第14話 朝が来て

 朝起きると臨の姿はすでにベッドになかった。

 スマホで時間を確認すると七時前。

 あいつ早っ。僕はまだ寝ていたいくらいなのに。

 リモは僕の隣で寝息を立てている。


「リモ」


 欠伸をしつつ、僕はリモを呼ぶ。


「うにゃ……ママさんもうたべられないですよ~……」


 などと寝言を言うので、僕はベッドから起き上がるとリモを抱き上げた。


「おおう?!」


 驚いた様子でリモは辺りを見回し、僕の顔を見ると、ぱっと明るい表情になり言った。


「おお! 紫音さんおはようございます!」


「おはよう。腹減っただろ?」


 そう言うと、彼はおなかに手を当てて、こくこくと頷いた。


「そうですね! あ、臨さんは?」


「たぶんあいつ、もう飯作ってると思う」


 リモを抱えて、僕は寝室を出てリビングへと向かった。

 パンの焼ける匂いが漂ってきて、僕の腹も空腹を訴える。

 リビングへと続く扉を開けると、臨が食事をテーブルに並べていた。

 この家には食卓はないので、リビングに置かれているソファー前のテーブルが食卓を兼ねている。

 そのテーブルに並べられたお皿には、目玉焼きにソーセージ、それに食パン、カップスープが並べられている。

 紺色のエプロンをつけた臨が、僕に気が付きにこっと微笑んだ。


「おはよう、紫音」


「おはよう」


「ねえ、リモって何食べるのかわからなくて、野菜と果物用意したんだけど……」


 言いながら臨はテーブルに置かれたお皿を指差す。

 キャベツやニンジン、それにオレンジなどが載ったお皿がリモの食事らしい。

 それを見たリモは僕の腕から飛び出し、テーブルに走り寄り床にちょこん、と座って言った。


「おいらは何でも食べますよー! 狸は雑食ですから」


「ならよかった。紫音、食べよう」


「あぁ」


 言われて僕はソファーに腰かけた。

 室内には、臨の趣味であるパイプオルガンの音楽が流れている。

 学校がキリスト教の学校で礼拝堂とパイプオルガンがあるので、僕にとってもなじみの深い音色だった。

 とはいえ、何の曲かはわからないが。


「お前ほんと家事能力高いよな」

 言いながら僕は食パンがのったお皿に手を伸ばし、バターが薄く塗ったあとそれをひと口頬張った。


「自分でできることは自分でやりたいしね。ひとり暮らしを始めてもう一年以上経つし」


「なんでお前、家出でたの?」

 そう問いかけると臨の手が、一瞬止まる。

 臨はもともと母子家庭だった。

 臨いわく、父親が誰なのかわからないらしい。

 そんな母親が結婚し、妹が生まれたのが十年前だ。

 義父や妹との関係は悪くないらしいが、母親との仲はあまりよくないらしく、臨は中学の時からモデルの仕事を始め高校進学と同時に家を出た。

 臨はカフェオレが入ったマグカップを手に取り、その中を見つめて呟く。


「自分の居場所は自分で作りたいと思ったから、かな」

 そして、臨はカフェオレに口をつけた。

 自分の居場所。

 僕はそんなの考えたことがない。

 当たり前のように家に住み、当たり前のように親が作った料理を食べて。

 弟とはあまり仲が良くないけれどそれでも家にいたくない、と思ったことはなかったし居場所がないと感じたことはない。


「自分の居場所ねえ」

 呟き、僕はパンを食む。


「今の方が気楽でいいよ。好きな時に好きなことできるし。たまに義父は来るよ。妹を連れて。あの子は俺になついてくるけど、どうも苦手なんだよね」


 七つ下の臨の妹。

 僕も会ったことがある。

 明るい茶色の髪に二重の瞳の愛らしい女の子。

 人懐っこい子だったと、記憶している。


「義父は義父なりに俺との関係を大事にしようとしてるのはわかるからね。父親っていうより、兄みたいだけど」


 そう言って、臨は笑う。


「あの人は全然、連絡取ってないな。まあ、妹や義父が家の様子を送ってくるから、どうしているかは知っているけど」


 あの人、というのは臨の母親の事だ。

 臨は決して母親を母とは呼ばない。

 昔はちゃんとお母さんと呼んでいたと思うけれど、いつの頃からか呼ばなくなったと思う。

 何があったのかなんてわからないし、知ろうとも思わないけれどそう呼ぶまでに色々とあったんだろう。


「俺は今が気楽でいいんだよ。自分で稼げるし、好きな時に好きな相手と寝られるし」


 寝られる、の意味がそのままの意味ではないことを悟り、僕は顔が赤くなるのを感じた。


「朝から何言ってんだよ、お前」

「ははは。振って来たのは紫音だよ。俺が誰とでも寝るの知ってるでしょ」


 確かに知っているけれど、そんな話をされて僕は正直反応に困る。

 男でも女でも、相手は誰でもいい。

 一夜限りの関係も気にしない。

 僕には理解できない臨の感性だが、彼にとってそれが普通なんだ。


「どんなに身体を重ねたって何も変わりはしないし。誰かに縛られるのは面倒なんだよね」


 臨はカップをテーブルに置き、不意に僕の肩に手を回したかと思うと驚く僕の顎を取り顔を近づけて言った。


「紫音とだったら何度でもいいかも」


「うるせえ馬鹿!」


 僕は臨の手を払いのけ、箸を掴むと思い切りそれをウィンナーに突き刺した。


「ははは、冗談だよ。紫音は友達だしね」


「気持ち悪ぃ冗談言うんじゃねえよ」


 言って、僕はウィンナーを口に放り込んだ。


「おや、おふたりはお付き合いしているんですか?」


 オレンジを両手で持ったリモが僕らを見上げて言った。


「付き合ってねーよ」


「そう言う関係じゃないよ」


「そうなんですか? てっきりお泊りなんてするからそう言う関係なのかと……」


「んなわけねーよ」

 このままだとリモにとんでもない勘違いされる。

 それはそれで嫌だ。


「あの山に何かいるならもう一度見に行きたいけど。行くなら満月の方がいいんだろうな。どう思う、紫音?」


 問いかけられ、僕はパンにかじりついたまま、臨の方を見た。


「あ?」


「満月の夜に行ったら会えると思わない? 例の化け物に」


「まあ、そうだろうけど、満月ってまだだいぶ先だよな」

 スマホで調べたら、次の満月は十一月十九日金曜日だ。

 三週間先になる。


「それまで化け物について調べられる限り調べたほうがいいんじゃね―の? わからない相手と対峙するのは危険だろ」


 化け物の相手をするのは臨だ。僕じゃない。

 昨夜の幽霊のようにすんなりといきはしないだろう。

 臨が危険な目に合うのは嫌だ。


「紫音、俺の事心配してくれるの?」

 臨はからかう様な声音で言い、パンをひと口食べた。


「あったりまえだろ? 僕は戦う力がないしお前に頼るしか……ないし」

 言いながら、僕は目を伏せる。

 言ってて恥ずかしくなってきた。


「俺は大丈夫だよ。そう簡単にやられはしないから」


「その自信、どっからくるんだよ?」

 顔を上げ半ば呆れつつ言うと、臨は笑って言った。


「守りたいものがあると強くなれるんだよ。だから俺は大丈夫だよ」


 僕がその言葉の意味を理解するのに、少々時間を要した。

 


 

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