第38話 タクシー・ドライバー募集中!

「『世界を解く鍵をあげるわ』」


 男が、女の声色を使ってそう言った。

 まったく、胸糞悪い。

「電話してみたらさ、色っぽい声の女がでて、そう言ったんだ。『×月×日、橋の下に来てね。目からウロコの「シンリ」や、世界の根拠アルケーを教えてあげる。合言葉は○○○○○ごにょごにょごにょよ……』」

「……」

「ってよ」

 男は、少し照れたように付け足した。

「おれは行くぜ。あんたもどうだ?」

「インチキセミナーで、金をむしり取られるのがオチだ」

 私の妻は小難しいことを立て並べるくせに妙に無防備で、すぐにうまい話になびいてしまう。家に届く勧誘のチラシはすべて破り捨てている。私が警戒しないと、家はどうにかなってしまうだろう。

「ま、無理には誘わないさ。行かないと後悔するけどな」

 男は体を揺さぶって尿を切ると、ズボンのジッパーを閉めた。去ろうとしたところで、私の顔を穴があくほど見つめた。

「……あんた、有名人じゃないか?」

「いや、そんな大したもんじゃない」

「わかった! プロレスラーだろう?」

 男は、快活な声を上げた。

「その赤ら顔ラディ・フェイスどっかで見たことがあると思ったんだ! なぁ、旦那。そうだろ?」

 有名人だとわかった途端、『旦那』か。

 調子のいいやつだ。

「……もし試合に来たら、応援頼むよ」

 私は投げやりにこたえた。

 彼は「ふぅ、すっきりしたぜ」と満足げに口の端を上げ、手も洗わずに出ていった。

 だが、すぐに戻ってきて、「それにしても、長いションベンだな。どれだけ長ぇホースなんだ?」とからかい、再び出ていった。

 そうだ。

 私は小便をとっくに終えていたのに、そのままの状態で話をしていたのだ。

 再び、壁を見た。

『タクシー・ドライバー募集中!』だとさ。

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