■Ending:あるいは日常

 どんな事件が起ころうとも、都市シティの営みは止まらない。あらゆる騒動トラブルを内包して、都市は今夜も明るい。

 拡大し続ける宇宙のように。あるいは、燃え盛り燃え尽きるさだめの恒星のように。


 都市の光を見下ろして、私はビルの屋上で月餅を食べていた。あんこも生地もずっしり重い。身体中に糖分カロリーが行き渡るイメージ。屋上の縁に座り、脚をぶらぶらと揺らす。一ヶ月前に大破し、二週間前に接続した新たな義足あいぼうは、まだまだ慣らしが必要だ。


 Webでは『NFL-セキュリティの乱』などと呼ばれる事件から、一ヶ月が経った。ばらばらに砕け散った義足は、できるかぎりパーツを拾い集めて……実際に拾ったのはNFL-セキュリティの鑑識班で、私たちは権利を主張して返してもらっただけだけど……ツァーンラート社へ送りつけた。代わりに、同性能で重量を2%も軽減したマイナーチェンジ版を受け取った。無償ロハで。社長によれば、交渉の決め手は『空を走ったデータが欲しくはないか』だったそうで。


 月餅のお供にと思考内だけで流している配信アプリラジオからは、専門家の男性の声が流れ、聴覚神経を直接震わせている。いつもは落ち着いた声であろうおじさまだが、今日は興奮気味だ。


『これは凄い技術ですよ。だが同時に恐ろしい技術でもある。開発者の方が特許を取り、公開したのは、勇気がいる決断だったでしょう。おそらくは今後、特許権を放棄し完全なオープンソースソフトウェアOSSとして運用するのだと思いますが……この決断が英断と呼ばれるかどうかは、今後の人工知能業界次第だと思います』

「わかってるね」


 うんうんと頷く。技術の中身はわからないけれど、そういうことなのだろう。


「いたぞ!」

「人を集めろ!」


 下の階からそんな声が聞こえてきた気がするが、今は休憩中なので無視する。

 捕らえられた黒い機動安全服ハーネスから情報を得て、北楽きたらさんはすぐに救出された。衰弱こそしていたものの生命に別状はなかったそうだ。その時は私も病院にいて、勝手に公開してしまったことを謝れなかった。悩んでいる間に、先にお礼のメッセージを受け取ってしまった。『届けてくれて、ありがとう』と。


 私は、届けるべきところに、荷物を届けられただろうか。

 月餅も食べ終えて、ふう、と一息。都市の夜を吹き抜ける風は、この高度ならば涼しい。


「捕らえろッ!」


 軍隊もかくやの都市迷彩グレーに身を包んだ連中が、下階の階段から現れる。手には丸っこいカワイイ形状の銃器を握っている。圧縮空気を使う空気銃エアガンは、火薬ほどの威力はなくとも、何発も打ち込めば十分に人が殺せる玩具だ。発砲音も小さいし。

 今は休憩中だから、無視する。


「鍋島 綴子ていこ! 両手を上げて――」

「その名前で呼ぶなっつってんだろ!」


 休憩は終了。ぱぱぱ、と本当に玩具のような軽い音を立てて放たれる樹脂の銃弾プラスチックを避けて、座った姿勢から前へ身を傾けた。縁から落ちて、ふわりと、一瞬の無重力。


「落ちたぞ!?」

「絵だけは回収しろ!」

「馬鹿、待て!」


 屋上の出っ張りに脚を引っかけた姿勢から、義足の力で体勢を戻す。下からせり上がってきた私の動きに対応できず、驚いた表情をしている男と目が合った。にっこり笑って空気銃を掴み、ぐいと引いた。私は屋上へ戻り、男は代わりに外へ。


「うわぁあああ!?」

「誰か助けてあげなよ!」


 咄嗟に手を伸ばして助けに入るやつがいたので任せる。ちゃんと友情してるじゃないか、感心感心、などと自分の行為を棚に上げて、私はビルの屋上を走る。空気銃がばらまく銃弾を置き去りにして、屋上を縦断、逆側の端から跳ぶ。


「げ」


 踏み切りが、若干甘い。

 義足の踏んだ感じが微妙にイメージと違ったせいだ。同じくらいの高さの隣のビルまで、ぎりぎり届く計算だったのだが。何とか届かないかと手を上に伸ばしつつ、目は壁に着地できそうな取っ掛かりを探す。


 と、挙げた手が掴まれた。


「何やってるんですか!」

「キヌ!」


 私を掴んでくれたのは、機動捜査官シェパードの装備も眩しいキヌだった。


「久しぶり。そっちは元気?」

「その話、引き上げてからでいいですか!?」


 ぐいと力強く引き上げられる。私も一緒に壁を蹴り、屋上へとよじ登った。先程までいたビルから、圧縮空気に押し出された銃弾が飛び来るのを避けて、タンクと配管の後ろに身を隠した。


「助かった、ありがとう!」

「どういたしまして……では、逮捕しますね」


 かしゃん、と腕に手錠がハマる。同時に脚にも高質量錠がはめ込まれた。


「……不当逮捕だ!」

「警告不要の現行犯逮捕です。貴女が背負っているその絵、盗品なので」

「待って待って!? 私は普通に運び屋ミュールの仕事してるだけだけど!?」

台帳ブロックチェーンの調査で、盗品なのはわかっています。盗難自体は数年前の話なので、貴女は無関係だとは思いますが。……どうせ、品物を提出せよと言っても聞かないでしょう?」

「よくご存知で。っていうか、あれか。あっちの連中、もしかして……」

「はい。ご同業、警察企業ですね。国際的な追跡に強い、民間軍事会社PMC寄りの会社だったかと」

『社長ー!?』

『ははは、これは不思議なこともあるものだね』

『何が「信頼できる依頼者から、簡単な絵の移動の依頼でね」なのかな!?』

『いやいや、まさか盗品だとは想像もしていなかったよ。ともあれ、より注意して移動してくれたまえ』

『既に捕まってるんですけど!? ……あ、通信切りやがったな!?』


 社長への怒りを込めてうなると、キヌが警戒の視線を向けてきた。暴れる獣を見るような目だ。失礼な。


「相談は終わりましたか。ではご同行をお願いします」

「NFL-セキュリティ、この前のあれで営業停止じゃなかったっけ?」

「営業縮小ですよ。交番機能や、治安維持は必要ですから。……上層部は総入れ替えで、今は警察庁の役人が指示出してますけど」


 警察企業が犯罪に関与し、極道ヤクザとのつながりまで露見したのだ。お咎めなしにはなるまい。黒い資金の繋がりが暴かれた〈ミネルヴァ生命保険〉と極道・金脇組にも捜査の手が伸びたと聞く。あの米倉という社長は……それでもふてぶてしく笑ってそうだけど。


 話で気を逸らして逃げようとするが、キヌの手首に繋がった手錠は外れないし、脚に嵌められた高質量錠は、動けないほどではないがずっしりと重い。油断してくれない女だった。


「ふうん、大変そうだね……っせい!」

「ええ……その節は本当にご迷惑をおかけして。ティコさんにも、市民の皆様にも。そのうえ、私の処遇にまでお口添え頂いて……。それはそれとして、ヒトの力で手錠を破るのは無理ですよ」

「いいってことよ。私も助けてもらったし。これからどうなるの?」

「わかりません。事業を整理して、新たに一企業として行政の入札に参加することになるかと」

「あー……流石に厳しそうだね」

「ええ。既に、次の入札のために各企業が『実績』作りに奔走していますし」

「ねえ、キヌ。……良かったら、その……〈コーシカ商会〉ではバイク乗りも募集しててさ」


 うぐ。思ったよりおずおずした言い方になってしまった。別に恥ずかしいことでもないんだから堂々と誘えばいいのだ。深呼吸して、告げた。


「うちに来ない?」

「……ありがとうございます。凄く光栄です、本当に」


 キヌの表情は……うん。言葉の通り、嬉しそうな、少し照れたような表情だった。心なしか犬耳に似た防護帯カチューシャが動いて見える。

 けれど、彼女は首を横に振った。


「ですが……やっぱり私は、警察官でいたいんです。契約が切れる瞬間までで、二度と警察官にはなれないかもしれませんが。……だから、逃がしませんからね」

「堅物め」

「何とでも。……それに」

「それに?」

「私が辞めたら、誰が貴女に追い付けるんですか」

「……あっは。違いない」


 思わず、笑ってしまった。この女。絶対負けてやらない。


「そういえば、あのときの反撃がまだだったね」

「……反撃?」


 怪訝な顔をするキヌ。にまりと笑いかけて、手を伸ばす。警戒したキヌが腰の警棒に手をかける、その動きこそが隙だ。

 手錠が嵌った手を、キヌの背中へ。逆側の手を脚へと伸ばす。

 あの夜の再現、お姫様抱っこだ。


「と、お!」

「わ、わっ!? ちょっと、何をするんですか!」

「暴れると二人とも落ちるからね!」

「なら端を歩かないでください!」


 脚と違って、腕はそこまで鍛えていないから、キヌの体重を支えておけるのはほんの数分だ。決して彼女が重いわけではない。装備もあるし。

 その間に交渉をまとめなければ。


「私は荷物を運びたい。キヌは犯罪を解決したい。なら、私が運ぶまで待って、それから回収したらいいんじゃない?」

「む……一理ありますね……」

「でしょ?」

「貴女は逃しませんが」

「やってみな。……じゃあ、手錠外して?」

「……しかたありませんね」


 交渉成立。キヌを降ろし、手錠を解いてもらう。

 手が自由になった瞬間に、跳んだ。


 高質量錠の重みが脚にかかるが、出力を上げて無理やり身体を宙に踊らせる。眼鏡越しの、驚いて見開かれた瞳。周囲から向けられるドローンのカメラと、隣のビルから叫ぶ連中の声。その全てを振り払い、重力に抗って、私はビルの谷間に身を投げ出した。


 一瞬だけ、重力から解放された私を、あらゆる現実がすぐに捉えに来た。ドローンは追ってくるし、脚は重いし、身体は落ちていく。何もしなければ、地面グラウンドに隕石よろしくぶつかってお終いだ。


 笑う。

 都市に満ちる光の中を落ちながら、ビルの壁面を蹴って速度と方向を制御しながら。私は笑って、星の中を駆け抜ける。

 今はままならない現実だけれど、いつか。


「宇宙のどこへだって、行ってみせる!」




《了》

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