第18話 甚兵衛

 麻山城では万代の軍勢に囲まれて攻め続けられていた。だがこのところ敵の勢いは弱くなっていた。それでもいつ何時、敵の総攻撃があるかもしれない。そうなれば持ちこたえられるかどうか、不安が大いに残った。だからいざとなれば落ち延びる先を準備しなければならない。それは険しい山岳地帯での中にあり、多くの軍勢をはね返せる梟砦ふくろうとりでだった。

 そこは常日頃からわずかだが兵を詰め、信頼のおける武将の西藤三太夫に任せていた。この度、山形甚兵衛が連絡役として派遣された。彼は葵姫を椎谷の里まで送ってきた家来であり、この付近の険しく複雑な山道に少しは通じていた。

 甚兵衛は夜陰に紛れて隠し門から出ると、ばいをくわえさせた馬をそっと走らせた。幸いにも敵の兵に気付かれなかった。それだけ敵の士気は下がり、警戒が緩んでいたのかもしれない。

 甚兵衛は緊張を解かないまま山道に入った。しばらくすれば敵の手が及ばぬ山嶽の地である。椎谷の里から派遣された地侍たちが目を光らせているのである。


(これほど厳重とは・・・)


それは甚兵衛でも唸るほどだった。これならば敵の手が椎谷の方に及ばないだろうと彼は安心した。

 鬱蒼と茂る森を抜けて険しい山道を進んで、ようやく甚兵衛は梟砦に到着した。一つの小さく険しい山全体を縄張りに持ち、城にも負けぬほどの門を構え、四方を見渡す櫓まであった。砦と言うより城と言った方がよいほどの防御力と規模を誇っていた。それは実際、麻山城以上の防御力があると言っても過言ではないだろう。

 この砦の将である西藤三太夫は歴戦の強者つわものだった。数々の合戦では手柄を立てた。それに応じて体には無数の傷があると言われていた。久しぶりの来客に三太夫は厳めしい顔をほころばせて喜んだ。


「まあ、奥に。ゆるりとおくつろぎを。」


三太夫にそう言われたものの、甚兵衛はまずはお役目と言って御屋形様からの書状を渡した。三太夫はそれを押し頂き、拝むように読んだ。


「わかり申した。御屋形様にお伝えを。この三太夫、いつでもお待ちしておりますと。この砦さえあれば万代の兵など寄せつけはしませぬ。」

「ほう、それは頼もしい。」


甚兵衛は感嘆の声を上げた。だが三太夫はそう言ったものの、やはり戦況について気になっているようで、そこには不安の影を見せていた。


「それはそうと麻山城の方はいかがですかな? 私も気になっておりまして。」


三太夫に訊かれるまま麻山城の状況を説明した。


「・・・という状況じゃ。敵の攻撃はことごとくはね返して痛手を与えておる。そのうち嫌気がさした万代や国衆の軍勢は退くだろうが、まだ予断を許さぬ。」

「そうでござったか。まずはよかった。この梟砦が難攻不落と言われようとも、実のところ、この地に御屋形様をお迎えして万代の総力の軍勢と戦うとなれば苦しい。」


三太夫は先程と違うことを言った。それが彼の本心かもしれない。彼はいきなり敵の大軍と向き合わないと聞いてほっとしたようにため息をついた。一方、甚兵衛は書状を届ける役目をつつがなく終えたものの、もう一つ、気がかりなことがあった。それは葵姫のことだった。椎谷の里に送り届けはしたが、その後のご様子については何一つ伝え聞かなかったからだ。


「時に葵姫様はどうじゃ? 何かうわさを聞いておらぬか?」

「それは・・・」 


梟砦は椎谷の里に近い。ここにいればいろいろなうわさ話が聞こえてくる。良いうわさも悪いうわさも・・・。そして最近、真偽のほどはわからないが、葵姫の行状に対してある悪いうわさが流れていた。それを甚兵衛に話してしまうかどうか、三太夫は迷っていた。


「いかがされておるのか? 椎谷の里に送り届けた手前、気になっておるのでな。」

「ご息災にお過ごしになっているようでござる。しかし・・・」

「しかし、なんじゃ?」


甚兵衛は前に乗り出した。三太夫が言葉を濁したので何かあると勘づいた。それがもしや姫様の身に何か・・・と。


「いえ、たいしたことでは・・・」

「いや、気になる。どのような些細なことでも気になることがあるなら話せ。」


甚兵衛は退きそうにない。三太夫は仕方なく里でうわさになっている話をしゃべり始めた。


「これは口さがない者たちのうわさでござる。真偽のほどを確かめたわけでもござらぬ。ただ『若い地侍が姫様をたらし込んでいる。2人だけで方々に出かけている。』とか、『姫様が若い地侍にうつつをぬかしている。ずっとそばから離さない。』とか、姫様の行状に対して芳しくない話が里から伝え聞こえてきております。」

「それは真か!」


甚兵衛は驚いた。あの気位高い姫様がはしたない真似を、それも教養もない地侍風情を相手にするとは思えなかったからだ。


「いえ、それが本当かどうか・・・ただ2人だけで馬にともに乗ってよくお出かけになるのを、里の者が何人も見ておるのは確かなようでござる。」

「それは一大事!」


甚兵衛はあわてて立ち上がると、すぐに砦を出て椎谷の里に向かった。東堂家の血を引く高貴な姫様にいらぬ者がくっついては・・・。ゆくゆくは葵姫は跡取りとなる婿をよいところから迎えねばならない。そんなことが表立ってしまうと物笑いの種となり、姫様の縁談に触りが出よう・・・と心配していた。

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