乗り鉄けもニキ

鷹尾

第1話 出張帰りニキ、クマになる。

ある日の昼下がり、秋田県の山奥を走るローカル線電車に向けて、夢中でスマホのシャッターを切る男性がいた。

電車が通り過ぎるやいなや、すぐさまチェック開始。


「おっ、わりと良い感じなんじゃない?」


男性のスマホに、美しい草木の中を駆ける電車の写真が追加された。


トンビの鳴き声がする。

林から小鳥が飛び立つ。

突風に倒れるペットボトルを直して、男性は背伸びと深呼吸をした。


「なるほど、“空気が美味しい”ってこういう事なのか。」


どちらかというと理系の自分は以前まで、空気なんか味がするわけ無いだろうと思っていた。

確かに排気ガスは少ないだろう。

男性の後ろを車が一台通り過ぎたが、後続車はいない。

恐らくマイナスイオンか何かも出ているのだろうが、そんなの機械じゃあるまいし知った事では無い。

しかし今ならわかる。

今日は平日だが自分だけ休みだ。

それに、出張帰りという解放感。

寄り道で電車の写真も増えたし。

普段意識して聞くことのない、木と風の音がとても心地よい。

“空気が美味しい”は“空間に満足する”という事なんだな。

男性は目をつむって、日の光を楽しんでいた。


「天国ってこんな感じなのかなー。」



ガタンゴトン…。



遠くから聞こえる音に男性は眉をひそめ、目を開けた。


「おかしい…。」


ここはド田舎で、電車の本数が一時間に一本程度のローカル線である。

こんなに短時間で二度目のシャッターチャンスが訪れるのだろうか。

上り電車と下り電車が近くの駅ですれ違って来た可能性もあるが、さっき確認した時刻表を見る限り、それはなさそうである。

男性は気になって、立っている車道から少し線路側へ身を乗り出した。


トンビの鳴き声がする。

林から小鳥が飛び立つ。

突風に倒れるペットボトル。


「…?デジャヴ?」


さっきまで暖かかった日差しが急に強くなってくる。

というか、強くなりすぎてどんどん辺りが白くなっていった。


次の瞬間、男性の目の前には光をまとったような、神々しい電車が現れた。

電車は風を切って…と言うより、風に乗って進んでいるように見える。

白い体に赤いラインが入った模様は、くまどりのようだ。

車両を包む霧が男性の方まで流れる。

鳥肌が止まらない。


ファーン!!


汽笛と電車のオーラに足がすくんでしまった男性は、よろよろと後退りをした。


「やべっ。」


バランスを崩して車道に転びそうになる。


「うそだろ。」


手をつこうとして道路に目を向けた男性は絶句した。

そこには、先ほど後ろを通ったはずの車が男性目掛けて走っていたのだ。


(間に合わない!)


転がって行ったペットボトルを、タイヤがぐしゃりと潰す。

次は自分の番だ。

男性の頭に“死”という一文字がよぎった。

だが、自分はまだ死ぬわけにはいかない。


(命だけは!!)


男性は心の中で大きく叫び、歯をくいしばった。





すると突然、去り際の不思議な電車から光の玉が飛び出し、猛スピードで男性の体に入って行った。


「クマになりますように。」


どこからか幼い声が聞こえる。

ああ、死ぬ間際というのはこんなにも脳がテンパるのか。

自分の感覚がどうもおかしい。

周りがスローモーションに見えるし、自分の体が大きくなった気がする。

爪もどんどん伸び、体は黒い体毛に覆われていく。

どうやら目もおかしくなったらしい。

まあ、元々視力は良くないのだけれど…。


(これじゃあ、まるでクマじゃないか。)


ドン!!


キキーッ!!


男性をはねた車が急ブレーキをかけて止まった。


「あいー、しかだねぇ!人ひいてしまった!救急車呼ばねば!」


携帯を片手に車を飛び降りた運転手は駆けだしたが、すぐに足を止めた。


「あの兄ちゃん、どごいっだ?」


道路上にも、車の下にも、道路脇の林にもいない。


道にはただ、潰れたペットボトルと水たまりがあるだけだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る