2:07 胎児
七月に入った。
最高気温が25℃を超える夏日もあったけど、湿度はそんなに高くはないので、わりとすごしやすい。雨はそこそこ降るけど、梅雨のようなぐずつく天気はないので、日本とはだいぶ気候が違うみたいだ。
試験農場はほとんど緑で覆われている。区画ごとに小麦、大豆、じゃがいも、とうもろこしといった作物が植えられてる。一部ではトマトや南瓜、玉ねぎなども少量ながら栽培している。
家畜たちも元気だ。鶏は有精卵を産んで、そのうち二羽を孵化させたので、ちょっとだけ賑やかになってる。
そんな頃合だ。
「そういえば、新人類の子たちはどうなってるんです?」
ふと、いつもの検診の折に、興味本位でラクシャマナン先生に聞いてみた。合成がスタートしたのは聞いてたけど、進捗状況とかは特にチェックしてなかった。
「一六人全員、人工子宮の中ですくすく育っておるよ。普通の妊婦さんで言えば、だいたい妊娠八週目というところじゃな」
「へぇ」
「見てみるかね?」
「見ます見ます」
せっかくだから第九班の他の人たちも誘って、わたしたちは胎児見学に行った。
先生に案内された場所は、診療所の入った建物の三階。一応、内部はクリーンルームになっているということで、ホムンクルスのわたしは簡易防護服で全身を包んだうえ、全員入り口のエアロックでガスっぽいのを噴霧されてから入室した。
「ここが養育部屋、通称『ハイヴ』じゃな。そこに並んどるシリンダーが人工子宮じゃ」
窓はないけど明るい部屋の中では、直径50cm、高さ1mほどの円筒形の透明な容器が左右の壁に一〇個ずつ、ずらっと並んでいた。ホムンクルスを造っていたのよりはずっと小さい。
そのうちの一六個が人工羊水で満たされていて、よく見るとその中にちっちゃな生命が浮かんでいた。
「……っ」
思わず息を呑んだ。
それを見たときの感情というのは、なんと表現したらいいんだろう。
赤ちゃんならかわいいけど、この段階だと正直、かわいらしくは……ない、と思う。ホムンクルスほどのグロテスクさはないけど。
なんというか、あまりにも未成熟で、恐ろしいまでに弱々しく脆そうで、近寄りがたい感じで、かわいいかどうかと思う前に、見てはいけないものを見てるような気がした。しいて言えば、『
わたしには経験がないけども、自分のお腹の中にこんなにもか弱そうな生命がいたら、ほんのちょっとしたことでも喪われてしまいそうで、もうそれだけでビビって動けなくなりそう。
昔、保健の授業で胎児の成長過程の写真を見たことはあったけど、こうして生で見るのは初めてだ。
大きさは一〇円玉くらいか。ちっちゃいけど、すでに頭と胴体があって、手足っぽいものができあがってる。顔には目らしいものもあった。
お腹からはへその緒らしきものが伸びていて、円筒の上面に設置されてる丸いお皿みたいなのにつながってた。あれが胎盤代わりなのかしらん。
「へぇ、こんな感じなんだねぇ」
「妊娠八週目というと、そろそろ悪阻が始まるくらいの頃かしら」
生前に出産経験のあるルクレツィアさんとミュリエルさんは、わりと冷静に見てるみたいだった。
一方、七海ちゃんとマギーの若年組はというと、
「すごい……学校で習ってはいましたけど、まさに生命の神秘……」
「お腹の中デ、これが赤ん坊のサイズに育つのネ……」
わたしと似たり寄ったりの感想のようだった。
「いつ頃、『出産』となるんですか?」
「順調にいけば、来年二月頃になるかのう」
「おぉぉ……」
ようやく、この世界に人類が生まれる。
そして、次の世代に取り掛かるのは五年後。それまでの間、わたしたちはこの第一世代の子たちの育児に専念して経験値を上げる。その後は、順次合成して人口を増やしていく予定。
いずれは第一世代やその後に続く子たちも、結婚して子供を産んだりするようになっていくんだろうけどね。ただ、あくまで子供たちの意思を尊重するので、わたしのように非モテ系な子とか出てきたりするかもしれないけど。
将来、この子たちはどんな人間に育つんだろう。
子育てというと、やっぱりいろいろ不安は大きい。
反抗期だとか、思春期の悩みだとか。そういうのに、どうやって対処したもんかねえ。
あるいは、ケンカだとかイジメとか。人間、どうしたって気に入る気に入らないってのは出てくるだろうし、子供のうちなら、尚更だ。
人数少ないうちは目が行き届いてるから、危なそうだったら介入できるけれど、人数が増えていったら難しいかもしれない。
欧米の映画とかドラマとかだと、子供同士でそこまでやるか? ってくらい、日本人の常識からはちょっと信じられないほど過激で荒んだ描写がバンバン出てくる。ああいうのって、どのくらいまで現実が反映されてるものなんだろう。現実のあちらの大人の所業を聞くに、あながちフィクションだからとは言い切れないかな~という気もするんだけど。
いや、日本でだって深刻なイジメ問題が起きたりするけど、あちらの荒れ具合というのは少々次元が違うと思うのだ。
中南米とか、中東、アフリカあたりになると、もっととんでもない状況だったりするし。
根っからの日本人であるわたしとしては、ああいうのが当たり前という風には育ってほしくないかな。ゆる~く大らかなのが一番かと。
思うに、常識とか、文化的な差異は大きいんじゃないだろうか。
あと、宗教ね。善悪の基準を全部
幸いと言っていいのか、ニューホーツは常識も文化も宗教もすべてリセットされた状態だ。ここでどういう常識が根付くかは、わたしたち次第でもある。
残念ながら、マイヤール部長が進めている計画だとその辺はまったく考慮されてない。彼らの文化と宗教が標準だと思ってるらしい。というか、それ以外の文化圏は意識すらしていなさそう。
ホムンクルスは子供らと接する機会が一番多くなるはずなんで、そこでどうにかしたいとは思ってる。
しかし、相手はナマの人間のことだしねえ。そうそう簡単に、こちらが思い描いたようにはいかないんだろうな、とも思う。
いつの時代も、一番厄介なのは人間、って相場が決まってるしね。
まあ、今から心配しててもしょうがないんだけど。
願わくば、子供たちには泣いたり笑ったりしながら、「普通」の人生を送ってほしいな。早くに死んでしまったわたしとしては、余計にそう思う。
わたしらはそのための環境づくりをがんばんなきゃね。
*
【
Jul.2 19:30
チャールズは日没とともに本日の作業を終え、ホーム空間に戻った。ホームの間取りや内装は実家の屋敷を模したものとなっており、そこで彼はくつろいでいた。
そこに来訪者を知らせる脳内ダイアログが浮かんだ。
〔アンソニー・ウォンから入室要請が出ています〕
了承すると、玄関ホールに三〇歳前後とみられるアジア系男性が転送されてきた。
「やあ、チャールズ」
「ああ、トニー。入ってくれ」
チャールズはトニーを応接間へと迎え入れた。今のところ、ホーム空間のプライバシーは保たれており、秘密の会話をするのに都合が良かった。
技術部所属のアンソニー(トニー)・ウォンは中国系アメリカ人だ。
中国は初期の『平行宇宙研究開発プロジェクト』に参加していたが、地球時間で数年前に脱退している。開拓団にも、国としては加わっていない。三六七名いる団員のうち、中国系はアメリカ国籍を持つ二名のみで、トニーはその内の一人となる。
噂では、中国はプロジェクトから平行宇宙創造の技術を盗み出して、自前の平行宇宙を造ろうとしていたのではないか、などと囁かれている。
脱退の少し前に、米国でプロジェクトに従事していた中国人研究者がスパイ行為でFBIに摘発されたことが噂の発端だった。
摘発そのものは事実だったが、それ以外は何か具体的な証拠が公表されたわけではない。憶測に過ぎず、公式には『よくある陰謀論のひとつ』として片付けられた。そして今となっては真相は闇の中、というより平行宇宙の向こう側だった。
ただ、そうした噂があったためか、プロジェクト内や開拓団においても中国系に冷ややかな目を向ける者は少なくなかった。
チャールズも噂を信じている一人だった。しかし、開拓団内少数の有志による『聖書研究会』なる非公然の集まりでトニーと知り合い、彼が普遍派に属するとされる教会の敬虔な信者だとわかってから、次第に打ち解けてきた。
チャールズの両親は福音派だったが、チャールズ本人は宗派の違いなどまったく気にしなかった。そもそも宗派云々以前に、それぞれどう違うのかさえほとんど知らないのだ。
トニーは博識で、神についても詳しかった。彼から電子版の聖書もコピーさせてもらっている。
まじめに信仰に向き合ってこなかったことを悔いているチャールズは、尊敬と、多少の嫉妬を感じながら彼の言葉に耳を傾けた。
彼なら大丈夫だろうと、心の内で目論んでいたことを明かし、神の鉄槌をどう下すかについても話すようになった。
「トニー、基地に保管されてるモノではダメなのか?」
「いくら警戒が薄いとはいえ、さすがにまとまって紛失すれば発覚してしまうでしょう。ここは辛抱強く、地道に用意するよりありません」
「しかし、急がないと、アレらは随分育ってきてるぞ? 仮想体ならともかく、あの形のものを手にかけるのは……」
「大丈夫です。アレらは生命ではありません。神が創ったモノではないのです。滅ぼしたところで、中絶にも殺人にもあたりません」
「そ、そうか……そうだったな……」
「見た目に惑わされてはなりません。また、そういうモノだからこそ、滅ぼさねばならないのです」
「ああ……」
「心配せずとも、恐らくは来月中には実行できるでしょう。そうすれば、アレらがシリンダーから這い出てくることはなくなります」
「それならいいが……」
表情こそ穏やかながら、トニーの言うことはチャールズ以上に過激なものだった。
「マイヤールを巻き込めないのか? 信仰心は強いようだが」
「やめたほうがいいでしょう。彼女はあまり思慮深い人間ではなさそうです。部分的な協力くらいなら大丈夫でしょうが、直接的に計画に引きこめば恐らく足を引っ張られるでしょう」
「なるほど」
彼らの間でも、マイヤール女史の評価はさんざんだった。
その後、彼らはプランについても検討していった。
「IEDは開発基地02とインシピットの
「それだとホムンクルスがそのままじゃないか?」
「IEDでも、一度に全部というのは無理です。ですから、ここで騒ぎを起こして、地上の人員がそちらの対応に手一杯になってる間に、本命を月から持ってくるのがいいんじゃないでしょうか」
「そうか。
「まず、ここで造ったモノは月に運ぶ手段がありません。それに、あそこの施設はほとんどが真空ですからね。衝撃が伝わりにくいんで、通常のモノでは充分な効果が得られない恐れがあります。ですので、魔導具を使いましょう。火属性で、溜め込んだ魔素で一気に熱を放出するモノをあちらで組み立てます。核兵器並みとまではいきませんが、重要区画を融解させられるくらいの熱量を発生させられるはずです」
「俺は魔導具のことはさっぱりわからんぞ」
「魔導具や起爆装置などは私にお任せください。チャールズは引き続き肥料に使われる硝酸アンモニウムの確保、お願いしますね」
「ああ、そちらのほうは大丈夫だ。俺の立場なら、肥料関係はどうとでも入手できる」
チャールズには爆薬の知識はまるでない。そのため、彼が発案したことではあるが、実質的にはトニーの主導となっていた。しかし、トニーの言葉選びが巧みなせいか、彼には誘導されているという意識はまったくなかった。
技術部にいるだけあって、トニーは技術に詳しい。何より、神のことをよく知っている。疑う理由などなかった。
代表的な爆薬の化学的な組成や大雑把な製法などは、サーバーに蓄えられた地球の知識を漁ればそれなりに出てくる。しかし、テロリストが
いくら技術部の人間だからといって、コンピュータソフトウェアが専門であるはずのトニーがそうしたノウハウを持ってるというのは、些か奇妙な話ではある。しかし、チャールズはそのことに気がついていなかった。
「いつにする?」
「月面基地は月に一度定期点検があるので、仕掛けるのはその後が良いでしょう。今からだと、来月下旬くらいですかね」
こうして、計画は着々と進行していった。
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