2:13 喪失
テロ発生から一週間が経った。
月面基地や基地02、インシピットは徐々に機能を取り戻してきてた。
テロリスト二名もバックアップから仮想体が無事再生され、隔離部屋にて彼らに対する拷も……、もとい、尋問が続いている。
例の覚醒シグナルも有効に活用してるそうだ。あれなら痛みを感じるだけで実害はないしねえ。なんて
虐待してるって? いえいえ、同じものはわたしも毎朝食らってるので、あれを虐待と定義してしまうと、わたしも虐待されていることになってしまいます。そんな事実はないので、あれは虐待ではないのです。
さらには、仮想体の脳から記憶を抽出する方法なども用いられてる。といっても、バイナリーデータから直接目に見える形で記憶を引き出すのは、解析がものすごく難しくて時間もかかる。そこで、キーワードなどからイメージを連想させて、その時の脳神経の反応を読み取って画像化する技術を応用したものを使ってるんだそうだ。
前頭葉の働きを弱めるなどといった、少々口にするのも憚られる手段も併用してるとか。
これによってプライバシー含めて、記憶がいろいろと曝け出される。まあ、あんま関係ないところまで穿り出すようなことは、無駄に手間となるだけなのでやらないそうだけど。
こわいねー。
人権てものを最重要視するマイヤール事業部長が盛大に顔をしかめてたけど、テロリストの権利なんかより、こいつらがまだ何か企んでないか調べるほうがよほど重要だろう。
ここでは地球の条約も各国の憲法も適用されないし、悠長に裁判していられるような余力もない。いつかはそういう法整備をきちんとしなきゃいけないけどね。それは今じゃない。
まあ、そんな形で取り調べが進んでるんだけども。
これまでわかったことは、どうやら実質的な主犯格は中国系アメリカ人のアンソニー・ウォンだったらしい。言い出しっぺはシンプソンだったけれど、奴には爆弾を作るような技術はなかった。その辺をウォンがいろいろお膳立てして、誘導していたようだ。
今のところ、他に共犯者は見つかっていない。
動機については、シンプソンは単純に狂信者だからだったけれど、ウォンは宗教関係じゃなかった。宗教はあくまでシンプソンのような狂信者を選別して、近づくためのツールでしかなかった。
ウォンは『平行宇宙研究開発プロジェクト』、そして後の開拓団に対する妨害工作を中国政府から指示されていたという。
そんなことして何の意味があるのか理解に苦しむけど、彼が自供したところでは、中国は平行宇宙の独占を目論んでいたらしい。
例の、中国が盗んだ技術で自前の平行宇宙を創ろうとしてたって噂、あれは真実なんだそうで。平行宇宙は中国だけが保有すべきとかぬかして、他は邪魔だからと、足を引っ張ってポシャらせようと画策していたという。
実際、ウォンは工作員の養成機関で爆破などの破壊工作や
これまた血管があったらブチ切れそうな、ひどい話である。
人類滅亡となった今になってもまだそんな指示が有効だった、というのも驚きだけど、ウォンにとってはそこは関係ないらしい。どんだけ情勢が変わろうとも、奴はひたすら中国政府から与えられた命令を律儀に守ることだけを信条としていたそーで。
狂ってるとしか言いようがなく、狂信者と大差ないだろう。
もっとも、動機については当人の自供のみで、物証は今のところ見つかっていない。なので、信憑性としては微妙なとこではあるんだけどねえ。でも個人的には、あの国ならやりかねないかなーという気がしないでもない。共産主義なうえに、中華思想で覇権主義に邁進してたハタ迷惑な国だったし。ゾンビ・アポカリプスであそこももう消滅してるだろうから、もはやどうでもいいことだけれど。
まあ、動機や真相がなんであれ、奴らがテロをやらかした事実は揺らがない。
この自供のため、もう一人の中国系アメリカ人や、中国と関わりのあった団員らに対しても取調べが行われることになった。そっちはもっと穏当な取調べになる予定だけれど。
正直なとこ、かなりうんざりしてはいる。ほんと胸糞の悪い話だわ。取調べが終わったら、とっとと執行してもらったほうがいいのかもしれない。
*
インシピット村の中央に設けられた広場に、団員が整列していた。開拓団のほぼ全員だ。ほとんどはハイラスだけど、他の基地に勤務してる人などは臨時に設けられた
わたしはホムンクルスで参列している。染料とか作ってないので、喪服じゃなくただ真っ白いだけのシンプルなワンピース姿だ。
これから、亡くなった胎児七人の葬儀が始まる。
既存宗教を排除してるとはいえ、何らかの形で死者を弔う必要はあった。それで、宗教色を極力排除した形で執り行うのだけども、初めてのことであり、機材や手順など含めて多少の混乱もあった。いずれ必要になるのは確定してたけども、こんなに早く行うことになるとは誰も予想してなかったし。
妊娠一五週目相当で、名前も与えられることなく亡くなった
そして、司令が壇上に上がった。
「この子らは、産まれることなく、悪意によって未来の可能性を絶たれてしまった。極めて残念であり、悲しいことだ。
死した後、彼らの魂がどうなるのか、あるいは魂というものが実在するのか、我々は知りえない。しかし、もしあるのなら、どうか安らかであってほしい。
ただし、我々はそれを
亡くなった者のことを、我々は決して忘れない。そうしながらも、踏み留まることなく前に進む。それが我々の死者を悼むやり方であり、この世界における『
今日ここに、我々はそう誓う」
そのスピーチは『神』との決別を意味していた。誓うのは『神』に対してではなく、わたしら自身に対してだ。
事件が起きた理由についてはもう周知されている。『神』に依存した者がいた結果がこれだ。
『神』には二度と頼らない。そういう誓いだった。
「黙祷!」
号令の下、全員が黙祷した。それは何かに祈るのではなく、ただ亡くなった者を想うというものだった。
その後、棺は臨時で用意された魔導炉に入れられた。まだ未成熟なのもあって、骨は形を残さなかった。
灰はセラミック製の容器に入れられ、インシピット村の端に埋められた。上にはシンプルな石柱が墓石として置かれた。
わたしたちはこの名もなき子供たちのことを決して忘れない。
*
葬儀の後、司令や各部長・副部長、その他重要部門の責任者らが集まって、報告会が開かれた。場所は基地02の仮想空間会議室。
わたしもホムンクルス担当ってことで呼ばれていた。
被害状況と、復旧具合などが順番に報告されていく。
インシピット村については、まず外壁の修復が終わり、中に入り込んでいた小型恐竜などの捕獲も終わった。パワープラントも建物の壁はまだ作業中だけど、エネルギー供給は復旧してる。
一方、被害の大きかった診療所については、デリケートな機材も多く、未だ復旧できていない。最低限、人工子宮九個についてはどうにか安定稼働させるところまでいったけども、クリーンルームも崩壊していて、埃や雑菌などが入らないか不安が大きかった。
最悪、診療所は建て直したほうが早いとなるかもしれない。
基地02についてはデータセンターが被害を受けていたけれど、だいたい七割方まで機能を回復してるそうだ。元々サーバーがモジュール化されていて、入れ替え自体はそれほどかからなかったらしい。とりあえず、こうして仮想空間の会議室を用意できるくらいにはなっている。
ただ、それでも完全復旧に至っていないというのは、月面基地との絡みがあったからだ。
「問題は月面基地です。サーバー群やバックアップなども含めて、ほぼ全壊でした。とりあえず、予備の機材をかき集めてようやく五割復旧というところです。あくまで、ハードウェアの機能面に限れば、ですが」
砂田さんが月面基地の状況を説明した。
ハードウェアは時間をかければ復旧は可能だという。けど、問題はハードじゃなかった。
「最終的に、データの損失はどのくらいになりますか?」
「バックアップ区画までかなり融けてしまいましたからね。ざっと見積もって、サルベージ可能なのは一割にも満たないかと」
デュボア副司令の問いに、砂田さんはそう答えた。
データが喪失した。
これが目下最大の、そして開拓団の今後を左右するほどの重大問題だった。
失われたのは、仮想体のデータから、地球から持ってきた科学知識、農作物の遺伝子データ、そして、新人類の素となる遺伝子データなど。
副司令を始めとして、当時月面基地で作業をしていた仮想体の人は消失してしまっていた。けれど、仮想体のデータは、全員がどこかのタイミングでニューホーツ上の開発基地に転送しており、そこのバックアップから復旧できたので、さほど問題にはならない。
差分となる最新の
科学知識については、一部は開発基地側でダウンロードして使ってたり、機械学習AIが知識を整理する際に使ったデータがキャッシュに残ってるかもしれないので、それらからいくらかは取り戻せる可能性があった。
しかし、遺伝子データの喪失は極めて重大な問題だった。
試験農場や食糧プラントで基本的な農作物が実体化していたけれど、それは全体からみればほんのごく一部だった。最低限の食生活は可能だけれど、それ以上は望めない。
そして、最大の問題が新人類の遺伝子データだった。
現状で残っている新人類の遺伝子は、
あと、仮想体はスキャン時に遺伝子データも記録しているけれど、そっちは月面基地のサーバーと共に失われてる。ホムンクルスの製造時に使った遺伝子データはあるけれど、三体分では焼け石に水だった。
そこから文明社会を築けるほどの人口を達成するのはかなり厳しい。あまりにも初期の個体数が少なすぎて、人口を増やそうにも数世代後には近親交配となる可能性が高い。そうなれば、遺伝疾患が起こりやすくなるのは想像に難くない。
無理にやれば、かなりの苦難を伴うだろう。
会議室は重苦しい沈黙に包まれた。
正直なとこ、詰んでる気がしないでもない。原因を作ったテロリストどもを絞め殺したくなる。
「……ラクシャマナン。既存の遺伝子を編集して、新たにヒトの遺伝子配列を作り出すことは可能か?」
司令が沈黙を破って、先生に聞いた。
「まったく現実的ではないのう。手作業でやるのはまず無理で、やるとしたら、AIでランダムな変異を繰り返しシミュレーションさせることになるかのう。じゃが、仮想体用のプロセッサを使っても膨大な時間がかかるじゃろうし、まともに育つ組み合わせを見つけるのも大変じゃろう」
「そうか……」
さすがに、厳しいか。
また、仮にそうした手法で新たな遺伝子を作り出せたとして、それを人類と呼べるかというと、どうなんだろう。エルフやドワーフとか作り出せたら……なんて考えたことがないわけじゃないけども。
これは別の方法を考えないとダメだね。
「砂田さん、こっちに持ってきたデータって、元は地球側から送ってきたんですよね」
ふと思ったことを聞いてみた。
「ああ、それは俺も考えたけどね。ミラーリングで地球側のサーバーにも同じデータは残ってるはずなんだけど、残念ながらあちらのデータサーバーは停止したままだし、オペレーターももう生きてはいないだろう」
「そうですか……」
発電所からの電力の供給が絶たれて、施設が稼働していないそうだ。今更ながら、地球側の協力が得られないというのが、重くのしかかってくる。
しかし、司令がふと思いついたようで、発言した。
「いや、待て。あちらの拠点には自家発電施設もあったはずだ」
「ですが、それを動かせる人間はもう……」
「あちらには試作型のドローンが何種類か造られてなかったか?」
「なるほど。たしか、型は古いですが、太陽光発電で充電しながら待機状態のままだったものもあったと思います。試作型だけでなく、実際に業務で運用していたものもあったはず。電波は送れるので、それらにリモートで接続して動かせれば……」
地球側のドローンを操って、自家発電施設を動かし、サーバーを起動する。そうすれば、あとは通信でやりとりできる。
「ドローンで複雑な作業をこなすわけですね。となれば、操縦するのは……」
副司令の呟きで、室内にいた全員の目が、一斉にわたしを向いた。
「……へ? わたし?」
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