第17話 小平丘
紅之介は葵姫をまた馬に乗せて、今度は里のはずれにある小高い丘に来た。そこは小平丘というところで、丘の上は高い木のない開けた平原となっていた。風が緩やかに吹き、生い茂る若い草のにおいが辺りに充満していた。
「さあ、着きました。」
紅之介は葵姫を馬から下ろした。その目の前に広がる美しい景色とさわやかな風に葵姫の気持ちは高揚した。
「紅之介、素晴らしいぞ! これは!」
葵姫はあまりにも愉快になり過ぎて、両手を広げてその平原の先まで走って行った。草を踏む柔らかな感触が心地よく、それが履物の上からでも感じられた。自然の豊かさは彼女は笑顔をあふれさせていた。そしてどんどん奥まで進んでいった。
「姫様、お待ちを。」
その後を紅之介も笑顔で追っかけていった。
「ははは、紅之介。私を捕まえてみるがいい。今日の私は素早いぞ。」
2人は追いかけ合いをしながら平原を走り回った。やがて葵姫は息が上がって立ち止まった。ふと前を見るとそこには雄大な眺めが広がっていた。
「きれいじゃ・・・」
葵姫は目の前に広がる景色に感嘆の声を上げた。そこからは周囲の山々が見渡せた。それぞれが日の光を浴びて輝き、雲の笠を纏っていた。
「確かに美しゅうございます。」
追いついた紅之介もその景色を見て言った。そしてあの山もはっきり見えた。麻山城のある方角に・・・。その山の先には麻山城があるはずだった。
「城にいる時、よくあの山を見たものじゃ。向こうから見た時も美しかったが、こちらから見ても素晴らしいのう。」
それは五条山だった。確かにひときわ高くそそり立ち、稜線が美しく伸びていた。あの山は昔から旅人から信仰の対象とされたほど、神秘的で荘厳なたたずまいを見せていた。葵姫は目をつぶり、その方向に手を合わせた。紅之介も共に手を合わせた。
「父上、どうかご無事で。」
葵姫は父の東堂幸信の無事を願っていた。あの山の向こうの麻山城では激しい戦いが繰り広げられている。この神聖な五条山が東堂家に力を与えてくれますようにと葵姫は願うばかりだった。
しばらくして葵姫は目を開けた。あの山の持つ霊力なのだろうか、葵姫の心はすがすがしく晴れやかになっていた。心に鬱積していたものが取れていく気がしていた。
「なにやら気分までよい。ここは何か力を与えてくれる気がする。ここから祈れば父上に私の心が届くようじゃ。」
「そうでございます。」
紅之介の心も晴れやかだった。何より葵姫の喜ぶ姿にうれしくなっていた。葵姫は紅之介に言った。
「こんな素晴らしい場所があるのか。何度でも来たいぞ。」
「気に入っていただいて紅之介もうれしゅうございます。」
紅之介はこの場所に葵姫をお連れして本当に良かったと思った。椎谷の里からからかなりの距離があり、もし百雲斎に知れれば大目玉を食うかもしれないが・・・。だは葵姫の喜ぶ姿をまた見たいと思った。
「また参りましょう。いつでも私が馬でお連れします。」
「そうか! 紅之介。頼むぞ。」
それから2人は何度もこの小平丘を訪れるようになった。
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