第36話 理由2

 その時僕の背後で声が聞こえた。

「日和さん……」

 驚きと悲しみと、あとはどんな感情だろうか。

 喫茶店のマスターである初芝さんの声が響き、女の動きが止まる。

 女は僕の後ろの方へと視線を向け、目を大きく見開いた。

「う……あ……」

 女は明らかに動揺している。

「な……んで……」

 声のトーンが違う。この声は日和ちゃんの声だろうか。

 女の弱点は初芝さんなのか。

 そういえばこの間も初芝さんを見て動揺していたっけ。

 女は首を振り、

「見な……いで……」

 と、呻くように言い、後ずさる。

 彼女から生えている黒い手も、動揺してるからかだらん、と下に垂れ下がっている。

「君がどんな姿でも、俺は君を受け入れるから」

 そんな声と共に、足音が近づいてくる。

 俺はゆっくりと背後を振り返った。

 初芝さんがこちらへと歩いてくるのが見える。

 なんで来たんだろうか。僕たちは彼に、今日ここに来ることは話していないのに。

 ……でもここに来るのに商店街通って来たし、初芝さんの店の前、通ってるな。

 そこで僕たちを見かけたのかも。

 そう結論付けたときだった。

「い、や……」

 涙声で女が言うのが聞こえる。近づいたら危ない。そう言いたいのに、僕の口は全然動かなかった。

 危ない、だろうか。もしかしたら大丈夫かもしれない。

 僕は女の方へと視線を戻すと、臨が彼女の背後に回っているのに気が付いた。

 女はそれに気が付いていないらしく、震えて初芝さんを見つめている。

「こ、ないで……あー! 何で出てくるの! お前、こっちにくるなぁ!」

 女は声を上げ、だらり、と下がっていた黒い手が持ち上げられてまっすぐに初芝さんに向かっていく。

 来ないで、と言ったのは日和ちゃんだろうか。そしてその後声を上げたのは幽霊の方だろう。

 黒い手が、僕の横をすり抜けていく。っていうか思ったより長いな、この手。

 まっすぐに初芝さんへと向かって行った手は、途中で止まった。

 驚き僕が女の方を見ると、黒い手を、女の手が掴んでいる。

「な、にするの!」

 憎しみと苦悶の表情を浮かべ、女は声を上げた。

 黒い手はしゅるしゅると戻っていき、女は怒りの顔になり言った。

「好きには……させない」

「……日和さん……?」

 初芝さんの声が響き、女は……いや、日和ちゃんは彼の方を見た。

 哀しそうな、でも嬉しそうな顔で、涙目になりながら彼女は言った。

「見られたく、なかったな……」

 それだけ言った後、彼女は空へと顔を上げ、叫び声をあげた。

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