第30話 吉報

 その日は百雲斎のところに麻山城からの使者が来ていた。


「ほう。そのようなことに・・・」


百雲斎の声が聞こえていた。それは喜ばしい驚きが含まれていた。何かよい知らせのようだった。




 葵姫と紅之介は屋敷の庭を歩いていた。あちこちに赤紫の萩の花が多く咲いていた。季節はもう秋になっていた。葵姫がうれしそうに言った。


「まあ、美しい。こんなところに萩が。」

「毎年見ているのに不思議です。今年はよりきれいに見えます。」

「この花は城の中にも咲いていた・・・」


葵姫はしみじみ言った。城を離れてもう半年になった。彼女にはただ待っている日々が続いていた。だが葵姫はこの里が好きになっていた。いや、紅之介と一緒にいる毎日が。これが末永く続いてくれたらと思っていた。

 一方、紅之介も葵姫と一緒に居られる日々を、今までの中で一番幸せだと感じていた。周囲の何もかもが鮮やかに美しく見えた。これまでの人生でこのようなことはなかった。だが城に戻れない葵姫のことを思うと、喜んでばかりいられなかった。萩の花のことで葵姫に城のことを思い出させてしまい、また寂しい気持ちにさせてしまったと思った。何とか話をそらそうとしたがその次の言葉が出て来なかった。葵姫はそれを察していた。


「気にしないで。私はもう平気です。ここが気に入ったのだから。」


葵姫は笑顔で言った。そんな時、百雲斎が2人を見つけて近づいてきた。


「ここにおられましたか。」


百雲斎は何か嬉しそうだった。葵姫が尋ねた。


「どうしたのじゃ?」

「先ほどご使者が参られました。御屋形様が敵を城から追い払いました。万代宗長めは逃げ帰っている由にございます。」

「そうか!」


葵姫の顔が明るくなった。それは待ちに待った吉報だった。これで麻山城は救われ、東堂家は大名として生き残ったのだ。


「おめでとうございます。」


紅之介が言った。これでいいのだ・・・紅之介は自分にそう言い聞かせていた。百雲斎は葵姫に笑顔で言った。


「これですぐに姫様はお城にお戻りになれますぞ!」

「えっ、城へ・・・」


いきなりのことで葵姫はそれ以上、言葉が出なかった。百雲斎は言葉を続けた。


「はい。お城にお戻りになれます。御屋形様たちと共に過ごすことができましょう。もう少しの辛抱です。数日したらお迎えの一行がお着きになるでしょう。そうしたらすぐに出立ですぞ。」

「ええ、ええ。」


葵姫はそれしか言えなかった。葵姫の心中は複雑だった。城に戻れるのはうれしいことだが、この里と、いや紅之介と別れなければならなかった。それもあと少しの日しかないとは・・・。紅之介はこの地の地侍であるので城について来ることができず、また来たとしても身分の違いで会えなくなることは確かだった。これが今生の別れになると思われた。


「姫様。よろしゅうございました。この紅之介もうれしく思います。」


紅之介は無理に笑顔を作って言った。心の中とは裏腹に・・・。 紅之介の方も葵姫と別れたくはなかった。しかし姫様は一時的に里に預けられた身であり、いつかはお別れしなければならない運命だった。それなら城に戻られるのを笑顔でお送りしたかった。


「そうだな。」


葵姫は少し悲しげにつぶやいた。紅之介の顔を見たが別れを惜しんでいるようには見えない。それがますます葵姫を悲しくさせた。


(紅之介は私をそれほどに思うてくれなかったのか・・・。ただの仕える主人にすぎなかったのか・・・)


一方で紅之介は自分自身の心にけじめをつけねばならぬと思っていた。


(私如きがいつまでもそばにいられる方ではない。姫様には城での暮らしが待っている。私とは別の世界の方なのだ。)


葵姫と紅之介の思いはお互いに離れていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る