不良娘が彼氏のために可愛くなるだけの話

千歌と曜

第1章 不良娘と男の娘

第1話 雨の日の猫

 雨に打たれている子猫を見ていた時の気持ちを、思い出す。


 あの日、僕は何もできなかった。


 色んな考えが頭の中に浮かんで迷っている内に、その子猫は、ひとり、どこかへ行ってしまった。


 日常の中で起きた、そんな些細な出来事を思い出すたびに、心の中に後悔が生まれていた。


「……」


 そして、その時の気持ちを、今もまた、思い出す。


 夕食の材料を買った帰り道、傘を差しながら歩いていた水無瀬ヒロは、その少女と出会った。


 ざああ……。


 振り続ける雨に打たれながら、その少女は、路上に倒れていた。


 小さな身体、長い金髪、幼い面立ちの顔。


 塀を枕にするように倒れているその少女は、着ている服も、体も、傷だらけで。


 その姿を見た瞬間に、ざわりとした恐怖を覚える。


「あの、大丈夫ですか?」


 降って湧いた非日常に、ヒロは慌てふためいた。


 咄嗟に、そう声をかけて、意識を確認する。


「……ぅ」


 すると、少女はその瞳を開いた。


 気絶していたというよりも、自らの意思で目を閉じて休んでいただけだったのだろうか。


 意識ははっきりしているように見えた。


「あの、大丈夫ですか?」


 もう一度、ヒロは同じ質問を繰り返す。


「……あっち行ってろ」


「――っ」


 びくりと、ヒロの身体が震える。


 拒絶の気持ちを示す強い声音に、言いようのない恐怖を覚えた。


 小柄な少女のものとは思えないほど鋭い眼光に、心臓がきゅっとなる。


「……」


 それでも、ぐっと傘の持ち手を握りしめ、もう一度尋ねる。


「あの、救急車、呼びましょうか?」


「呼ぶな! 呼んだら、許さねえ!」


 とうとう、少女に叫ばれてしまった。


 なぜかはわからない。


 けれど、少女が、救急車を呼ばれることを嫌がっている……否、恐れていることが伝わってきた。


 ヒロはまた怯えるが、かといって、放っておくことなんてとてもできなかった。


 あざだらけの顔や身体、切り傷もあって血も出ている。


「……わかりました。救急車は呼びませんから、近くの病院まで運ばせてください。歩けますか?」


「……」


 もう、ヒロには構わないことに決めたのか、傷だらけの少女は顔を背けた。


 ただ、その様子から、少女はひとりで立って歩くことができない状態であるとヒロは理解した。


 もし、本当に自分を拒絶したいなら、立って走って、この場から去ればいい。


 それなのに、それをしないということは、彼女がそれだけ重症ということだった。


「……失礼します」


「っ、おい!」


 意を決して、ヒロは少女を……お姫様だっこした。


 体から力が抜けているためか、簡単にすることができた。


 少女の顔が、かあっと紅くなった。


「ふざけんな! なにしてんだよ、お前!」


「~~」


 お姫様だっこしたことで、少女との距離が近くなり、少女の顔をよく見ることができたヒロは……思わず固まってしまう。


 なぜなら、あざだらけのその顔が、とても可愛かったからだ。


 高校生男子のヒロにとっては、それだけで動揺が生まれてしまうが、今はそんな場合ではない。


「つか、お前。女のくせになんでこんなに力があんだよ!」


「……ごめんなさい。僕は、男です」


「――はあっ?」


 少女は、素で驚く。


 なぜなら、今、自分をお姫様だっこしている少年は、どこからどう見ても、美少女だったからだ。


 少女のリアクションで自分のコンプレックスを刺激されながら、ヒロは告げた。


「とにかく、病院には連れて行かせてもらいます」


「待て、どこの病院に連れてく気だよ!」


「どこって……」


 ここから近いのは、この街の総合病院だ。


 途中には、個人経営の診療所もあるだろうけれど、少女の怪我の様子から、やはり大きな病院で診てもらった方がいいだろう。


 そう思い、ヒロがそう告げると。


「やめろ!」


「……っ」


 思わず、身がすくむほどの叫び声を上げられた。


 驚いてヒロが目を丸くしていると、少女が急に弱気な声を出した。


「……お願いだ、その病院だけはやめてくれ。病院には行くから、そこだけはやだ」


「……」


 先程、少女が救急車を激しく拒絶したことが思い出された。


 もし、この場で救急車を呼べば、間違いなく、今少女がいやがった総合病院へ運ばれるだろう。


「……わかりました」


 仕方がなく、ヒロは少女を抱えたまま、近くの診療所を探すことにした。


「……」


 今更ながらに、少女の身体の柔らかさを意識してしまうが、今はそんな場合ではないと自分を叱咤する。


 この格好では、傘を差せないので、ヒロも少女もずぶ濡れだ。


 濡れねずみのまま、雨の中を歩き、診療所を探す。


 時折、通り過ぎる人はそんなふたりの姿を遠巻きに見て、すぐに、興味を無くしたように顔を逸らしていた。


「……」


 少女の様子を窺えば、決まり悪そうに顔を逸らしていた。


 しかし、その頬や耳が赤く染まっているのが見えて、この恥ずかしい格好がよほど応えていることが窺えて申し訳なさを覚えた。


 ざああ……。


 雨は、今もふり続ける。


 ふたりの間に会話は無くて、ただ時間だけが過ぎていく。


 ヒロは、そうして歩きながら、心の中で、思った。


 ――あの時も、あの子猫にあった時も、こうしてあげればよかった、と。

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