第5話/親の死に目に会うことより、大切なもの
だが、スコアラーは球団からいなくなってしまった。
彼と飲んだ翌日の話だ。
その日は酷く蒸し暑い日だった。キリンだって、首のたたみ方をさっぱり忘れてしまう。
登板機会もなかったので、試合の結果なんてどうでもよくなっていた。まるで父親に無理にナイターに連れてこられた少女のように、退屈していたのだ。
私は試合後に激しい便意を覚え、便所に駆け込んだ。すると便所の個室であるものを見つけてしまった。
彼のスコアブック。
ビリビリに破かれ、便器にねじこまれていたのだ。幼稚で心のない嫌がらせだが、よくあることだ。
組織には常に『むきだしの子どもっぽさ』が付きまとうのだから。
個室の外からは、スコアラーのヒステリックな金切り声が聞こえた。その声は私を苛立たせた。
「ぼくのスコアブックがない! 今日のスコアブック! たしかにさっきまであったのに! 最高の出来だったんだ! ……スコアブックがない!」
付ける人間によって、スコアブックの出来にどれほど差がつくのかわからない。まぁ、こいつが言うのならそうなんだろう。
彼はいつもスコアブックを肌身離さす持っていた。にも関わらず、その日のあまりの暑さに、彼はスタジアムのシャワーを浴びてしまったのだ。スコアブックをロッカーに残して。その間に、こんなことが起きてしまった。
強くドアをノックされた。ぶち破ろうとする勢いだ。
「ねぇ、どこにあるか知らないかい? 知らないかい?」
彼は中にいるのが私と知ってか知らずか、責め立てるように問いかけた。
私は咄嗟に水洗ペダルを踏んだ。毒々しい水色の液体が、スコアブックを流していった。
これは、私の優しさだろうか?
いやいや。下らないことを考えるのはやめよう。親の死に目に会えずとも、スコアブックからは目を離してはいけなかった。
それだけだ。
「知らないな」
私は、扉越しに言った。
スコアラーは、悲壮な空気だけをこの場に残して去っていった。
その翌週、彼は球団を辞めたそうだ。きっとこれでよかったのだ。(犯人は見つからなかったし、誰も事件に興味を持たなかった)
彼は今でも、私の負ったランナーを記録しているのだろうか?
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