2:03 ホムンクルス(2)
ホムンクルス開発は初の試みということもあって、設計データ編集、シミュレーションによる動作テスト、試験管での培養細胞検証など、準備段階で半年以上かかってた。
そこから実物の製作に入って、完成までは三週間ほどだった。
ホムンクルスの造り方というのは、普通の人間が胚から細胞分裂を経て胎児として生まれてくるのとはまったく違う。培養した細胞を一個一個つなぎ合わせていって、最初から成人の姿で造られるのだ。
製造途中の様子も見せてもらった。高さ2m、直径1mくらいの、等身大の人間がすっぽり納まるサイズの透明なシリンダーの中に、造りかけのホムンクルスが浮いていた。内部は人工羊水で満たされてるそうだ。今更だけど、まんまSFの世界が現実に目の前にあって、なんだか感慨深い。
体の内側の、深いところから順に作られていくので、その途中経過はグロいことこの上なかった。
まず最初に脳幹と全身の神経と血管網が造られ、そこに大脳にあたるコンピュータが接続される。次に骨格と内臓が形成され、筋肉や脂肪などが纏わりついて体を作っていく。
血が入ってないうちは赤みが薄いけども、それでもやたら生々しい内臓標本か、全身生皮を剥がれた人間って感じだった。見るからに痛そう。そーいや、こんなのがマットレスから這いずり出てくる映画があったなあ……。こっちは血まみれでないだけ、だいぶソフトだけど。
なお、製作中に筋肉が動いてしまったり細胞が分裂してしまうと、細胞の配置が崩れてしまう。それを防ぐため、完成するまでは各細胞は薬品と魔法によって生化学反応を抑制されて、不活性の休眠状態に留め置かれてるそうだ。
最後に皮膚で覆われ、血液が入ったところでようやく人間らしくなった。
わたしのデータを元に造られたそれは、胸部装甲を除けば、ほぼ生前のわたしの姿そのものだった。
ただし、毛根細胞はあっても不活性のままなので、毛はまったく育ってない。上から下まで全部つんつるてんだ。
……このまま生えてこなかったらどうしよう。
あと、最後の段階だとすっぽんぽんで、スタッフ全員にわたしの全裸が見られてしまっているのだが、それはいかがなものか? ……とも思ったんだけどもねえ。
製造過程であんだけグロい段階を見せられてたら、妙な気は起こらんかな? ……と思うことにした。
そもそも、体の隅々までというか、内臓や骨の髄に至るまで全部見られちゃってるのだから、これ以上いったい何を恥ずかしがればいいのやら。見られて恥ずかしがるべき場所なんて、もうこれっぽっちも残っていないのでは。
気にしたら負けかもしれない。
そうして、ホムンクルス第一号は完成した。
パイロットのわたしが忙しくなるのはここからだ。
*
ゆっくりと瞼を開くと、だんだんと焦点が合ってきて、明るく自発光する天井が見えた。
知ってる天井だけども、これまではCCDカメラを通しての視覚だったし、こうやって診察台に寝転がって見上げるのは実は初めてだった。
別に、こん睡状態から目覚めたわけではないので、意識ははっきりしていた。
目線を動かし、次いで首を左右、上下に振ってみた。傍らには何かの医療装置があって、ハイラスが何体も立っているのが見えた。
意識して鼻から息を大きく吸い込み、ふぅ~っと吐く。
次いで、顎に力を入れてみる。なんだかやたら硬い物を噛んでた後みたいにふわふわしていて、ちょっと力が入りにくいけど、動かないってほどでもない。
「んっ……。ごほっ、あっー……あー。ア~。あ゛ー。あ~え~い~う~え~お~あ~お~……(すぅーー)……いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせすん」
口をもごもごぱくぱく動かして、さらに発声してみた。元の声と違いはないと思う。
両手を持ち上げて、ぐーぱーぐーぱーと手のひらと指を動かしてみた。続いて、足を片方ずつ持ち上げて、ひざを曲げてみる。
シミュレーターでやってみたのと同じように、ちゃんと思ったとおりに動くようだ。
感覚的には仮想体より幾分重いかな、という程度で、体を動かすのに違和感はない。というか、生前の体はこんなだったような気がする。仮想体になった時は困惑してたのもあって気が付かなかったけれど、こうして冷静に比べてみると、生身と仮想体とでは感覚的に意外と違いがあったようだ。
手を寝台にあて、ゆっくりと体を起こした。
そこで初めて、特定の部位に強烈な違和感があった。
「おおぅ!? たわむっ!?」
だぼっとしたロングシャツ一枚に覆われた体を見下ろしてみれば、そこには、生前にはどれだけ願っても得られることのなかった高みがそびえていた。
上半身を左右に振ってみると、ゆるっ、と胴体の動きにほんの少し遅れて追従する。新鮮な感覚に驚いて、つい何度も繰り返してしまった。
この辺り、神経系のみのシミュレーターでは再現していなくて、実機で初めて知ったところだ。
「おぉ……おぉぉ……! これが……これが物理、これが慣性というものかッ!」
わたしは生まれて初めて、というか一度死んで仮想体になってから以降も含めて、身をもって慣性というものを体感した。さすがに大盛りの質量は伊達じゃない。
いや、小盛りだって揺れはするけど、もっと小幅で小刻みにふるふるって感じなので、こんなにたゆんたゆんと明確には感じたことはなかったのだ。
さらに服の上から、眼下に広がる山脈を恐る恐る両手のひらで持ち上げ(!)てみた。
「で、デカいっ……!?」
――大きく、重く、それは正に脂肪塊だった。これこそがクーパー
中学や高校時代に友人のを触らせてもらったときとも違う。自前のだと、揉む手のひらだけでなく、揉まれる塊のほうにも感覚のフィードバックがある。すべては相対的なのだッ!
たしかに天然モノじゃなく人工的に造られたモノではあるけど、一応成分上は偽乳ではないし。
この重装甲ならば、マギーともいい勝負になるかもしれない。
「確認するのはそこ……ですか?」
「当たり前じゃないですか! ここだけは明らかに前と違うんですよッ!!」
「そ、ソーデスカ……」
田中さんから冷ややかなツッコミが入ったけれども。
いや、だって、これまでは持ち上げられるほどの大きさはなかったし。自分でリクエストして、完成予想図も見せてもらってはいたけれど、実感となると別だ。
しかし、これほどの差があるとは想像だにしなかった。人類が滅ぼうとしている今になって、持つ者と持たざる者の間に厳然と立ちはだかる壁、胸囲の格差社会という現実を身を以って知ることになるとは。
……後に休憩でホムンクルスとの接続を切って仮想空間に戻って、知能が復活したときに、激しく後悔したけど。男性陣も見守ってる中で、わたしは何をやっておったのかと。驚愕と混乱のあまりテンションがおかしくなって、意味不明な言動を繰り返しておりました。
ドローン搭載時の知能低下ってコワい。
*
ホムンクルス起動後の最終確認として、ラクシャマナン先生が診察した。
体の調子は頭部のコンピュータで常時モニターしてるけど、これもまだ最初なのでシステム上の不具合がないとも限らない。それで、見落としがないか、外からもチェックすることになってる。
先生の載るハイラスの手に握られた聴診器型デバイスが胸や背中に当てられ、脈拍なんかも診られた。
「バイタルにも異常はないようじゃの。痛みや吐き気などはあるかね? あるいは逆に感覚がないとか」
「いえ、今のところ自覚できるような変なところはないです」
「現状では問題は出ておらんようじゃな。司令」
診察を終え、ラクシャマナン先生は傍らで見守っている司令に言った。司令も今日はハイラスでこの場に来ていた。
「よし。では予定通り、環境評価に着手するとしよう。
この評価試験は、試験をパスすること自体が目的というよりも、不足している部分を発見し、生活環境を向上させることを主眼としている。どんな些細なことや不満などでも、気づいた点があれば報告してほしい。評価班の皆、よろしく頼む」
司令の号令の下、環境評価試験ミッションが開始された。
わたしが所属してる事業部第九班は、生活環境評価を専任で行うことになっている。
ここは女性ばかり五人の班で、班長のルクレツィア・モレッティさん、副班長のミュリエル・ホーネッカーさん、わたしと七海ちゃん、マギーという構成だ。
あと、評価試験のサポートとして、ラクシャマナン医療部長がホムンクルスの健康状態の確認、技術部のシュミット副部長が何か不足している物があった際の調整にあたることになってる。
わたしの役目はといえば、ホムンクルスで可能な限り普通に生活すること。言葉で言えばそれだけなんだけども、しかし、ここでは『普通』ってのもそれだけで大変なことだったりする。
「ちょっと肌寒いかな」
室温はとセンサーの数値を見てみれば、14℃ほど。今着ているものといえば、膝まで伸びた木綿に近いシャツ一枚しかない。下着すらなくて、涼しいのを通り越してちょっと寒い。
とりあえず、寝台に敷かれていたシーツをひっぺがして、体に巻きつけた。
「まずは着替えさせようじゃないかねえ。ほら、男どもはさっさと出てった出てった」
ルクレツィアさんが号令をかけて、男性陣を追い出した。
ちなみに、ルクレツィアさんは享年四二、ミュリエルさんが三八歳だそうで。二人とも恰幅がよいというか、ふくよかというか、なんか妙に貫禄があって、まさに『おっ母さん』って感じがぴったりくる。
まあ、今はみんなハイラスに載ってるので、風体はいっしょだけど。〔名前表示〕オプションはホムンクルスの視界でも有効になってて、そうじゃなかったらどのハイラスが誰だか区別つかなかった。
「ついでニ、採寸もやっておきたいカナ。今回のハ設計データからサイズ拾ってきたケど、リアルで採寸する手順を確立しておくのモ後々必要になってくルんでなイ?」
班内で衣類担当になってるマギーが採寸したいと言い出した。
なんでも、生前は縫製工房でアルバイトしていた経験があるとかで、まだスキルレベルは高くないものの、布生地から服をこしらえる作業は一通り経験してるという。
女子力において、わたしと同等だと思っていたのに、なんか裏切られた気分だ。いや、いいんだけど。
まあ、服を縫える人がいるのは幸いだろう。わたしゃボタンとかを繕うのがせいぜいで、ミシンとか怖くて触れないし。てか、あのゴッツいミシン針の超高速連打でズドドドドと指を縫っちゃったらどーしよう、っていう想像だけでガタガタ震えてしまうのはわたしだけなのだろーか。
「なるほど、採寸か。確かに、やってみないとわからんこともあるしねぇ。私もやってもらったことはあっても、自分でやったことはないし。ちょうど今、薄着なわけだし」
「でも、メジャーはまだ工業用の金属製のしか造られてないんじゃないかしら」
「まあ冷たいのは我慢してもらうとして、今は手順を確認するだけだから、多少浮いちまっても精度はこだわらんでも大丈夫だろうよ」
「それもそうね。では、技術部の倉庫からちょっと失敬してくるわね」
班長と副班長の間でそんなやりとりがあって、服を着込む前に採寸をすることになった。
で、わたしはさっくりと素っ裸にひん剥かれた。仮に「カイボウはイヤだぁ!」と訴えたところで却下されただろう。
スタイル的にはほぼ成人のホムンクルスだけど、細胞の代謝と老化を経ていないせいか、肌は赤ちゃん並みにすべすべで、ふにふにだった。ピチピチというレベルを通り越してて、ちょっと異様かも。
それを見た班員たちはというと。
「うっわー、なにこの肌、赤ちゃん並みとは聞いてたけど想像以上ねぇ」
「おおぉ、ハイラスの指先センサーでも滑らかなのが伝わってくるわ」
「さすがにシミひとつないネ」
「きりこさん、私にも触らせてくださいー」
みんなして採寸そっちのけで、ハイラスのやや冷たくて硬質な指でふにふにぺたぺたと触ってくる。
てか、ハイラスの触覚センサーでそこまで微妙な感触を判別できんのかねえ。ハイラスには数回載っただけなんで、その辺の感覚はあまり印象になかった。
「えーっと、そろそろいいですか? いい加減寒いんですけど」
「ああ、ごめんごめん」
結局、金属製メジャーでは柔軟性が足りなさ過ぎて、体に合わせようとすると曲面が浮いてしまったりしていたため、代わりに紐であてて測ることになった。
今はいいけど、本番までには布やナイロン製のメジャーが欲しいところ。これもレポートに含めるべき事項かな。
*
試行としての採寸も終わって、わたしはようやく服を着ることができた。
これらの服は100%この世界で作られたものだ。
インシピット村ではほぼ木綿と同等のセルロース繊維と、ポリエステル系繊維の二種類の繊維が作られてる。
セルロース繊維については、水と炭素から直接合成する方法と、樹木を分解してできるセルロースナノファイバーをさらに加工して作り出す方法とがある。どっちも工程には魔法による加工が含まれてるけど、組み替える分子構造が大きくなるとその分必要な魔力量が増大していくため、元々セルロースの構造が造られている後者のほうがだいぶ効率がいいらしい。
セルロースナノファイバーは繊維以外にも用途が幅広いため、量産されている。
布を用いて何か作るとなれば、最低限、糸まではまとまった量が必要になるのが見込まれていた。それで、出来上がった繊維を効率的に糸に加工するために、わりときっちりとした紡績機も用意された。
けれど、そこから先の布生地や衣服の段階となると、現状ではそれほど効率を気にする必要もなさそうということで、機織り機やミシンなどは簡易なものが少数製造されただけに留まってる。
設計の手間も惜しんで、昔の人力で動かしていた時代の設計をそのまま流用してるので、動力はハイラスなどのドローンだったりする。人力じゃなくドローン力やね。
ハイラスがぱたぱたと機を織ってる姿はかなりシュールだ。この辺り、極端にハイテクな部分と、極端にローテクな部分の差が激しくて、ものすごくアンバランスかもしれない。
そうして作られた服だけれども、今のところひどくシンプルなものしかない。デザインだのファッション性など皆無で、とりあえず着られて、保温と皮膚の保護ができればいいやという感じ。
染料もないので、布はまったく染色されておらず、ほんのり黄ばみがかった白という繊維の地の色のままだ。
下着はといえば、パッドもワイヤーもホックもなく、ただ三角の布を紐で結びつけただけという胸の質量を支えるためだけの水着同然のブラに、ショーツというよりカボチャパンツと言ったほうが相応しいものしかない。
その上に肌着的なものを着て、さらにTシャツ的なものと、ただ布を巻いただけのスカート的なものを着込んでいた。
足先はといえば、靴下はなく、はだしでサンダルという名のつっかけを履いているだけだった。
外側に関しては、一応オプションとして幾分厚手の生地で作られた開拓団公式ツナギも用意されてはいた。
まあ、見た目については、わたしはまったくこだわりなんてない。いっそのこと、ジャージでもあればそれで済ませていただろう。ファッションとか知らんわ。
ただ、保温性についてはだいぶ微妙な気がした。通気性が良すぎるのか、あんまり暖かくはないのだ。暑い時期はいいかもしれないけれど、今は秋口で、これから冬に向かうとなるといささか心許ない。
伸縮性もあんまりなくて、ちょっと突っ張る感じだ。
せめて、スウェットのような生地があればいいんだけどねえ。
今のところ、単純に縦糸と横糸で織るだけの、いわゆる「平織り」のシンプルな布しかない。
現状ではタオル地のような生地も造れなくて、手拭いのようなものしかない。どうやったらああいう生地にできるのか、試行錯誤している最中だった。
原始的な生活水準はたぶんクリアできてるだろうけど、現代の文化的というにはまだまだ前途は多難なようだ。
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