第14話 アトキンス男爵令嬢

「殿下はアトキンス嬢と婚約したいと仰いました。ただ、彼女は男爵令嬢です。殿下と結ばれるならば高位貴族と養子縁組をするか、殿下が王族からお出になることが必要かと思います」


「そうだな」


「殿下はワーデンシュタイン公爵家に彼女を養女にしろと仰いましたが、私はそれをお断りいたしました」


「それでいい」


 お父様が頷いてくださったので、ホッといたしました。


 そんなことは起きないと私自身信じていたからこそ行動であそこまではっきりと断りの文句を口にできたのですが……それでもお父様が肯定してくださったことに安心したのです。


 まずあり得ませんが、王家と縁を繋ぎたいだけであれば彼女を養女に迎えようという家が出てこないとも限りません。

 ただ、国王陛下がそんな甘いことを許すとは思えませんのでよしんば養子縁組が成立し、アベリアン殿下とめでたく婚約……とはなっても王位継承の権利は失いそうなものです。


 なぜなら、残念ながらアトキンス嬢は学園でも成績が下から数えた方が早い、とそれはそれは有名な方で……。

 ただ学業の成績が悪いだけならばともかく、できないことに直面すると泣いてしまう、追試が難しいと拗ねるなど、問題行動を起こす生徒だと職員の方々が困っていたから有名なのです。


(もしかして、アベリアン殿下は世話の焼けるタイプの女性が好みだったのかしら?)


 なるほど、それならばこれまでの殿下の言動にも納得です。

 私は殿下の足を引っ張らないよう、そればかり気をつけておりましたが……殿下はきっと、わかりやすく・・・・・・甘えられたかったのでしょう。


 貴族令嬢として、高位貴族としての矜持からただ『話がしたい』とだけ訴え続けた私ではご満足いただけなかったのも頷けます。


「学園では学びに重きを置くとはいえ、生家のランクで差が生じないよう礼儀作法と政治学に関しては任意でのもの……残念ながらアトキンス嬢は下位貴族の礼儀作法を学んでいるかと思いますが、その特別授業には参加している様子はありませんでした」


「その通りだ。報告書にもその記載があった」


「……さようですか……何故か彼女は王族という者は座していれば良いと勘違いしていたようなのですが……」


 普通に考えれば王家の方々が遊んで暮らしているなんて発想は生まれないと思うのですが、彼女は本気でそのように信じていたように見えました。

 実際には王族には王族にしかできない仕事がたくさんあり、私が彼女に引き継いだように他国とのやりとりを円満に行うために異国語も複数学ばねばならなかったり、他国の礼儀作法や宗教、歴史なども失礼にならないように学ぶ必要があるのです。


 それを考えると、座って茶を飲んでいれば……というような安穏な時間はありません。


 茶器一つ、茶葉一つとっても歴史や窯元、生産国生産地、季節の銘柄など把握していなければならないのですから!

 正直、ただ美味しいと好きなように飲める世界があるのでしたら羨ましい限りです。


 私もお茶は好む方だと思いますが、正式な茶会ではなく自宅でなければ寛いで香りを楽しむこともできませんもの!


「ふむ。それはあの男爵令嬢の出自に関わる話だ。あれは男爵がよそで産ませた娘で、その愛人が娘を捨てて蒸発したゆえに正式に引き取ったのだ。男爵夫人ができた人だが……体が弱く、義理の娘の教育にまでは手が回らなかったようだな」


「まあ」


 そんな事情があっただなんて!

 彼女が男爵家の養女であるということは耳にしていました。


 男爵の遠縁……という話だったのですが、そのような経緯だったのですね。


 であれば彼女の振る舞いの一つ一つが生まれながらの貴族とはどこか異なる雰囲気を持っていたとしてもなんらおかしな話ではありません。

 彼女にとってみればむしろこちらの方が逆に不可思議な世界といったところでしょうか?


「市井の出自ということは、一般市民は陛下が茶を嗜み穏やかに暮らしておられると思っているということでしょうか?」


「我らは一般の市民の生活について、書面では知っていても実情は知らぬ。彼らもまた同様に、貴族や王侯貴族の実情はわからないのだ。良い面だけが見えるのは、いずれの立場でも同じこと」


 お父様にそう言われ、私もなるほどと頷きました。

 私たち貴族は裕福な暮らしをしていますが、それは義務を果たし、何かしらの責務を負うからこその地位です。

 まあそれに甘んじて好き勝手する者がたまにおりますが……基本的には皆、それを理解して職務を全うしております。


 ただ、時折……やはり自由さを求めたくなることもあります。

 民の規範たれと言われ、常々人の目を気にして生活するのはやはり窮屈です。

 裕福な暮らし、何も望まなくとも与えられる教育、それらは民からすれば垂涎のものでありましょう。


「……ままならぬものですね」


「完璧などないのだ。だが、それを理解し近づこうとすることはできよう」


「はい」


 私の言葉に、お父様は優しくそう仰いました。

 求められること、求めること、本当に難しいと思いましたが……私はこれを良い教訓にしたいと思います。

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