6.ふたり、弔う湖畔
「十和田さん、ワインカーブから鶴沼のツヴァイゲルトを持ってきて、20℃ぐらいに調整しておいてください」
「鶴沼のツヴァイゲルト、20℃ですね。わかりました」
「あ、今日はバースデーのお客様が入ります。ケーキはサプライズになっているから先に知られるような間違いなどがないように」
「はい」
篠田給仕長と仕事をする日々に慣れてきたが、彼は相変わらず仕事モードを解除するとぎゃあぎゃあと喧しい男になってしまう。あまりの大声で耳を塞ぎたくなることもある。
しかも最近『雪が溶けたら、俺のポルシェに乗ってみない~』なんて、ほんっとチャラいナンパみたいな誘いまでしてきて、『もう、やだ!』と大声で叫びたくなることもあった。
そりゃ、秀星とだって上司と部下だったけど、一緒に食事を何度もしたよ。休日の半分は彼と一緒にいたと言っても過言でない。それは葉子だけではなく、父の政則も、母の深雪も。それだけ秀星は十和田家と一緒に過ごしていたのだ。秀星のお誘いはナンパとは思っていなかった。
なのに、なのに。この
それだけじゃない。最近は、葉子が動画撮影に向かおうとすると、必ずひっついてくる。
気温がプラスになり始めたころ、雪が溶けて散策道も歩きやすくなったので、葉子は野外での動画配信撮影へと切り替えた。
葉子が『暖かくなったので、いつもの時間に、外での活動開始します』と屋内録画から朝の湖畔へでかけるようになると、『俺も俺も。朝の何時?』と必死になって後を追ってくるのだ。
湖面の氷が溶けてくると、春の訪れとともに白鳥が旅立ち、水辺に『水芭蕉』が咲き始める。
この日も、篠田給仕長が勝手に決めた集合時間もおかまいなしに、ひとりで湖畔へと出向くつもりだったのに。きちんと時間にやってきた篠田給仕長が一生懸命、後を追ってくる。
「わー、寒いようー。四月なのになんでこんな寒いんだよぅ」
篠田はダウンコートを羽織っているのに、葉子はもう薄いトレンチコートで、ギターを背負って歩いている。
なんでついてくるかな。ライブ配信はひとりのほうが気が楽。誰かが見ていると気が散るので、ほんとうは付いてきてほしくない。
「給仕長、春も初めてで慣れていないんですから、一緒に来なくていいですってば」
「やだ。俺はこの寒さに早く慣れたいんだ。それにハコちゃんの唄も生で聴けるのは俺だけという超絶レアな特典を捨てられない」
葉子ちゃんの唄、スキ! ステキ!! と、耳にタコができるくらいに、篠田給仕長はしょっちゅう伝えてくる。調子の良いお世辞だろうと葉子も放っておいたのだが、毎日そばで唄を生配信を聴きたいと欠かさずついてくるようになると、葉子もなにも言えなくなってくる。
彼も画面の向こうにいる視聴者とおなじ、葉子の唄の聞き手のひとりには違いないのだから。
春の散策道は、まだ残雪で湿っていて
「こんなプラスの気温なのにダウンコートを着ないと寒いなんて、まさに内地の人そのものじゃないですか。観光客と一緒ですよ。給仕長はまだ神戸の人と一緒なんです。北国が初めての人は体調に人一倍に気をつけたほうがいいですよ」
「撮影だけならすぐに終わるんだろう。俺も見たいよ~。映像じゃなくて生の大沼の春を見たいよ~」
なんなの。言い出したらきかないところがあって、妙に子供っぽさを感じてしまうこの奇妙な感覚。アラフォーの大人だよ。秀星よりは幾分か若い年齢だが、それでも二十代の葉子から見れば『おじさん』。落ち着きがないしうるさいし、本当に心が安まらない。
葉子はいまも毎朝、秀星が息絶えた場所に向かい、その日の大沼小沼蓴菜沼と駒ヶ岳の風景を撮影しながら、カメラスタンドの後ろで、姿が出ないように唄っている。
「おはようございます、ハコです! 今日も野外でライブ配信をしていきたいと思い、いつもの水辺にやってきました。唄う前に、いまの大沼の景色をお届けしますね」
唄う前、葉子はその日の季節の様子をコメントしている。
今日立っている水辺にも水芭蕉が咲いていた。
「北国の春は本州に比べると気温が低いのですが、水芭蕉が咲くと、春だなと感じます」
白く可憐な水芭蕉がみっつほど寄り添って咲いている姿を、カメラを自ら持って撮影し紹介したあと、葉子はいつも固定しているスタンドにハンディカメラをセットする。
スタンドの後ろに立って、背負っていたギターを肩にかけなおし、ピックを持って姿勢を整えた。
「今日のリクエストは、アルパチさんから、佐野元春『約束の橋』――」
「うっそだろ!?」
葉子の後ろにいた篠田給仕長が、良く通るあの声を張り上げた。
毎日葉子にひっついてきても、いつもは後ろで息を潜めて大人しくしているしてくれているのに。葉子も驚いて、後ろに振り返ってしまう。
ちょっとライブ中ですよ!! 彼に向かって葉子は目線で怒って睨んでいた。
篠田給仕長もハッとして口元を大きな手で覆って、『ごめん、ごめん』と本当に申し訳なさそうな顔で、拝み倒すような無言ジェスチャーで謝ってくる。
そして葉子も違う意味でハッとして焦る。
撮影映像の確認用にそばに置いているタブレット、そこに表示させていた自分の動画チャンネルに、ガンガンとコメントが入り始めている。
*なに、いまの声!?
*この前からそばで、変な声が入っているよね!?
*ハコちゃんの家族??
*うん、聞こえたことある! 寒い寒いって聞こえたことある!
*俺は『うわ、めっちゃ吹雪』って聞こえたことある!
*ハコちゃん、真冬はレストランの室内で唄っているもんね
*え、従業員?
そんなコメントが増えていくのを篠田給仕長もスマートフォンで眺めて、『うわわ、マジか。俺、遠くで見ていたのに。声がでかいから??』とたじろぐ姿が、葉子の後ろで繰り広げられている。
だがハコはそのまま、何食わぬ顔で姿勢を改め、唄い始める。
その間、ずうっとずうっと頭の上にクエスチョンマークが何度も浮かんでは消えて浮かんでは消えて――。
今日の楽曲? それともアルパチさん?? 知り合い?? まさか??
「本日もご視聴、ありがとうございました。午後はまたSNSにて、北星秀の本日の写真をアップしますので、見に来てくださいね! それでは、また明日」
ライブ配信をしていたオンラインを切り終えると、それを確かめた篠田給仕長が『やっと喋れる』とばかりに、また騒々しくなる。
「わー! 今日もめっちゃいい声じゃん! やっぱ葉子ちゃんの唄、イイ!! ギターもステキ!! あ~アルパチさんも、めっちゃ喜んでるよう」
「だと、嬉しいですね」
淡泊に返答しながら、葉子は機材を片付ける。
「声が出ちゃってごめんね~。でも俺、毎回、葉子ちゃんの後ろで、サイリウムを持ってキレッキレのダンスしちゃいたい気分でうずうず!!」
うわー、そんなこと絶対にしないで!! と、喉元まで出かかって葉子はなんとか飲み込む。
そんな、すらっと背も高いハンサム給仕長が、蛍光色のサイリウムを両手に持って、湖畔でキビキビ踊っている姿なんて想像できな……、いや、なんだろう、この給仕長なら想像できちゃって、ほんとうにオタ芸もなんのそのやりこなしそうで、葉子は焦った。
「やめてください。ひっそり撮影したいので」
「たとえだってばあ。でも、俺の心の中の、ちっちゃい俺が、葉子ちゃんの後ろで毎日、サイリウムダンスしているからね!! それだけウキウキ応援しているの!」
「……そ、そうなんですね。あ、ありがとうございます」
こんな、いちいちテンションが高い男と秀星は毎日一緒にいたのかと思うと、凄いなと素直に感心している。
「今日も上司の俺が、グッドボタン押し、高評価一番乗り!」
スマートフォンを高く掲げて、ビシッと戦隊ものポーズを決めている。ほんとうに、どうしてこう……。秀星と正反対すぎて、目を瞠るほどのギャップをばんばん投げつけて来る篠田給仕長。だが、哀しんでいた心の空洞を『
「帰りますよ。帰り道もぬかるみに気をつけてくださいね」
「はーい。帰ったら北星秀の写真選びでSNS投稿だね! おじさんがめっちゃ美味しいミルクティー煎れてあーげる!」
彼を後ろに散策道を先に歩きながら、最後はひっそりと頬を緩めている葉子だった。
うるさいけど、憎めないんだよな。秀星さんもそうだった?
あなたが去って二年が経ったよ。あなたがこの人を大沼まで呼んじゃったのかな?
---☆
給仕長のデスク座り、写真データを眺め、葉子は今日もピックアップ中。
篠田給仕長はそばにある小さな椅子に座って、厨房で煎れた紅茶を持ってきて休憩中。
葉子の手元にも、約束してくれたミルクティーを置いてくれた。
篠田給仕長が作ってくれる休憩のドリンクは、どれも美味しかった。
器用だなと葉子は感じている。手先の動きがなにをしても綺麗で、なんでも上手くやりこなす人。
大人の男だからこその余裕を垣間見ることも多い。葉子が素っ気なくしても、うるさいなと顔をしかめても、篠田給仕長は笑顔で平気な顔をしている。そして、葉子を労るさりげない優しさも忘れていない。そんな余裕だ。
「今朝の篠田さんの声、ライブ配信だったから消せないままなんですけれど。なにがあったんですか」
「あ、ごめん。……えっと、なんでもないよ。悪かったよ。気をつける」
「どうして驚いたのですか。教えてください」
「佐野元春……俺が、大好きな、唄だったもんで……」
ほんとうかな? 葉子は疑わしい目線を向けてみる。
だが、彼がリクエストをしてくれるとしたら、ダラシーノ名でしてくるはず。
ま、いいか――。そのうちにわかるかもと、今日は流すことにした。
彼が置いたミルクティーをそっと手に持ってひとくち……。ほんとうに美味しい……。このミルクティーを味わってしまうと、賑やかしいばかりの上司の騒々しさも許してしまいたくなる。
「いつも、おいしいです。ありがとうございます」
しおらしく礼を伝えると、また篠田給仕長がニマニマしているから、葉子は再び眉をひそめる。
「どうしていつも、楽しそうなんですか」
「え? あ、うん、いま毎日楽しいよ!」
「そう、ですか? 神戸に帰りたくはないのですか。期限付きの契約なんですよね」
篠田は葉子へと満面の笑みを見せて、答える。
「でも。もう帰らない!」
「ええ? だから契約期間があるんですよね」
「あるけど、そんなの一年後だし。一年で俺、満足できるかな~。あっという間に三ヶ月経っちゃった。まだまだ葉子ちゃんに教えたいこといっぱいある。それに、俺も大沼とフレンチ十和田も気に入った!! だ・い・す・き!!!」
また毎度の喧しさになるが、日に日に篠田という男の愛嬌に、葉子の心も少しずつほぐれていくのがわかる。
なにより、こんなに騒がしくて落ち着きがないのに、いざという時、彼からも『凛』とした芯が見えることがある。きっとあれがこの男性の真の姿なのではないかと葉子は感じている。
それがいま、葉子の目の前で起きている。朗らかで屈託がない笑顔と快活さを振りまいていたのに、急に彼が大人の静けさを醸し出していた。
「先輩がどうしてここに居着いたのか。よくわかるようになった。でも、俺もまだ見つけていないんだ。葉子ちゃんのように……。どうして先輩が俺を置いて逝ってしまったのか……。俺も知りたいんだ」
だから、まだここにいる。篠田給仕長が本当はどんな気持ちで大沼に来たのか、葉子にも通じてくるようになっていた。
「葉子ちゃんと、シェフと深雪さんと一緒に、俺もここで先輩を弔っていくよ」
遠い神戸にいた後輩さんと葉子は、今日もおなじ土地にいて白樺木立の風に吹かれながら、秀星を一緒に想っている。
「ハコちゃん、明日はなにを唄うのかな」
「うーん……。ダラシーノさんが好きな曲」
「え、え。マジ!? マジで!?」
いざとなって思いつかない様子の篠田給仕長だった。
次回⇒秀星視点の『番外編』名もなき朝の写真【新エピソード+改稿版】
※4章は秀星編の次に開始します
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