1:02 桐子

 ピピピピ、と目覚ましの電子音が鳴った。……ような気がする。


「んぼぉ゛ぇ~~……………………」


 だめだ。まだ眠い。眠い。むり。ねむすg

 …………

 ……







「……はっ!?」


 やっと目が覚めたときには、午前八時半を回っていた。

 『仮想体ヴァーチャル・エンティティ』になってからというもの、時間に縛られない極めて自由なニート同然の生活を満喫してきたけども、今は開拓団の一員としてここに来ているのだから、これまでどおりというわけにはいかない。

 それで、健康的で規則正しい、人としてまっとうなライフサイクルを取り戻すべく、気張って目覚ましを七時にセットしたのだけれど、やっぱり無理だった。orz


 仮想体になっていても、眠いものは眠いのだ。睡眠欲求まで含めて、仮想体は元々の肉体の生理機能をほぼ完全に再現できる。できてしまうのだ。設定によっては寝なくても疲労とかなしにもできるけれど、あんまりやりすぎると精神衛生上よろしくないらしい。睡眠はきっちりとるべきだろう。


 が、しかし、生前でも小さい頃からずっと、わたしにとって朝というのは超えがたい難敵だった。起こされなければ、起きないのだ。そんな社会人失格なわたしごときが急に人並みの健全な生活を送ろうなどと、可能なはずがあろうか!? 身の程を知れというものであり、土台無理な話だったのだ。ここには起こしてくれる人もいないし。


 ……どうしよう。マジで、どうしよう。

 一応、システム的には強制覚醒タイマーなんていう機能も用意されてはいるけど、アレははっきりいって拷問以外の何物でもない。アレ設計したの誰よ。二度と使いたくない。アレは最終手段だ。


 幸い、異世界初日におけるドローン講習は一〇時からだ。基地内の施設に限っては、〔転送〕コマンドにより通勤時間はゼロ分である。時間はまだまだ余裕たっぷりと言えよう。

 ……そうやって余裕ぶっこいてて遅刻した経験が数え切れないくらいありますごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。社会不適合者の面目躍如ですねというか、いや、躍如してどうする。

 今日くらいはきっちりやらなきゃ。



 どうにか仮想ベッドから抜け出して、仮想洗面所にて顔を洗う。

 朝食に仮想トースト一枚と仮想ベーコンエッグに付け合せの仮想ミニサラダ、仮想コーヒー(モカ風味)を〔料理生成〕コマンドで生成する。

 仮想ヴァーチャルではあっても、味も香りもまったく現実リアルのそれとまったく遜色ない。別に食べなくても仮想体を維持するのにまったく問題はないけれど、そこはまあ気分の問題だ。


 〔料理生成〕コマンドは、仮想ログハウスにキッチンアイテムを導入インストールした際にオマケでついてきたものだ。毎度ポイントを消費するが、一流シェフが作るのと同等のものを一発で生成してくれる。


 材料アイテムを用意すれば、一からマニュアル操作―――すなわち手作業―――で作ることもできる。ただし、これは出来上がりに個人の技能スキルがすごく影響してくる。リアルで料理できる人、つまり生身プレイヤースキルとして料理の技能を習得していれば、ここでもおいしいものを作れるようになっている。逆であれば、産廃アイテムを量産できてしまうけど。


 仮想体にはシステム的に〔調理〕スキルというのも用意されてるけど、これはあくまで「料理のがプロ級になる」というだけのものだ。包丁の扱いから火加減、味付けの勘どころまで身につくのだけれど、手間が減るわけでもないし、レシピを知らないと作れない。それに、ついうっかりだとか、つい余計なアレンジを加えてしまうのを防げるわけでもない。

 そのくせ取得にはけっこうポイントがいる。わたしはポイントがあり余ってたから試しに取ってみたけれど、必要ポイントを考えるとその効能はかなり微妙だ。


 一応、わたしたちのが順調にいけば、〔調理〕スキルもそのうち役立つようになるはず、とは言われているけれどもねえ。

 結局、普段は〔料理生成〕コマンドを使って、気分転換したいときだけ手作業で作ってる。

 んー、香ばしいベーコンと半熟の黄身に、バターをたっぷり盛ったトーストの組み合わせがなんとも素晴らしい。仮想体なので、カロリーもコレステロールも気にする必要がないというのもまた素晴らしい。



 朝食を食べ終わって、わたしは自宅となっている仮想ログハウスを出た。

 外はいつもどおり、仮想の青い空と白い雲、そして地平線の彼方まで広がる仮想大草原があった。

 仮想ログハウス周辺には仮想畑があって、仮想野菜や仮想ハーブ類が植えてある。その隣の囲いの中では、仮想羊がメェメェ鳴きながら仮想雑草を食んでる。


 いい加減そろそろ、『仮想』だらけでゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。


 長閑な風景だ。ほんとよくできてる。が作り物だとは一見しただけではわからないだろう。

 移住サーバー変更によって割り当てられるリソースも増えたためか、畑の草や羊の毛などのディテールが大幅にアップした。前は草なんてドット丸見えで当たり判定のない板切れビルボードだったのだ。それが今は、毛の一本、葉っぱの一枚一枚まで立体で精巧に形作られてて、手で触れる。モフモフ具合がたいへんすばらしい。


 ここは仮想現実空間上に設けられた、わたし専用の領域だ。〔ホーム空間〕と呼ばれてる。

 青空も、草原も、畑も、羊も、ログハウスも、すべてがコンピュータの演算によって映し出された作り物、虚構でしかない。


 ついでに、ここにいるわたし自身もだ。





 わたしは日本人・佐藤桐子きりこ―――の複製品だ。北斗のアレじゃないけども、本来のわたしはすでに死んでいる。享年二四。

 生前に佐藤桐子の記憶や身体情報がスキャンされてデジタルデータになっていて、それを元にコンピュータシミュレーションで仮想空間内に再現したのがだ。言ってみれば、わたしは佐藤桐子の記憶と人格を引き継いだ人工知能ということになる。

 そんなわけで、わたしは純粋に仮想世界の住人であり、生身の人間がVRをプレイしているのとは少々事情が異なる。NPCみたいなものだ。

 わたしのようなAIは『仮想体ヴァーチャル・エンティティ』と呼ばれている。


 気分的には、生前とどう違うのかよくわからない。自分では判別つかないのだ。

 ある日、気がついたら大草原の真っ只中にいた。そして、わたしは仮想体になっていて、元のわたしが病死していることを知らされたのだ。

 最初はてっきり「もしかして異世界転移!?」なんて思ったんだけどねえ。どちらかと言えば転移じゃなくて、転生のほうが近いかもしれない。ただし、そこは異世界じゃなく仮想現実空間だったけれど。

 本物の異世界に行くことになったのは、もっと後のことだ。


 生前との違いといえば、成長や寿命ってものがないので、ほとんど不老不死になってるけど、それは感覚的にはわかりづらい。

 あと、「AIに自我はあるのか」というのは昔から議論になってたけど、当のわたしとしては「あるんじゃない?」と答えるしかなくて、証明しろと言われても困ってしまう。

 最初はコピーになっちゃったことでちょっと悩んだりもしたけれど、もう慣れた。



 最近のコンピュータ技術ってすごいんだな、と素直に感心する。いつの間にそんなに進化したのか知らなかったけど。

 こんなのが作れるのなら、もう開拓とかいらないんじゃね? ずっと引きこもっていたいくらい。

 そんな気がしなくもないけど、まあ、どんだけリアルにできてても、ここは仮想空間だ。虚構の世界であり、あくまで中継点でしかない。引きこもりは不可なのだ。


 わたしたち『異世界開拓団』は、仮現実間の外に広がる本物の異世界――人造の平行宇宙に浮かぶ無人の惑星『ニューホーツ』を開拓し、人類を存続させるためにここに来たのだから。

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