第11話 桜を散らす風

 季節は弥生の桜の咲く時期になっていた。あれから侍女の千代は腰痛で寝込むようになった。その分、菊が離れの雑用を一人でこなさねばならなくなり、いつも忙しくしていた。

 葵姫は毎日のように庭に下りてその辺りを散策するようになった。だが菊は多忙でその供をすることができなかった。ただ紅之介だけが葵姫の供をしていた。もう手を引かずとも葵姫は一人で歩けたが、紅之介は危なくないように前に目を配っていた。


 庭の奥には大きな桜の木が数本あった。今はもう満開で美しく咲き誇り、風に吹かれて花びらがちらちらと舞い続けていた。


「もう満開でございますな。」

「桜は華やかで美しい。だがすぐに散ってしまう。儚いものよ。」

「その儚さゆえ、より美しく見えましょう。」


葵姫と紅之介は桜の木の下で腰を下ろした。2人に桜の花びらが舞い落ちてきていた。


「ここはただの田舎の里だと思っておったが、なかなかどうして。素晴らしい風景が広がっておるな。」

「そうでございます。この地は山深き地にありますが、自然の美しさではどこにも負けておりませぬ。」

「うむ・・・・」


葵姫は桜の木を見上げた。何かを考えているようだった。しばらくするとまた話し出した。


「のう。紅之介。私はもう城に帰れないかもしれぬ。」

「そんなことはございませぬ。」

「気を使わずともよい。皆の話がこの耳に入る。私も今の状況を分かっているつもりだ。」


葵姫は何ともないように言った。もしかしたら悲しみを押し隠しているのかもしれなかった。紅之介は葵姫の気持ちを考えると何も言えなかった。


「もし私がこの土地にずっと留まることになったら・・・・」


そこまで言って葵姫は紅之介の顔を見た。そして言葉をつづけた。


「紅之介はずっと私のそばにいてくれるか?」


紅之介は姿勢を正して葵姫に向き直った。


「もちろんでございます。この紅之介。姫様のそばにおりまする。」


その言葉に葵姫は頬を赤らめた。紅之介もなぜかまた胸の高鳴りを感じていた。だがそれ以上、2人はお互いに何も言い出せなかった。桜の散る中、しばらく静かな時間が流れた。やがて日が陰ってきた。


「もうお帰りになってはいかがでしょうか。日が傾いてきておりますし。」


沈黙を破って紅之介が言葉をかけた。


「ああ、そうじゃな。戻ろうか。」


葵姫は立ち上がって離れの方に向かった。その後ろを紅之介が歩いた。その時、遠くの山々の木々が大きく揺れた。そして


「ビューン!」


と大きな風の音が聞こえたかと思うと一陣の強風が辺りを駆け巡った。


「あっ!」


葵姫は風に飛ばされそうになった。そこを後ろから紅之介がとっさに抱きかかえた。2人の顔が近づいた。一瞬だが、2人は見つめ合った。


「紅之介・・・」


葵姫がつぶやいた。その言葉にはっとした紅之介は葵姫から離れた。


「ご無礼しました。」

「いや、いいのじゃ・・・それよりも強い風であった。桜もかなり散ってしまったな。」


振り返ると確かに満開だった桜の花はかなり落ちてしまっていた。葵姫は何ごともなかったかのように離れへの道を歩き始めていた。紅之介はその場に立ち尽くして、その桜の木をじっと見ながら思っていた。


(桜の花落としの強き風。古来よりこの地では凶風として忌み嫌われている。なにか悪いことが起こらねばいいが・・・)


紅之介は悪い予感がしていた。


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