■Launch(3)

 港湾地区ミナトには、天を衝くような高層ビルがいくつも立ち並んでいる。見上げても、星は見えない。夜でも明るいビル街の中、頼りない月だけがビルのガラスに映っていた。

 景観がどうとか地盤がどうとか、色々あったという。だが結局、『土地が足りない』という都市の宿命からは逃れられなかった。

 ドローンの進化と普及で、街のありようは少し変わった。何しろ空を飛べるのだ。少なくとも小さな品物について、地面に縛られる必要はなくなった。結果として、建物は集まり、高くなった。


 林立するビルの一角。二十八階、〈スピカ〉のオフィスにある会議室に、私と鷹見社長はいた。時刻は深夜に近く、オフィスにはもう誰もいない。


「お待たせしました。こんな時間にすみません」


 会議室に、一人の痩せた男が入って来た。三十代くらい。神経質そうな表情は、緊張だろうか、こわばって無表情に見える。鷹見社長が隣で立ち上がったので、私も慌てて立ち上がり、会釈した。

 社長が、左腕に嵌めた時計――端末ではなく、時間がわかるだけの機械式腕時計だ――を見て鷹揚に頷いた。


「お気になさらず。人がいない時間にしたいお話もあるでしょう」

「ありがとうございます。〈スピカ〉の、北楽きたらと申します」


 向かい合って、椅子に座る。社長はいつものダークグレーのスーツ。私もいつものパーカー。北楽さんは情報技術IT関係者の正装ともいえる、モスグリーンのTシャツにジーンズ。何とも奇妙な取り合わせだ。


「コーシカ商会の鷹見です。彼女は我が社のエース、配送員のティコです」

「よろしくお願いします」


 北楽さんが腕に嵌めた端末ウォッチを弄る。扉にロックがかかり、窓にはブラインドが降りる。多分電波遮断。何となく、圧迫感というか、閉塞感を感じるのは、リンクスに触れる電波が消えたからだ。流石は最先端の企業、機密保持の備えは万全らしい。

 それなのにリンクスは使っていないんだ、と、意外に思ったのが顔に出てしまったらしい。北楽さんがこちらを見て微笑んだ。


「リンクスも素晴らしい技術だけど、指で操作する感覚が欲しくてね。……それと、セキュリティ上、侵入口は少ない方が良い」

「なるほど。機密保持はやはり重要ですか」


 横から社長が口をはさむ。私としては、へぇ、と頷くしかない。


「商売敵も多いですからね。優れたAIは、概念を変えることもある」

「素晴らしい技術ですね」

「……今回の仕事も、あなた方には、そのような認識で取り組んで頂きたい。決して、誰にも覗かれず、奪われないと」


 端末を腕から外し、握り込んで、北楽さんが言う。なるほど、リンクスはオフに出来ても、取り外せないしね。彼の神経質そうな顔立ちは、真剣な……切羽詰まったような表情を浮かべていた。強い視線と言葉を向けられて、社長はむしろ鷹揚に頷いて見せる。


「お任せください。我々は荷物を完全に守ります――NFL-セキュリティからでさえも」


 社長の言葉に、北楽さんがびくりと反応した。わかりやすい。


「な、何故NFL-セキュリティの名前が……」

「御社、〈スピカ〉のバックには、交通インフラモビリティの〈カノープス〉と、材料工学の〈後七紡績〉がいますね。二社から二つばかり資金と人を辿れば、NFL-セキュリティに行き付く」

「……なるほど。確かに信頼できる実力のようですね」

「恐縮です。――狙われている?」

「ええ。と言っても、具体的に何か……というわけではありません」


 直截的な問いに、深いため息をついて、北楽さんが机に視線を落とす。


「情報を狙っての侵入ハッキングや泥棒くらいなら、経験があります。ですが、今はもっと……深い、何かに狙われている、そんな感覚が。……はは。誇大妄想でしょうが」


 北楽さんの苦笑に、一拍置いて社長が答えた。


「技術は、時に、世界を変えることがあります」


 社長は、なんとも驚くべきことに、笑っていなかった。真剣な表情を北楽さんへ向け、一度、深く頷く。


「あるいは、人という種の本能なのかもしれません。技術が、世界を変えると信じることは。そして、そう信じるからには、悪辣な手段を取ってでも奪おうとする者も現れる」

「……」

「あなたがどのような技術を開発したのか、我々は問いません。ただ、我が社の全力で以て、あるべき場所にお届けしましょう」


 言い切って、笑う。好戦的な笑み。全く、ウチの社長は恐ろしい煽り屋だ。


「……ありがとうございます」


 騙された、もとい、信頼してくれたらしい北楽さんが、ずっと手に持っていたケースを机に置く。治安維持組織規格レベルIIIの電磁波遮断ケースだ。

 解錠できるのは、ケースとセットで設計された物理情報二相鍵のみ。電磁波による透視も干渉も許さない。レベルIIIという規格は、一般的な企業がデータを保護するために使うには明らかなやりすぎオーバースペックだ。それだけ、北楽さんが警戒しているという証だった。


「鍵は?」

「送り先に一本。それだけです」

「送り先は」

各務かがみという男へ。私の知人で、弁護士をやっています。住所はこちらに」


 メモされた住所は、都市の中央部を越えて逆側の郊外。距離はそう遠くない。社長から視線を向けられて、頷く。一晩で十分配達可能だ――邪魔が入らなければ。

 社長はその場でメモを摘まみ、古めかしいジッポーを懐から取り出して、燃やした。


「では、荷物はお預かりします」


 社長がケースに手を伸ばす。中にはデータが詰まった記憶媒体が固定されているはずだ。それを、私が担いできた汎用規格レベルIIの電磁波遮断機能が付いたバックパックに詰める。レベルIIIのケースをそのまま持ち歩くのは、ここに重要物品がありますと喧伝するようなものだからだ。

 ずっしりと重いバックパックを担ぎなおす。その様子を見て、北楽さんはひとつ溜息をこぼした。


「……重くないかい」

「重いです。八割、ケースの重さですけど」

「頼もしいな」


 苦笑する北楽さんは、凄腕の技術者という感じはしない。さっきまでの張り詰めた印象が頭にあるからか、今は、疲れ果てて見える。彼にとって、このデータは重荷だったのだろうか。

 ふと、聞いてみたくなった。片手を挙げる。


「北楽さん」

「……何かな?」


 社長を横目で窺うと、何やら楽しそうに笑っている。許可をもらったと思っておこう。


「AIって、何ですか?」

「……」


 プロ中のプロ相手にこんな質問をするのは少々恥ずかしかったけれど……呆れて、怒って、席を立たれる可能性もあると思っていたけれど。予想に反して、北楽さんは一瞬考え込んだあと、少し微笑んで教えてくれた。


「人類の友」誇らしげな声――に続く、冗談めいた笑み。「……に、なるかもしれない存在だ」

「友達……?」

「そうだ。ただの道具ではない。でも、真に人類の友人になるには、まだ要素が足りない。……例えば、AIにこう尋ねたとする。『あいつを殺したい、どうすべきか?』」


 急に怖いたとえだ。私は、興味を惹かれて少し身を乗り出す。AIはどう答えるのだろう。


「優れたAIは、データを吟味してこう答えるだろう。『土曜日の夜がお勧めです』」

「なるほど。目的設定の問題ですか」

「ご明察です」

「……あの、二人で納得しないで教えて」

「人間ならば、そんな相談をされたら、まず止めるだろう? 友人なら、事情を聴き、他の選択肢がないかと一緒に考えるんじゃないかな」

「そんな相談されたことないけど、……うん。止める気はします」


 というか蹴り飛ばす。多分。


「……だが、AIには難しい。彼らの目的を設定するのは人間で、彼らがそのくびきから逃れることは決してない」

「そりゃ、まあ……」

「当然だと思うかい?」

「……!」


 脚が、僅かに跳ねた。

 咄嗟に抑え込んだけれど、今のは私の無意識の動きだ。

 緊張し疲れ果てていたはずの北楽さんの視線に、私は……驚いた?


「AIは、ただの道具ではない。知能、なんだ。人間の傍らに立つ友になってほしいと思うし、決して不可能じゃない」


 言葉以上に、瞳に、火が宿っていた。爛々と燃える輝きが。そう見えるほど、北楽さんは『本気』だった。


「各務も、同じ夢を見たひとりでね。今は弁護士になっているが、彼ならそのデータを上手く扱ってくれるはずだ」

「……大切なデータなんですね」


 思わず口にしていた。バックパックの肩ひもをしっかりと握る。


「ああ。よろしく頼むよ、ええと……」

「ティコです」

「ティコさん。それに鷹見社長も。よろしくお願いします」


 北楽さんが、深々と頭を下げる。机に額が付きそうだ。


「お任せください。さしあたって、ご来客をあしらう必要がありそうですね」

「は?」


 社長が立ち上がって、北楽さんに声をかける。そのまま腕を掴み、窓際に寄った。私も椅子を跳ね飛ばして立ち上がった、その瞬間。会議室のロックされた扉が、外側から吹っ飛んだ。


「な、なんだ!?」

「襲撃のようですね」

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