■Ending:あるいは日常
どんな事件が起ころうとも、
拡大し続ける宇宙のように。あるいは、燃え盛り燃え尽きるさだめの恒星のように。
都市の光を見下ろして、私はビルの屋上で月餅を食べていた。あんこも生地もずっしり重い。身体中に
Webでは『NFL-セキュリティの乱』などと呼ばれる事件から、一ヶ月が経った。ばらばらに砕け散った義足は、できるかぎりパーツを拾い集めて……実際に拾ったのはNFL-セキュリティの鑑識班で、私たちは権利を主張して返してもらっただけだけど……ツァーンラート社へ送りつけた。代わりに、同性能で重量を2%も軽減したマイナーチェンジ版を受け取った。
月餅のお供にと思考内だけで流している
『これは凄い技術ですよ。だが同時に恐ろしい技術でもある。開発者の方が特許を取り、公開したのは、勇気がいる決断だったでしょう。おそらくは今後、特許権を放棄し完全な
「わかってるね」
うんうんと頷く。技術の中身はわからないけれど、そういうことなのだろう。
「いたぞ!」
「人を集めろ!」
下の階からそんな声が聞こえてきた気がするが、今は休憩中なので無視する。
捕らえられた黒い
私は、届けるべきところに、荷物を届けられただろうか。
月餅も食べ終えて、ふう、と一息。都市の夜を吹き抜ける風は、この高度ならば涼しい。
「捕らえろッ!」
軍隊もかくやの
今は休憩中だから、無視する。
「鍋島
「その名前で呼ぶなっつってんだろ!」
休憩は終了。ぱぱぱ、と本当に玩具のような軽い音を立てて放たれる
「落ちたぞ!?」
「絵だけは回収しろ!」
「馬鹿、待て!」
屋上の出っ張りに脚を引っかけた姿勢から、義足の力で体勢を戻す。下からせり上がってきた私の動きに対応できず、驚いた表情をしている男と目が合った。にっこり笑って空気銃を掴み、ぐいと引いた。私は屋上へ戻り、男は代わりに外へ。
「うわぁあああ!?」
「誰か助けてあげなよ!」
咄嗟に手を伸ばして助けに入るやつがいたので任せる。ちゃんと友情してるじゃないか、感心感心、などと自分の行為を棚に上げて、私はビルの屋上を走る。空気銃がばらまく銃弾を置き去りにして、屋上を縦断、逆側の端から跳ぶ。
「げ」
踏み切りが、若干甘い。
義足の踏んだ感じが微妙にイメージと違ったせいだ。同じくらいの高さの隣のビルまで、ぎりぎり届く計算だったのだが。何とか届かないかと手を上に伸ばしつつ、目は壁に着地できそうな取っ掛かりを探す。
と、挙げた手が掴まれた。
「何やってるんですか!」
「キヌ!」
私を掴んでくれたのは、
「久しぶり。そっちは元気?」
「その話、引き上げてからでいいですか!?」
ぐいと力強く引き上げられる。私も一緒に壁を蹴り、屋上へとよじ登った。先程までいたビルから、圧縮空気に押し出された銃弾が飛び来るのを避けて、タンクと配管の後ろに身を隠した。
「助かった、ありがとう!」
「どういたしまして……では、逮捕しますね」
かしゃん、と腕に手錠がハマる。同時に脚にも高質量錠がはめ込まれた。
「……不当逮捕だ!」
「警告不要の現行犯逮捕です。貴女が背負っているその絵、盗品なので」
「待って待って!? 私は普通に
「
「よくご存知で。っていうか、あれか。あっちの連中、もしかして……」
「はい。ご同業、警察企業ですね。国際的な追跡に強い、
『社長ー!?』
『ははは、これは不思議なこともあるものだね』
『何が「信頼できる依頼者から、簡単な絵の移動の依頼でね」なのかな!?』
『いやいや、まさか盗品だとは想像もしていなかったよ。ともあれ、より注意して移動してくれたまえ』
『既に捕まってるんですけど!? ……あ、通信切りやがったな!?』
社長への怒りを込めてうなると、キヌが警戒の視線を向けてきた。暴れる獣を見るような目だ。失礼な。
「相談は終わりましたか。ではご同行をお願いします」
「NFL-セキュリティ、この前のあれで営業停止じゃなかったっけ?」
「営業縮小ですよ。交番機能や、治安維持は必要ですから。……上層部は総入れ替えで、今は警察庁の役人が指示出してますけど」
警察企業が犯罪に関与し、
話で気を逸らして逃げようとするが、キヌの手首に繋がった手錠は外れないし、脚に嵌められた高質量錠は、動けないほどではないがずっしりと重い。油断してくれない女だった。
「ふうん、大変そうだね……っせい!」
「ええ……その節は本当にご迷惑をおかけして。ティコさんにも、市民の皆様にも。そのうえ、私の処遇にまでお口添え頂いて……。それはそれとして、ヒトの力で手錠を破るのは無理ですよ」
「いいってことよ。私も助けてもらったし。これからどうなるの?」
「わかりません。事業を整理して、新たに一企業として行政の入札に参加することになるかと」
「あー……流石に厳しそうだね」
「ええ。既に、次の入札のために各企業が『実績』作りに奔走していますし」
「ねえ、キヌ。……良かったら、その……〈コーシカ商会〉ではバイク乗りも募集しててさ」
うぐ。思ったよりおずおずした言い方になってしまった。別に恥ずかしいことでもないんだから堂々と誘えばいいのだ。深呼吸して、告げた。
「うちに来ない?」
「……ありがとうございます。凄く光栄です、本当に」
キヌの表情は……うん。言葉の通り、嬉しそうな、少し照れたような表情だった。心なしか犬耳に似た
けれど、彼女は首を横に振った。
「ですが……やっぱり私は、警察官でいたいんです。契約が切れる瞬間までで、二度と警察官にはなれないかもしれませんが。……だから、逃がしませんからね」
「堅物め」
「何とでも。……それに」
「それに?」
「私が辞めたら、誰が貴女に追い付けるんですか」
「……あっは。違いない」
思わず、笑ってしまった。この女。絶対負けてやらない。
「そういえば、あのときの反撃がまだだったね」
「……反撃?」
怪訝な顔をするキヌ。にまりと笑いかけて、手を伸ばす。警戒したキヌが腰の警棒に手をかける、その動きこそが隙だ。
手錠が嵌った手を、キヌの背中へ。逆側の手を脚へと伸ばす。
あの夜の再現、お姫様抱っこだ。
「と、お!」
「わ、わっ!? ちょっと、何をするんですか!」
「暴れると二人とも落ちるからね!」
「なら端を歩かないでください!」
脚と違って、腕はそこまで鍛えていないから、キヌの体重を支えておけるのはほんの数分だ。決して彼女が重いわけではない。装備もあるし。
その間に交渉をまとめなければ。
「私は荷物を運びたい。キヌは犯罪を解決したい。なら、私が運ぶまで待って、それから回収したらいいんじゃない?」
「む……一理ありますね……」
「でしょ?」
「貴女は逃しませんが」
「やってみな。……じゃあ、手錠外して?」
「……しかたありませんね」
交渉成立。キヌを降ろし、手錠を解いてもらう。
手が自由になった瞬間に、跳んだ。
高質量錠の重みが脚にかかるが、出力を上げて無理やり身体を宙に踊らせる。眼鏡越しの、驚いて見開かれた瞳。周囲から向けられるドローンのカメラと、隣のビルから叫ぶ連中の声。その全てを振り払い、重力に抗って、私はビルの谷間に身を投げ出した。
一瞬だけ、重力から解放された私を、あらゆる現実がすぐに捉えに来た。ドローンは追ってくるし、脚は重いし、身体は落ちていく。何もしなければ、
笑う。
都市に満ちる光の中を落ちながら、ビルの壁面を蹴って速度と方向を制御しながら。私は笑って、星の中を駆け抜ける。
今はままならない現実だけれど、いつか。
「宇宙のどこへだって、行ってみせる!」
《了》
摩天楼スイングバイ 橙山 カカオ @chocola1828
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