第15話 お参り
この日、たまたま離れに来た百雲斎はこのことを聞いて戸惑っていた。最近の姫様はわがままを言わなくなって安心していたが、急にこんなことを言い出すとは・・・。
「うーむ。困りましたな。危のうございますぞ。しかもそんな遠いところまで。」
百雲斎は渋い顔をした。だが葵姫は止める気などなかった。必ずお参りに行くと決めていた。
「大丈夫じゃ。紅之介がともに乗れば。紅之介は乗馬が得意と聞いておる。」
葵姫は言い出したら止めても聞きそうにないことは百雲斎にはわかっていた。だとしたらここで癇癪を起こされるより、あっさり認めた方がよい。幸い、自分が信頼する紅之介が共に馬に乗るということであるし・・・と葵姫の獄明神社参りを許すしかなかった。
「まあ、紅之介がいれば大事あるまい。紅之介。決して姫様に無理をさせるでないぞ。」
百雲斎は紅之介に言い渡した。その言葉に、「はっ。」と紅之介は頭を下げた。
◇
次の日、嶽明神社に参拝しに行くことになった。離れの前に里の中でも一番大きな馬が用意され、鞍がつけられた。
「では参るぞ。」
葵姫は袴姿になっていた。馬に乗るとなればこの姿がよいのだろう。あでやかな着物を身につけた姿ばかり見ていた周囲の者たちは、その凛々しさに驚いた。
(やはり御屋形様の御息女じゃ。)
と改めて思い知らされた。それは紅之介も同じだった。その姿を拝見しようと離れには人が集まってきた。百雲斎も心配で様子を見に来ていた。
「くれぐれもお気をつけて。」
その言葉に葵姫はうなずくと、紅之介の手を借りて馬に乗った。その後ろに紅之介が座って手綱を引いた。
「さあ、姫様。行きまするぞ。しっかりつかまってくださるように。」
葵姫は紅之介の腕をしっかりつかんだ。紅之介はまず馬を早足で、そして少しずつ駆けさせた。空は晴れ渡り、すがすがしい風が吹いていた。その中を馬は田畑や林の間を抜ける道を軽快に疾走した。
馬上の2人の体は揺れていた。紅之介は葵姫をいたわり、その腕で支えていた。すると姫の黒髪の香りが届いてきた。紅之介はまた胸の高鳴りを感じていた。一方、葵姫は体を柔らかく包まれているように感じてうっとりしていた。
しばらく走った後、ようやく嶽明神社の鳥居の前に着いた。ここからは足で登らねばならない。紅之介は馬からさっと降りると、葵姫を抱きかけるように馬から下ろした。
「さあ、登りますぞ。」
紅之介は葵姫に手を貸して険しい山道を登り始めた。女人にはきついと思われたが、葵姫はそんな顔を見せなかった。日頃、よく歩いて足腰が鍛えられたことはある。
やがて本殿に着いた。そこは古くくすんではいたが、周囲を大きな木で囲まれ、厳めしい雰囲気を放っていた。葵姫と紅之介はその前で一礼すると柏手を打ち、そして目を閉じて手を合わせた。しばらく辺りはしんと静まり返り、風のかすかな音のみが耳に届いていた。
やがて2人は目を開けて本殿に一礼をした。
「紅之介は何を祈ったのじゃ?」
「御屋形様の御武運と姫様の御健康をお祈りいたしました。姫様は?」
「私も父上の御武運をお祈りした。それと・・・」
「それと何でございますか?」
「それは・・・秘密じゃ。」
葵姫は頬を赤らめながら言った。そしてその恥ずかしさをごまかすかのように紅之介から顔を背けて、谷の方に振り返った。するとそこから里全体が見渡せた。それは葵姫が初めて見る里の姿だった。
「よいところじゃな。この里は。」
里は鮮やかな新緑に覆われていた。それに所々に家や屋敷が点在し、強い日の光を反射して輝いてもいた。そして視点を上に向けると、遠くにかすむ山があった。葵姫はそれを懐かしそうに見ていた。
「あの山がもっと見える場所に行ってみたいのう・・・」
葵姫はつぶやいた。確か、あの山の向こうの方角に麻山城があるはずだった。
「向こうの丘に登ればよく見えるかもしれませぬ。しかしここからは遠おうございます。日が暮れまする。」
「それでは日を改めるか・・・」
葵姫は残念そうにそう言った。2人はまた険しい山道を下りて、馬で屋敷の離れに帰っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます