「――では、契約は成立ということで」


 隙間風のような掠れた笑い声が耳に飛び込み、幼い少年は目を覚ます。

 ぼうっとした頭に、ばたんと戸が閉まる音が響く。少年は布団から飛び起き、薄紅うすべに髪が跳ねているのもそのままに寝室を抜け出した。

 薬草の匂いに満たされた部屋で、少年の寝ぼけまなこがぱちりと開く。そのこぼれ落ちそうな若葉色の瞳に映るのは、古い椅子をきしませ、大きな鍋をじっくりかき回す白髪しらが頭の老女の姿だった。


「まじょだ!」

 老女は、起きてくるなり大声で叫ぶ少年を一瞥いちべつする。そして大きく息を吐くと、再び大鍋へと顔を戻した。

「薄紅……。お前はまた、意味のわからんことを……」

「ごめんなさい〜。だって、おししょう、すごい、りそうのまじょのかっこうしてるんだもの……」

 少年は口に両手をあて、頬を赤くする。

 「魔女」と呼ばれた老女は、眉間のしわをさらに増やした。

「だからその、……まぁ、いい。聞いてもお前にもわからんのだから」

 魔女は、言いかけた言葉を飲み込み、ため息に変えて吐き出した。それから口を尖らせ目だけをちゅうに向ける。「ちょうどいい」と呟くと、手でちょいちょいと少年を招いた。


「おししょう、なぁにこれ」

 そわそわした様子で少年は大鍋に近づく。

 魔女は鍋を見つめながら手探りで少年へと手を伸ばし、「最後の仕上げに……」と寝癖のついた薄紅髪を一本引き抜いた。

「いたい!」と、小動物のような悲鳴をあげた少年の頭をひと撫でした後、魔女は大鍋と対話するように続ける。

「美しい娘の髪の毛を一本……」

「むすめじゃないよ? ぼく」

 髪の毛を抜かれた箇所を撫で付けながら、唇を尖らせ、少年が言う。

「ん? あぁそうだったか。まぁいい。美しい髪を一本」

「てきとうだぁ〜いいの?」


「いいかどうかは、これから決まる」

 魔女は、くしゃりと頬にしわを作ると胸に手を当てる。そのまま拳で胸のあたりを数回叩けば、軽い音がこんこんと鳴った。そして羽織の内側から小さな鐘を取り出す。鐘の中には黒い振り子が備わっていた。魔女は鐘についた木製のを節高い指先で摘まむと、軽快に振ってみせる。すると、その小ささに見合わない大きな金属音が鳴り響いた。

「成功だ」

 しわのある顔をくしゃりと歪め、少年に笑いかけた。


 少年は目を輝かせ大鍋を見つめる。すると、鍋いっぱいにあった水気がどんどん引いていき、大鍋はあっという間に空っぽになっていった。

 魔女は、空になった大鍋へ手を突っ込むと、探るように腕を動かした。しばらくして、腕がぴたりと止まる。魔女は片眉を上げにやりと笑うと、鍋から拳を引き上げ、少年の前に差し出した。

 ゆっくりと開かれた魔女の手のひらには、指輪がのっていた。

 指輪の中心には、少年の髪と同じ薄紅色をした丸い石がどっしりと備わっている。


「きれぇ……。これは なんのゆびわなの?」

 少年は、石の輝きにかれるように手を伸ばす。「触ると呪われるぞ」と言われ、少年は慌てて手を引っ込めた。

「こいつは、強欲の指輪さね。これを付けた者は強欲になり、どんなものであれ、どんな代価を払ってでも欲しくなる」

「そいつが、がらくたであってもね」と、怪しく笑いながら、魔女は言う。

「この指輪を最初に売りつけ、次にくず石を高値で買わせる寸法よ」

 魔女の笑い声は掠れ、いっそう怪しさが増した。

 そんな魔女の姿を少年は、「ほんもののまじょだ!」と、目を輝かせて見ているのだった。


「さぁ、こちらの準備は整った。薄紅、お前も支度をするんだよ!」

 魔女は、自身の足をぱしんと打つと、肘掛けに置いた腕に全体重をのせ、重い腰を椅子から引き離した。

「したく?」

 きょとんとした少年の目に追われながら、曲がった腰を押さえて魔女はゆっくり戸口へ歩いていく。


「宝石商として、恥じない格好をするのさ」

 魔女が戸を開け放てば、外の光が薄暗い部屋に一気に流れ込む。

 少年が目をくらませた次の瞬間には、ふたりの住む小屋の前に大きな黒い影がそびえ立っていた。それは、山小屋がぽつんとひとつ建つだけの森の中には、不釣り合いな豪奢ごうしゃな馬車だった。

 馬車には芦毛の馬が二頭繋がれており、立派な御者ぎょしゃ席には頭から爪先まで黒で統一された男が微動だにせず着席している。四つの車輪がついた箱型の車体は、艶やかな黒塗りで所々に金色が装飾されており、屋根や窓には上質な革が貼られていた。

 

 口をぽかんと開け、立ちすくんでいた少年は、馬のいななく声で我に返る。そして魔女のほうを見るが、そこでさらに驚くことになる。

 魔女の姿は、老女から、気品溢れる若い女の姿に変わっていたのだった。



 

  

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