■Orbital Operation(4)


『ギィィィィィッ!!』


 ハーネスが、啼いた。


 耳をつんざく警告音。視覚素子を囲む赤いライトが強く輝き、誰が見ても危険と解る赤い警告として夜を裂く。残像を引いて身を回し、ハーネスが脚で私を、剣でキヌを吹き飛ばした。

 義足の左足から、衝撃吸収材が飛び散る。


「きゃっ!?」

「うぐっ」


 なんだ、今のは。ハーネスの動きが、先ほどまでの『上手』な動きから、乱暴で早い動きへといきなり変わった。本気を隠していたのか。


「大丈夫ですか、ティコさん!」

「かすり傷だっての」


 蹴りを返された形になった左足からは、痛みの代わりに、危険信号アラートがたっぷりと送られてくる。警告音ねこのこえは鳴りっぱなしだ。人工筋肉の出力は15%低下。膝以下の神経伝達に遅延。骨格部分に軽微な破損の可能性あり、メンテナンスを推奨――無視する。


「……ティコさん、逃げて……っぐ!」


 警告を送ってくるキヌを、ハーネスが攻め立てる。その動きも、やはり先ほどとは段違いの速度で、キヌは防戦一方だ。


「この……ッ!」


 キヌを攻めている分がら空きの背中へ向けて、軽くジャンプからの回し蹴り。体重に勢いを乗せた蹴りは、しかし背中に当たる前に、掴まれた。

 素早いというか唐突な動きで振り向いたハーネスが、空中にある私の脚を片手で掴んだのだ。映画のカンフースターかよ、と脳裏でだけ毒づきながら、脚を振り回す。掴まれた場所を起点として、逆の足で顔に蹴りを浴びせようとしたが、敵の動きが一瞬早い。地面に、思い切り叩きつけられた。


「がっ、は……!」


 背中から樹脂舗装道路に激突。肺が圧迫されて、声と空気が勝手に出ていく。全身に痺れるような痛み。掴まれた勢いで太ももと義足の接続部クッションが変な風にねじれたか、『戦闘』モードで接続していた左足の感覚が遠く・・なる。

 仰向けに倒れた私に向けて、ハーネスが剣を振るう。


『ッギィイイイイ!!!』


 ――この都市時代に、斬られて死ぬなんてレアすぎる。

 あまりにも絶対無理ハードコアな剣の軌道を見て、思わずそんな感想が浮かぶ。走馬灯かこを見ている暇もない。容赦のないハーネスの攻撃が届くまで概算ざっくり0.2秒、それが私の寿命だ。

 このままじゃ死ぬ。オーケイ、そこまではいい。良くないが、受け入れろ。


「は」


 笑う。

 今の私にできることはただひとつ。構えて、待つことだ。何かが起こることを待つ。生存率0%が、0.01%になる瞬間を見逃すな。例えば、そう――


「ティコさんッ!」


 頼もしい警官が助けてくれる、とかだ。

 目の前で雷光がばちばちと輝く。キヌが投げた電磁警棒がハーネスの剣の根元に当たったのだ。侵食電流グレムリンは剣の表面を伝ってハーネスの腕に絡みつくが、おそらく絶縁コーティングだろう、弾かれてしまった。


 剣の軌道がずれてできた僅かな空間に、身を捩って潜り込む。文字通りの風切り音が頭上を抜けて、舗装樹脂に突き立った。剣を引き抜く動きの間に、必死に立ち上がる。舗装樹脂から抜かれた剣が下から振るわれるのを、踏みつけるようにして蹴り、反動で跳ぶ。距離を取って歩道に着地、した瞬間に声が出た。


「い゛っ、たぁい!」

「大丈夫ですか……!?」

「マジで助かった!」


 スニーカーの耐切創底部ソールは何とか耐えてくれたが、その衝撃が接続部に響いていた。太ももから、神経を引っ掻いたような痛みが脳髄まで駆け上がる。泣きそうになりながら無理やり笑う。痛みは生きてる証拠だ。

 傍らにキヌが立ちはだかるように構える。手には、投げた電磁警棒の代わりに細い警棒を握っている。短距離無線通信ウィスパー提案リクエスト、承認された瞬間に音声を送りつけた。


『逃げるよ』

『ですが』

『アレには勝てないでしょ!』


 状況はちゃんと見えているくせに、頭の固いキヌへ怒鳴りつけた。言ってることが情けない自覚はある。

 キヌの視線がハーネスから一瞬外れ、私の脚を見た。


『……わかりました』


 藍さんからの通信も共有する。


『NFL-セキュリティの到着は約六分後』

『二回死ねる』

『せめてこの橋から離脱しなければ……』


 考えている暇は残念ながらなかった。ハーネスが赤い視覚素子で夜を裂いて、こちらへ駆けてくる。ほぼ同時に、私たちも身を翻して逃げ出す。向かう先にはキヌのバイク。


『走れ!』


 バイクまでは数十秒。

 隙だらけの背中を狙い、ハーネスが剣を鋭く振り下ろしてくるのが解る。タイミングを測っている暇はない。踊るような回転スピンを入れてぎりぎり避けた。傷めた左足が動かしにくい。意識して地面をしっかりと踏み、蹴る。


 地面を叩いた剣が、舗装樹脂を砕いて抉る。その威力は生身の小娘を相手にするにはいかにも過剰なものだ。北楽さんを拉致したときの淑やかデリケートさはどこへいった?

 当たれば吹き飛ぶ刃を掻い潜る。背筋が震える。危険スリルを愉しんでいるのだと自分に言い聞かせても、顔が引きつる。刃の鈍い輝きが目に映るたびに、つい先ほど感じた死の恐怖が、全身を縛ろうとする。いやだ、こわい、死にたくない――そんな弱音を、せめて義足に伝わらないように堪えた。


 キヌを追い越さずに走る。私は義足の感覚センサーがあるから、背中を向けていても攻撃を何とか避けられているが、キヌには無理な芸当だろう。

 そのキヌが、何とかバイクに辿り着き、ひらりと跨る。嘶くエンジン音。無線通信に、声ではない、ごく簡単なデータが送られてくる。図形に似たそれは――戦闘機動マニューバだ。


 ステップを踏んで振り返る。ハーネスの視覚素子を睨み付けてやる。剣が構えられ、横に振るわれた。義足の出力を振り絞り……左足の損傷分、バランスを取るのが難しかったけど……灰銀色の一閃を飛び越え、二メートルあるハーネスをも飛び越えた。

 その寸前に、バイクが走り出している。蹴り飛ばすような加速で横に飛び出したバイクは、鋭く鋭角に曲がり、私に送信してきたとおりの戦闘機動でハーネスの背後へ。ハーネスが振り向いた時には、既に、私はキヌの後ろに収まっていた。


「っやは! ランデブー、成功……!」

「しっかり掴まって!」


 ハーネスが追いすがるが、流石にバイクの速度には敵わない。二秒でぶっちぎり、橋上を駆け抜けた。


「キヌ、各務さんの乗ったタクシーを追って! 護衛ガードに入ろう!」

「解りました。ヘルメットを!」


 風を切り裂いて走るバイクの速度と振動が、義足のセンサーを容赦なく刺激する。オフにしたはずの痛みを感じるほどに。だが、リンクスの接続深度は下げない。下げられなかった。黒のハーネスが、完全に知覚範囲外に出るまでは。

 左脚の故障ケガが生む警告の信号が、疼いた。 


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