第35話 理由
日和ちゃん……というか女の背中から生えた腕が振り上げられそして、臨に向けて振り下ろされる。
それを臨は後方に跳んで避け、黒い手は地面に突き刺さった。そこに臨の放つ雷が向かっていく。
バシン!
と雷が弾け、黒い手がしゅるしゅると女のところに戻っていく。
女はゆらり、と立ち、臨を睨み付けて言った。
「どうして邪魔するの? 私がこの身体を貰ってもいいじゃないの」
「あんたの物じゃねえだろ? その身体はもとの持ち主に返してやれよ! その人に会いたがってる人がいるんだからな!」
僕が声を上げると、女はゆっくりとこちらを向いた。
その目に、怒りの色が見て取れて僕はリモを抱きしめ一歩下がる。
「私は赤ちゃんに会いたいだけよ。それの何がいけないの?」
「あ、あんたの赤ちゃんはもう死んだだろ? そしてあんたはそれを望んだじゃねえか!」
そうだ、腹を斬って欲しいと望んできたのは女だし、その理由はおなかの赤ちゃんがこの世界に未練が残っていて成仏できないからだったはずだ。
あの時女は感謝して消えたはずなのに、なんで日和ちゃんに憑りついて赤ちゃんに執着してるんだ?
「そうよ。貴方たちに殺されたのよ。私の赤ちゃん……でも今はこうして戻ってきてくれた。彼と私の赤ちゃん、もうすぐ生まれるのよ? いいじゃないの、この女は赤ちゃんを産むの望んでいないんだから私がもらってもいいでしょ?」
女の言っていることは支離滅裂だ。
お腹の赤ちゃんが自分の赤ちゃんじゃないと認識しつつ、でもその赤ちゃんは自分の赤ちゃんだと主張する……
滅茶苦茶じゃねえか。
記憶の内容は思い出せないけど、僕が消した人の顔くらい僕だって覚えている。
そしてその記憶を見て僕が何を思ったのかだって覚えている。
たぶん僕は、この人の旦那さんの記憶を消したんだ。自分の人生を歩むために。
幽霊だって腹を斬られて成仏することを望んでいたはずなのになんでまだこの世に留まっているんだよ?
「私だってあのまま成仏できると思っていたの。でもね出会っちゃったのよ」
言いながら女は自分のお腹へと視線を下ろす。
「人との子供を妊娠して悩むこの女にね。最初に会ったのはしばらく前だけど。私はあの場所から動けなかったし狐に興味もなかったけど。でも貴方たちに斬られて動けるようになって、この女にまた出会ったの。女は迷っていたわ。このままでいいのかって。人との間に子供が生まれて幸せになれるのかって。子供を育てる覚悟もないのに、妊娠なんてするんじゃないわよ」
怒りの表情で吐き捨てるように言った後、女は幸せそうな笑みを浮かべて言った。
「だからね、私がもらうの。身体も、赤ちゃんも。だって迷うのなら私がもらっても大丈夫でしょ?」
「どんな理屈だよ、それ……」
相手は幽霊だし、理屈は通用しねえか。
あの女はお腹の赤ちゃんに執着してるんだよな。臨が幽霊の腹を斬った時は、赤ちゃんの方がこの世に未練を残してたってのに。なんなんだよ全く。
「せっかく俺が成仏するの手伝ってあげたのに」
呆れた様子で言った臨の右手に、ばちばちと雷が絡まっている。
「そうよ。迷うなら貰ってもいいじゃない? なのにこの女の魂、まだ生きてるのよね。なかなかしぶとくって。私が赤ちゃんを貰ってあげるって言ってるのに」
普通なら、あの幽霊に憑りつかれるようなことない暗い、日和ちゃんの妖力ってやつは強いんだろう。でも妊娠して、弱っているから簡単に憑りつかれたんだろうな。そして幽霊は完全に身体を奪えないでいる。
「なあリモ」
「何でしょう?」
「あの幽霊に身体を奪うことなんて可能なのか?」
「はい、昔からある話ですよ! 憑りつかれても完全にその人の魂がなくなることはないですが、憑りついた側の方が強くて本来の身体の魂を取り込んだら可能です。日和ちゃんがそう簡単に取り込まれるとは思えませんが、身体の主導権は奪われているようなので取り込まれるのも時間の問題かも知れないです……」
リモは消え入るような声でそう答えた。
でもまだ取り込まれていないんだよな?
ならまだ何とかなる……そう信じたい。
「死人はそのまま死ぬべきですよ。その赤ちゃんは貴方の子供ではないし、貴方の赤ちゃんは俺が斬って成仏したんだから」
臨の言葉を聞いた女は、かっと、目を見開き臨を睨み付けた。
「そうよ! 貴方が殺した私の赤ちゃん……でもね、こうして戻ってきたの。ねえだから、邪魔しないでくれる?」
声と共に黒い手が臨に向かっていく。その手に臨の放つ雷がぶつかり、バチン! と音が響き失速する。
「人間なのにそんな力使えるなんて厄介ねぇ。あなた本当に人間なの?」
女の言葉に臨は肩をすくめた。
「たぶんね」
たぶんなのかよそれ。いや、僕も普通の人間か、っていわれたら疑問だけど。
でも僕も臨も普通の人間、だと思う。普通の両親のもとに生まれて、普通に生きてきた。
臨の家庭は複雑だけど、僕は臨のこと、小さい頃から知っているし、互いに人間ではあるはずだ。
「貴方を殺して食べてあげればいいのね。妊娠しているせいかお腹がとっても空くのよ。寒くなって来たせいでなかなか獲物もなかなかいなくて」
と言い、女は舌なめずりをした。
そういうことか。寒くなれば木の実はなくなり虫も減る。そしてそれを捕食する哺乳類は冬籠りの支度を始める。
山の中で餌を見つけるのが難しくなって、だから餌を求めて町に来て猫を襲っていたのか。
猫が襲われていた理由はわかったけれど……なんで猫なんだよ。鶏とかいるだろ。大学病院には鶏小屋とかうさぎ小屋とかあるし。
って、鶏とかは檻の中か。猫は自由に動き回ってるから襲うのにてきしていたんだろうな。
だめだ、想像したら気持ち悪くなってきた。
僕は思わず手で口を押えた。
「さあ、おしゃべりはおしまいにしましょう。ゆっくり味わって、殺してあげるから」
と言い、女はにたり、と笑った。
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