馬車が行き着いた先には、大きな一軒家が建っていた。

 先日の領主の館に比べれば、大きさは幾らか劣る。だが、煉瓦れんがの壁に美しく這うつたからは、家の歴史と当主の威厳がうかがえた。

 

「ご足労いただき、誠にありがたく存じます」

 柔らかい雰囲気をもつ初老の男が、うやうやしく魔女に頭を下げ迎え入れる。使用人のように腰の低い男は、この大きな屋敷の主人だ。

 男は、魔女の隣に立つ少年へ目を向ける。帽子をかぶり、質素な服を身に着けた幼い少年は、背をぴんと伸ばし胸を張った。魔女が「うちの使いさ」と言うと、頬を赤らめた少年は素早く注文書を魔女に差し出し、「使い」の仕事をしてみせた。

「娘さんの婚礼衣装、ってことだったね」

 魔女は、ぼろぼろの注文書を丸めたまま屋敷の主人に渡す。

「ええ、ありがとうございます」

 丁寧に応えると、主人は受け取った羊皮紙に目もくれず、すぐに使用人へと渡した。

 

 馬車に積んであった大荷物は、この家の使用人によって部屋へと運び込まれた。使用人たちは皆、男も女も初老の主人より年齢が上に見える。彼らが重い荷物を持ち運ぶ姿を、はらはらしながら少年は見守っていた。


「あたしは見ての通り、古い人間だからね。この型でいいのかどうか、奥さんか娘さんに確認を――」

 大きな箱を卓へ乗せながら魔女が言うと、「いえ」と男が言葉を制した。

「型は、お任せいたします」

「そうかい。随分と信用されたもんだね」

 魔女が箱を開けようとすれば、その蓋を男が押さえる。

「いきなり、婚礼衣装を見せては、その――」

 歯切れ悪く言う男に、魔女は鼻で息を吐くと、扉のそばに立っていた使用人を指で呼びつけ、卓に置いた箱を別のものと変えさせた。

 


   ※


 

「何……?」

 呼んできます、とそそくさと立ち上がった男が戻ってきた時には、若い娘を連れ立っていた。客の前でありながら、不貞腐れたように話す娘に、男が小声で注意をする。しかし、娘は周囲にある服を見て、さらに眉をひそめた。

「ねぇ。いやって言ってるじゃない。どうしてお父様はわかってくださらないの?」

 憤慨する娘を、男はなだめる。

「違うんだ。これはただの服だよ。見てごらん」

 卓に広げられていたのは、裕福な娘が着るのに相応しい型の服だった。

 白を基調としたその服は、裾や首元にふわりと揺れる薄衣うすぎぬが波打っており、華美になりすぎない装飾品が奥ゆかしく添えられつつも、袖口にはつややかな真珠色のぼたんが輝いていた。少女のような可憐さと、淑女がもたらす優艶さを同時に備え持つ魅力的な服だ。

 給仕のため居合わせた使用人も手を止め、思わず感嘆の息をもらした。


 娘は眉間のしわを無くし、少し頬を高揚させ服を見つめる。

 魔女は、何も言わずただ座って出された茶をのんびりと口に含む。

「ほら、着てみてはどうかい? お前のために仕立ててもらったんだよ」

 男は、娘の目が釘付けになっている服を手渡し、着るように促す。

「本当に……、私のための服、なのね?」

 男が頷いたのを確認すると娘は、「着替えてくる」と部屋を離れた。


「ありがとうございます。これで娘は――」

「まだ契約は終わっちゃいないよ」

 ほっと一息つき長椅子に腰を下ろした男に、魔女は厳しい口調で言う。


 魔女が用意したのは「祝福の服」。それを着ればどんな状況でも幸せな気持ちになる。


「この効果は一度着れば脱いでも続く。だが、一夜経てば覚めてしまう。それゆえ、夜着、普段着なども入り用になるが――、大丈夫かね」

「ええ、ええ。大丈夫です。うちはもう安泰ですので」

 朗らかな顔で男は言うと、使用人に貨幣袋をどっさり持ってこさせた。

「これは、あたしの労力への対価だ」

 袋を一瞥いちべつすると、魔女は男に向き直った。

「こっからが、あんたとの契約」

 「不思議な」力が効力を発揮するには、魔女との契約が結ばれなければならない。契約には「不思議な」力によって生み出されたものと同等の価値のあるものが必要となる。

「『本当に幸せか?』など、本心を問う言葉をかけてはいけない。それが、あんたの支払う代価さ」

 魔女は腹をとんとんと叩くと羽織から小さな鐘を取り出し、男に突き付けるように見せた。

「ええ、わかっています」

 男は躊躇ためらうことなく応え、力強く頷く。

 高い鐘の音が響いた後、娘が踊るように部屋へ戻ってきた。魔女の仕立てた服をまとって――。




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