第24話 二人きりの帰り道

「九条さん、おごちそうさまでした。ありがとうございました。」


 善さんのお店から出ると既に夜の帳が下りており、細い路地は飲み屋さんの明かりが灯っている。私は九条さんにお礼を伝え、ペコッと頭を下げた。


 お会計になって私が財布を出すと、「今日は歓迎会やから礼桜ちゃんは払わんでええ」と、善さんと九条さん二人から払うのを止められた。そして、おごちそうになってしまった。


「相変わらずうるさかったけど、美味しかったね」

「はい! とても美味しかったです」


 楽しかったと伝えると、九条さんも「楽しかったね」と穏やかに微笑んでくれた。



◇◇



 時計を見ると、時刻は19時前だった。

 2時間ぐらい滞在したようだ。最後のほうはお客さんが増え、帰るときには狭い店内はほぼ満席だった。今も細い路地を人が歩いている。



 二人並んで歩き出そうとしたときだった。


「お嬢ちゃん、きれいやね」


 すれ違った〝THE大阪のおっちゃん〟のような人が、わざわざ戻ってきて声をかけてきた。


「目がキラキラ輝いとる! ほんまにきれいやな」


 昔から一定の年齢以上の方からそういうふうに言われることがごくたまにあるので、いつもどおり「ありがとうございます」とお礼を伝えた。同世代の人からは一度もそんなことを言われたことがないので、孫に対する贔屓目のようなものだと思っている。


「兄ちゃんもこんなきれいなお嬢ちゃんがツレで心配やな」

「そうですね」


 九条さんはにこやかに対応してくれているが、九条さんにそんなことを言わせてしまい申しわけなく思った。



「お嬢ちゃんを見たとき、あまりにも綺麗やったから、おっちゃん戻ってきたわー。女優さんかモデルさんかと思うたわ」

「ありがとうございます」


 ……いえ、どこにでもいる普通の女子高生です。


 いつもどおり、とりあえず笑っておくことにした。



「あの、僕たちもう行かなきゃいけないので、そろそろ失礼します」


 この辺で話を切り上げようと思っていたら、九条さんが切り出してくれた。


「……兄ちゃんも大変やなあ。こんなに可愛らしいお嬢ちゃんなら しゃあないな。大切にせなあかんで」

「はい」


 THE大阪のおっちゃんは、私たちを見てニマニマ笑いながら九条さんに話しかけている。



 絶対このおっちゃんは何か勘違いしている!

 もしかして、九条さんを彼氏だと思ってる?

 ……いやいや、こんなイケメンが私の彼氏なわけないやろ!


 どこをどう見てそう思ったのかは知らんけど、

(付き合ってもない人に、おっちゃん、なんちゅうこと言うてんねん!!)

 そう言って、ハリセンを用いて思いっきりパーンとツッコミたい。

 今時ハリセンを持ってる芸人さんなんかおらんけど、それくらい恥ずかしい。



 何より九条さんがおっちゃんの勘違い発言に笑顔で返事をしていることが、本当にいたたまれなかった。




 THE大阪のおっちゃんは「ほな。気いつけや~」と言って去っていったので、私も「さよなら」と挨拶した後、九条さんを見上げた。


「九条さん、すみません、付き合わせてしまって……」


 九条さんは何も言わず、私の目をじっと見つめてきた。何か言うわけでもなく、だた見つめられると、だんだん恥ずかしくなってくる。


 見つめられる羞恥で視線を逸らすと、頭上から耳に心地よい九条さんの声が聞こえてきた。


「礼桜ちゃんは、ああやって声かけられること、よくあるん?」


「そうですね、男女問わず年配の方からは、たまにああやって声をかけられますけど。同級生とかからは一度もそんなことを言われたことがないので、孫に向ける贔屓目のような感じかなあと思っています」


「……そうなんやね」

「はい」


 九条さんの目を見て答える。九条さんはそれを聞きながら、笑って揶揄うでもなく、ましてや怒っているわけでもなく、ただ静かな雰囲気をまとっていた。どうしたのだろうと思ったが、「行こうか」と言って歩き出したので、私も九条さんの隣で歩き始めた。





「礼桜ちゃんはナンパされたこととかある?」

「ナンパかどうか分かりませんが、学校帰りに知らない人から声をかけられたことなら何度かあります」

「……そんなときはどうしてるん?」

「聞こえてないふりをして、無視して素通りしています」

「でも、追いかけて来るやつとかおるやろ?」

「まあ、そうですね」

「そんなときは?」

「無視したまま歩いて、改札の中に素早く入ります」


 谷町筋沿いの天王寺駅前商店街に出たので、一気に人通りが多くなった。

 九条さんの顔を見ながら話すと他の人にぶつかりそうになるので前を向きながら答えていると、「ぶはっ」と噴き出した後、笑う声が頭上から聞こえた。笑い声と同時に九条さんが立ち止まったので、私も足を止めて九条さんを見上げた。


「礼桜ちゃんは最高やね!」


 とても素敵な笑顔で私を見ているが、何が最高なのか全く分からない。




「まだ酔っぱらいはおらんと思うけど、ナンパするやつはおるやろうから、礼桜ちゃんがナンパされんように手え繋いで行こ」


 明るく爽やかに「手を繋いで行こう」と提案された。


 は? 手を繋いで行く? 恋愛初心者どころか恋愛偏差値ゼロ未満の私が、イケメン九条さんと手を繋ぐ? いやいやいや、そんなはずはない。きっと私の聞き間違えだろう。


 そう結論づけ、九条さんを見上げると、目が合った瞬間「はい」と左手が出された。


 ……どうやら聞き間違いではないらしい。


 左手をじっと見ていると、「さっきのおっちゃんからも守らなあかんでって言われたし」と爽やかに笑っている。


 さっきのTHE大阪のおっちゃんは、そんなこと一言も言ってなかった、はずだ。


 頭の中は?がいっぱいで、とりあえずゆっっくりと右手を前に少しだけ動かした瞬間、すぐに手を取られた。

 九条さんの手は温かく、私の手よりも大きくて、ごつごつと節くれだっている。九条さんの手は長くてきれいだなと思っていたが、実際に手を繋いでみると意外にごつごつしているなと感じた。



◇◇



「あの、私、男の人と手を繋ぐの初めてなので……。手汗が出たらすみません。そのときはすぐに手 放してくださいね」


 九条さんに嫌な思いはさせられないので、手汗を感じたらすぐに放してもらおう。


「そんなん気にせんで大丈夫やで」


 いや、私が気になるのです。

 九条さんは笑っていなしながら、繋いだ手に少しだけ力を入れ、しっかりと握ってきた。


「そんなにしっかり握ったら、手汗が……」

「俺は全然かまへんよ」


 いや、だから! 私が! 私が気になるんです!!


 九条さんは、……めっちゃ笑ってるし。

 爽やかに笑ってるけど、どこか楽しそうだ。

 出逢ったときに見た腹黒九条さんがチラチラと見え隠れしている気がする。


 ……絶対に手汗を心配する私を揶揄っているな。九条さんめ。



◇◇



「それよりも、礼桜ちゃんは誰とも手え繋いだことないん?」


「家族や女の子の友達とはありますが、こうやって手を繋いで男の人と歩いたことはないです。彼氏もいたことないので……」


「えっ!? 今まで一度も彼氏おらんの!? こんなに可愛いのに? 周りの奴ら見る目なくない?」


「はあ。ありがとうございます?」


「何で疑問形なん?」


「いや、なんか、可愛いって言われても、褒められてる気がしないので……」


「俺は礼桜ちゃんのことめっちゃ可愛いと思ってるよ」


 キラキラの笑顔で微笑えまれて、たじろいでしまった。私がたじろぐ様子を見て、九条さんはキラキラの微笑みから爽やかな笑顔へと変えていった。


 繋いだ手のぬくもりや手を繋ぐ感触など、初めて尽くしでずっとドキドキしてたけど、腹黒九条さんの爽やかな笑顔で少し落ち着くことができた。



 九条さんはいつも優しい言葉をくれ、こんな私でも褒めてくれる。きっと九条さんの周りにはきれいな女の人がたくさんいて、みんなに優しい言葉を紡いでいるのだろう。


 私は真に受けず、社交辞令だと思うことにした。



 私たちの横を大型バイクが通り過ぎていく。

 通り過ぎるバイクのマフラー音を聞きながら、そのバイクを何気なく見送っていた私は知るよしもなかった。






「……手え繋ぐのも俺が初めて……」


 顔を隠すように鼻から下を手で押さえ、呟く九条さんを。








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