始めましょう。おい! 人を集めてくれ! パリーシス中に捜査網を張るぞ!」


 その快い返事にナジャンもようやく笑顔を取り戻し、おもむろに立ち上がったゼニアールは部下達に檄を飛ばすと、すぐさま自分達の仕事に取りかかった──。

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