2:04 はじまりの村での一日

 ピピピピ、と目覚ましの電子音が鳴った。……ような気がする。


「んぼぉ゛ぇ~~……………………」


 だめだ。まだ眠い。眠い。むり。ねむすg

 …………

 ……


 ぴろん♪

 ズシュッ


「っ、ぎゃああああああああっ!」


 脳内で軽いシステム通知音が鳴った直後、全身にぶっとい針を深々と突き刺されて、切れ味の悪いノコギリでゾリっと体を八つ裂きにされた上に、肉片をゴリっとすり潰されたかのような激痛が一度に襲ってきて、わたしは問答無用で起こされた。


「きりこさん、おはよーございます、朝ですよー。起きてくださいー」

「な……七海ちゃん……、おはよ……、お、おねがいだから、お願いだから、覚醒シグナルだけはやめて……」

「エー、でも普通に起こしても起きないんで、しかたないですー」

「うぐっ……」


 わたしは涙目で訴えたけど、ハイラスに載った執行人七海ちゃんはいつもどおり却下した。まったくもって容赦ない。

 いや、毎朝毎朝起きられないわたしが悪いっちゃ悪いんだけども。それにしても、意識覚醒プロセス待機解除イベントオブジェクトのシグナル励起だけは勘弁してほしい。あれは人間が想像できるあらゆる苦痛を超越してる。

 元々は仮想体システムに組み込まれていた機能なんだけど、強制的に意識が覚醒に切り替わるときの余波で強烈な激痛が発生してる。あくまでソフトウェアによる擬似的な痛みであり、物理的な害があるわけじゃない。後にひくこともないのが余計に性質が悪い。

 眠気もきれいさっぱり吹っ飛んでしまった。渋々、わたしはホムンクルスの体でベッドから起き上がった。



 時計見ると、五時五四分。季節はまだ春先で、だいぶ肌寒い。まずはトイレに行って、洗面台でばしゃばしゃと冷たい水で顔を洗う。


 わたしが今住んでいるところは、インシピット村の居住区画予定地に建てられた一軒家だ。鉄筋コンクリートの二階建てで、将来新人類の子らを育てる家ともなるので、一人で住むにはかなり大きめに造られてる。

 上下水道は絶対に必要不可欠ということで、浄水設備なども含めて水周りは念入りに整備されている。都市建設の専門家なんていなかったけれど、試行錯誤しながらみんなすごくがんばって造ったのだ。

 日本人としては、水がふんだんに使えるってのはいいね。ちなみに軟水なので、飲むのも問題なし。


 固形石鹸も造られてるけど、ほとんど石ケン素地そのままで、純粋に汚れを洗い流すためだけのものだ。

 原料となる油脂は今のところそれほど大量に使うもんでもないんで、魔法でオレイン酸などの不飽和脂肪酸を練成している。オレイン酸はサラダ油としても使ってる。

 香料とか保湿成分とかないんで、使ってるとちょっとピリピリする感じがあって、少々お肌にやさしくない。また、洗濯にも使われてるんだけれども、どうも単純に石鹸成分のみだと使いにかったりする。

 技術部の人たちも「石鹸なんて油脂を鹸化してやればいいんでしょ」というくらいの認識しかなかったため、いざやってみるといろいろ問題点が見つかってきている状況だった。まあ喫緊の課題ではないので、今後の改善が待たれるところ。



 そうして朝食作りにとりかかる。

 一応、仮想体システムの〔調理〕スキルはホムンクルスの体でも有効になってる。ただ、このスキルは『料理の手際が良くなる』だけのもので、これがあったからと言って料理が超絶美味になるわけじゃない。チート要素は皆無だ。

 レシピを知らなければなにもできないし、それ以前の問題として、ここでは食材と調味料がものすごく限られてる。なんでも揃えられた日本とは違いすぎて、レシピどころじゃない。

 使えるものを列挙すると、


・100%魔法で練成された、豆腐っぽい栄養素の塊

・上記栄養素の塊を乾燥させ、ブロック状に固めたもの

・家畜の細胞のみを培養して作られた肉もどき(少量)

・試験的に栽培された小麦、大豆などのクローン作物(少量)

・遺伝子合成で作り上げたクローン鶏の産む卵(ごく少量)

・調味料は塩と合成ブドウ糖、合成サラダ油のみ


 今のところ、これだけ。字面だけでも不穏な雰囲気が漂ってるのは、たぶん気のせいじゃない。

 天然モノといえば海水から抽出した塩くらいか。それだって、海水にヤバい物質が溶け込んでないかチェックが必要だったけれど。


 これらの品の安全性をホムンクルスで試すのも、環境評価試験の一環となってる。実質的なモルモットでもある。

 一応、分析器などで毒性の検査はされていて、成分上はだいじょうぶなはず、とは言われてるけどねえ。それでも、これまで三度ほどお腹壊したこともあったのだ。

 何か異常があったときに原因を特定しやすくするため、毎日三食食べたものすべての献立を調理過程含めて記録し、一部を取り分けてサンプルとして保存する決まりになっている。少々煩わしいけれども、これも新人類の子供たちのためだからしょうがない。


 培養肉とクローン作物はまだ生産量が少なく、食材として一番多いのは魔法で練成された豆腐っぽい塊だ。別名、『豆腐モドキ』。

 たんぱく質や脂質、繊維質、ビタミン、ミネラルなどがほどよく配合されていて、見た目や味、食感などがかなり豆腐っぽい。四角く成型されたそれは柔らかく、箸をいれるとほろほろと崩れる。

 そのまま塩をかけて食べたり、油で揚げて塩をかけて食べたり、豆腐ステーキとして鉄板で焼いて塩をかけて食べたりする。もしくは塩スープに入れるか。

 せめて醤油だけでもあれば、まだ違ったんだろうけどねえ。生前はよく冷奴にネギとワサビをつけて、そばつゆをかけて食べてた。天カスもけっこう合う。


 今朝は豆腐モドキのほかに、昨晩焼いたクイックブレッド的なものの残りを食べる。

 クローン小麦に合成ブドウ糖と塩、油脂、重曹を混ぜて練って焼いたものだ。重曹は、昔の工業化学をこちらで再現してみる試みの中で、炭酸ナトリウムを製造した際に出てきた副産物だ。

 クイックブレッドはあんまりふんわりとはしていないけれど、まあまあ食べられる。レーズンとかナッツ類があればいいんだけど。





 朝食後に軽く洗濯と掃除をして、ラ○オ体操で体をほぐしてから、今日の日課にとりかかる。

 まずは、クローン動物の世話からだ。


「こっこっこっこっこっ」

「めぇ~~ーーぇ」

「エ゛ェーエ゛ェエェ」

「も゛ぉおおおおぉー」

「ぶひっ」

「ばうっ」

「な~~~」

「ぅっきぃーーーっ」


 鶏、羊、山羊、牛、豚、犬、猫、そして猿。数は多くないものの、一ヶ所に集めるとなかなかにぎやかだ。

 いずれもこちらの世界にはまだ存在しない動物だ。すべて、遺伝子情報を元に合成された胚から育てられた。

 基本的には、本番である新人類の合成の前に、不具合がないかどうか確認するためのいわばテスト用に造られたようなものだ。ほんと、生命軽視だと言われてもまったく否定できないね。禁忌だろうがなんだろうが、やる覚悟は完了してるけれど。


 現段階では、畜産業として継続的に殖やしていく予定があるのは鶏と羊のみ。ここにはいないけれど、医療実験用のマウスも育てていくことになるだろう。

 ほかは雌のみの一代限りで、当面は殖やさない方針になってる。食肉の供給に関しては、できれば培養肉を中心にしたい考えだ。犬、猫、猿についてはもとよりテスト目的しかない。

 近年では家畜の資源効率が、農作物より圧倒的に悪いことが問題になってたのもあるけれどね。それよりなにより、労働力やノウハウの不足、飼料の生産高のほうがずっと大きな問題だった。ぶっちゃけ、そんなに手広く畜産業をやれるほどの余裕が、わたしたちにはまだない。


 まあ今いる子たちについては、生みだしたからには寿命を迎えるまでちゃんと面倒をみなきゃね。

 とりあえず清掃のために、猫のサマンサ以外は畜舎から追い出す。猫はご飯のとき以外は勝手にしてる。村を囲う壁の外には出られないので、好きにさせておく。


「ほら、みんな出なさい~、わ、こら、服を噛むんじゃないっ」


 牛の花子と山羊のアイリーンがすりすり寄ってきて、服をがじがじ噛んでくる。

 他の人のハイラスに混じって、わたしもホムンクルスで作業してるんだけど、なんだかわたしだけ舐められてる気がする。物理的にだけじゃなく、態度的にも。

 腕とか顔もべろべろ舐められて、べたべたになる。こやつら、ハイラス相手にはそんなことしないのに。嫌われてはいないんだろうけどねえ。


 畜舎清掃後、ブラッシングしたり水で洗ったりとかしつつ、動物たちの健康状態をチェックする。

 気をつけないと、前にこちらの世界独自のダニ的な生物が涌いて、口にするのも憚られるような悲惨な状況になったことがあった。幸い、一命は取り留めたものの、あれは怖い。たかられたら、ホムンクルスはもちろんのこと、新人類もヤバいだろう。





 動物たちの世話が終わったら、次は本日分の食材の受け取りのために食糧プラントへ向かう。

 三日に一度、ここや試験農場で生産されている食材を受け取ることになっている。


「シンプソンさん、おはようございます~」

「……ああ、ミス・サトー」

「今日の分の食材、受け取りに来ました~」

「……いつもの棚に置いてある」

「ありがとうございます~」


 シンプソンさんのハイラスに挨拶して、食材を受け取った。

 作業時以外ではシンプソンさんとはあんまり話したことないけど、ちょっと聞いた限りでは、生前、北米の実家で大規模農業をやってたそうだ。その関係で、ここでも農作業を専門にやってるらしい。


 食糧プラントでは豆腐モドキや培養肉の製造のほか、屋内での農産物栽培にも取り組んでいる。

 ここでは光や温度、湿度、水量や養分など、完全に管理された環境で野菜などの作物を育てていて、少量ながら、屋外農場で栽培できていない作物を供給するのが主な目的だ。いわゆる『野菜工場』というもので、何年か前に日本でも同様の施設が造られたってのがニュースになってたくらいなので、これ自体は別段目新しいわけでもない。

 ただ、現状では遺伝子情報から実体化した作物を育てて、その種子を収集することのほうに重きが置かれている。残念ながら、ここで育てられた作物がわたしの食卓に回ってくることはあまりない。


 本日の支給分は豆腐モドキと培養肉、小麦粉、緑豆のモヤシ。日によってはキャベツとかトマトも出てくる。先月あたりまでは、秋口に試験農場で採れた男爵イモなんかも時々出たけれど、それも現在はもう品切れになってる。



 受け取った食材を持って、一旦帰宅。ちょうどいい時間なので、お昼ご飯にする。といっても、簡単に豆腐モドキを加工したブロック栄養食で済ませる。

 ブロック栄養食と呼ばれているけど、実態としてはカ○リーメイトではなく、脆くなった高野豆腐だ。味は思ったほど悪くはないけど。悪くはないけど……。多くは言うまい。





 午後はまず検診のために、ラクシャマナン先生のところを訪れる。

 ホムンクルス自体初の試みだし、未知の環境でどんな危険があるかもわからないため、最初の頃は毎日、現在でもほぼ二日に一度検診を受けている。

 先生の診療所もインシピット村の一角に建てられていた。


「本日も異常は認められず」


 ラクシャマナン先生がレコーダーに口述記録する。


「何事もないのが一番ですねえ」

「そうじゃな……。ホムンクルスがそうそう頻繁に病気にかかるようじゃったら、新人類などとてもじゃないが生きられんじゃろう。とはいえ、可能なら今のうちにあらゆる感染症を一通り経験しておいてもらいたいもんじゃがのう」

「それはまあ、そうなんでしょうけど……」


 病気の実験台になるのも、ホムンクルスの大事なお役目だしねえ。最悪、ホムンクルスは使い捨てでもある。

 すでに秋から冬の間に二度ほど、こっちの世界独自の病気にかかってたりする。原因はそれぞれ別で、細菌によるものとウィルス性のものとがあった。どちらも病原体自体はこちらではありふれたものだけど、当然ながらわたしは免疫がなかった。一応、その存在や特性も事前に環境調査で判明していたので、前者は既知の抗生物質で、後者は抗ウィルス剤で対処した。

 他の病気もこう簡単に対処できればいいんだけどね。





 検診の後は、試験農場に向かう。

 冬の間は農場でのお仕事もお休みだったけれど、来週あたりから本格的に今期の農作業が始まる。ほとんど生体実験用になってるホムンクルスだけれども、実験以外で遊ばせておけるほどの余裕が開拓団にはないんで、わたしも農作業に駆り出されることになってる。

 まあ、今日のところは別の作業がある。


「今回、サトー・サンにテストしてもらうのは、これです」


 技術部でほぼ新型メカ担当みたいになってるナージャさんに紹介されたのは、ホムンクルス用に造られたトラクターだ。

 四輪車で、後輪がやたらでかくて直径1m以上ありそう。本体の前後の長さは軽自動車くらいだけど、左右の幅は狭い。

 一番特徴的なのは、座席があって、ハンドルやアクセル・ブレーキのペダルがついてることだ。一人乗りなんで、座席は一つしかない。

 これまでは仮想体がる車輌型ドローンをトラクターとして使ってきたので、運転席というものがなかったのだ。けれど、今度のこれは人がって運転するのを前提に作られてる。初の乗用車両だね。いずれ、新人類にもこれに乗って同じ作業をしてもらうことになるので、そのテストも兼ねてる。


「屋根はないんですか?」

「その辺はオプションで追加することになります。とりあえずは、操作感と出力を見るだけですんで」

「りょーかい」


 合成樹脂製のシートに座って始動してみると、ブゥーンという低い駆動音がしてくる。


「思ったよりずいぶん静かですね」

「ディーゼルじゃなく、魔導モーターですからね。いちおう充分なトルクは出ているはずですが」


 車輌の後ろには、重量級の大型耕起具プラウが連結されていた。

 プラウの爪を下ろしトラクターで引っ張ると、プラウの爪がずりずりと地面を引っ掻いて掘り起こし、耕していく。

 操作感は前にプレイしてた農作業シミュレーターゲームのとそれほど大きくは違わないかな。やっぱり、まっすぐ引っ張るのが難しくて、畝がうねうねと曲がりくねってしまう。

 畑の端から端まで行ったら折り返すんだけども、そこで往路と平行に引っ張るのもまた難しい。あんまり厳密にまっすぐ引く必要はないとも言われてるけども、やっぱりねえ。この辺は練習が必要だろう。


 テストは夕方まで続いて、日が暮れる前には終了した。動物たちを畜舎に戻してから帰宅。





 晩ご飯の時間。ぼっち飯だけども、一緒にご飯食べられる人間が皆無なのでしょうがない。ホムンクルス2号機3号機も計画は進んでるけれど、環境評価試験ミッション中には間に合わない見込みだ。

 まあ、生前からぼっち飯には慣れていたので、気にしないことにしてる。


 献立は培養肉のソテーと、もやし炒めに豆腐モドキの塩スープ。

 今回の培養肉はブタの細胞がベースになってて、歯ごたえはあんまりないけど普通においしい。『バイオにく』と呼ばれるくらいの製造過程を見てしまうと、食欲が猛烈に減退してしまうけど。

 これはお米のご飯が恋しくなる。あと、タレとか香辛料とかいった調味料もなにかしら欲しいところ。

 まあ日本食については、ホーム空間に戻れば(仮想料理だけど)いくらでも食べられるので、堪能する機会がなくなったわけじゃない。

 ただ、仮想体と違って、ホムンクルスはきちんとご飯食べないといけないからねえ。体調に異常は出てないので、栄養価は充分足りてるんだろうけども、こうバリエーションに乏しいのは問題だ。

 培養肉で燻製とか作れないもんかしら。周辺にある木材というとソテツやスギなどになるんだけども、燻製に使えるんだろうか。後でちょっと調べてみよう。



 そして、お風呂に入る。やっぱり、日本人としてはお風呂は外せないよね。シャワーのみとか、湯船に石鹸入れて泡立てるとかないわ。日本式お風呂の有用性を強硬にアピールした甲斐はあった。

 シャンプーがないので、頭も石鹸で洗う。当初つるつるだった髪の毛は、今では6cmくらいに伸びてる。もう少し長くなってくると、石鹸ではゴワゴワしてしまって厳しくなるかな。



 お風呂の後は自由時間だ。最近、わたしは同人ゲーム作りをしてる。

 なにせ、開拓団には娯楽ってものが少ない。既存の映像ソフトとかゲームとかいくらかは地球から持ち込んでいたけど、それも限りがある。

 それで、ないなら自分たちで作ろうっていうのが団員の間で流行してるのだ。互いに作ったものを見せ合い、評価してもらう形になってる。みんな、自由時間にすることってほかにそうそうないしね。


 今作っているのは仮想PC向けの市販RPG製作ツールを使ったJRPGで、システムとスクリプトはわたしが担当し、シナリオと絵柄は七海ちゃん、デバッグ担当はマギー。国産ネット小説的中二病感満載の異世界転移モノにしてやろうと画策している。


 プログラムについては以前大学で学んでいたのもあって、一応基礎的なことはできる。

 ただ、学業としてやるのと違ってあくまで趣味全開だと、これがなかなかに楽しい。自分でロジックを考えて、その通りにゲーム画面が動くのは快感だ。バグが出て思うように動かなかったとしても、なぜそうなるのかを突き止めるのはパズルを解いてるみたいだ。

 これが思った以上にハマった。そうして、気がつくと夜もふけていて、睡眠時間が……。

 Zzz……。


(そして冒頭に戻る)

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