楓と花道

九傷

楓と花道

 


 我が家はバスケ家族である。

 父も母も、学生時代は共にバスケ選手で、意気投合して付き合い始めたのはなんと中学生の頃だったらしい。

 そのままゴールインするとは、余程相性が良かったのだろう。

 

 二人のバスケの実力は大したことがなかったらしいのだが、情熱だけは凄まじく、その熱は今も冷めていなかったりする。

 自分たちの子である私に、昔流行ったバスケ漫画のキャラの名前を付けるくらいだから、その熱量が伺えるだろう。

 

 そんな私は、二人の思惑通りにしっかりバスケバカに育っていた。

 物心つく頃からバスケットボールと戯れ、童話代わりにスラムダンクを読んでいたのだから、当然と言えば当然である。

 幼稚園を卒園し、小学生になってからは、すっかり毎日がバスケ漬けの生活になってしまっていた。

 

 

 

 

「楓! おせーぞ!」

 

「うっさい花道! 大人しく待ってろ!」

 

 

 学校が終わり放課後になると、私たちは学校のコートに向かう……のではなく、速攻で家に帰って出かける準備をする。

 理由は公園のコートを使うためだ。

 学校にコートがあるのに、何故わざわざ市営のコートを利用するかというと、単純に私たちにとって小学校のコートでは物足りないからである。

 

 知っているだろうか?

 小学校のバスケットゴールの高さは、260センチ。

 普通のゴールの高さが305センチなので、なんと45センチも差があるのだ。

 この差は非常に大きい。

 

 小学生にとっては有難い話なのだが、普段から普通のゴールの高さに慣れてる私たちにとっては余計なお世話でしかない。

 しかも私は、小学6年生の女子にしては背が高い方で、既に150センチを超えている。

 今となっては小学校のコートを利用する理由がなかった。

 

 

「かーえーでー!」

 

「もう出るってば!」

 

 

 ガサツではあるが、私だって一応は女なのである。

 身だしなみには時間がかかるのだ。

 だというのにこの男は、相変わらずデリカシーの欠片もない。

 

 

「お待たせ!」

 

「おう! はやく行こうぜ!」

 

 

 慌てて家を飛び出した私を、花道が満面の笑みで迎える。

 先程まで不機嫌そうな声を上げてたくせに、一瞬で忘れたかのような爽やかさだ。

 その無邪気な笑顔に、しつこく急かされたイライラもあっさりと洗い流されてしまった。

 

 

 この男、松崎花道まつざきはなみちは、名前から察せられると思うが私と同じルーツを持っている。

 そう、私が流川楓からなのに対し、花道は桜木花道から名づけられたのだ。

 

 両親は特に知り合い同士だったワケでもなく、ご近所だったのも偶然。

 私たちは偶然、同じ年、同じ町に生まれ、同じルーツで名づけられたというワケである。

 これはもう、偶然で片づけるにはでき過ぎていると言っていいだろう。

 だから私は、運命だと思うことにしている。

 

 

 花道は、私にとってはライバルでもあり、良きパートナーでもあった。

 普段は1on1で互いを高めあい、時にはチームを組んでストリートバスケに興じる。

 私はこの関係が気に入っていたし、今後も続けばいいと思っている。

 でも……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君たち、バスケ上手いね! どこの学校?」

 

「「花園小です!」」

 

「花園小って……、小学生じゃん! マジか!」

 

 

 最近は公園で野良試合をしていると、この手の質問が増えてきた。

 私たちが小学生だと答えると、みんな一様に驚いてくれる。

 私はこれが密かに嬉しかった。

 だって驚くということは、少なくとも私たちを小学生以上に見てくれているということだからだ。

 体格面でも技術面でも、そう見てくれることは素直に嬉しい。

 

 

「ちなみに何年生?」

 

「「6年です」」

 

「ってことは、俺らの後輩になるんじゃね?」

 

「後輩……、もしかして、お兄さんたちは花園中なんですか?」

 

「そうそう。俺たち、花園中の2年だよ。今日はテスト期間で部活休みだから公園来たんだけど、まさかこんなところで未来のエースに出会うことになるとはなぁ……」

 

 

 そう言ってお兄さんたちは、花道を囲んで持てはやす。

 ……そう、花道だけを。

 お兄さんたちに悪意はない。それはわかっている。

 それでも、私の胸はズキリと痛んだ。

 

 

 多くのスポーツの共通点だが、中学に上がると基本的に男女は同じ舞台に立てない。

 対格差や運動能力に差が出てくる時期なので、当然の処置と言えるだろう。

 特にバスケは、身長差が純粋な戦力差に繋がることも多いため、男女は分けざるを得ないのもわかる。

 ……しかし、それでも私は、まだ花道と一緒にバスケがしたかった。

 

 

「でも、こんだけ上手けりゃミニバスでも有名なんじゃね? スカウトとか絶対来てるだろ」

 

「あ、いえ、俺たちミニバスやってないんですよ」

 

「え? なんで?」

 

「だって、ルールとか色んなサイズが違うじゃないですか」

 

「あ~、それは確かに」

 

「え? そうなん?」

 

「あ、お前、バスケは中学からだからその辺のこと知らないのか」

 

 

 ミニバス経験者は意外と少ない。

 実際、バスケは中学からという人がほとんどなのではないだろうか。

 そんな事情もあって、通常のバスケとミニバスの違いを知っている人はあまりいなかったりする。

 

 

 通常のバスケとミニバスには、ボールやコート、ゴールの高さといったサイズの違い以外にも、ルールに異なる部分がある。

 特に大きな部分は、バックパスがないことと、3ポイントシュートがないこと、交代のルールが異なることの三つだ。

 

 通常のバスケットでは、一度センターラインを越えたらボールを戻せないバックパスというルールが存在するが、ミニバスにはない。

 これにより、通常のよりも緩やかな試合展開を運ぶことが可能になっている。

 3ポイントシュートもないので、勝敗で大差がつくことはあまりないと言っていい。

 

 そして交代についてだが、大きなポイントとして「第3クオータまでは基本的に交代できない」というのと「第3クオータまでに10人以上が出場し、12分以上(2クオータ分以上)出場してはいけない」というのがある。

 現代バスケットではスラムダンクの時代とは違い前後半戦ではなく、第1~第4クオータの4セット制になっているが、ミニバスでは第3クオータまでは基本的に交代ができなくなっているのだ。

 また、選手は12分以上出場してはいけないため、試合にフルで出場することができない。

 こういったルールが受け入れられず、私たちは途中でミニバスをやめてしまったのであった。

 

 

「へ~、そんな違いがあるんだな~」

 

「でも、中学だとその辺は全部通常通りだ。ゾーンディフェンスだけは禁止だけどな」

 

「じゃあ、なんの問題もなさそうだな。来年、お前が入ってくるの楽しみにしてるぜ~」

 

「はい!」

 

 

 無邪気な笑顔で応じる花道は、本当に来年のことが楽しみで仕方がないのだろう。

 しかし私は……

 

 

「君も、ウチの女バスに入れば即戦力間違いなしだと思うぜ」

 

「だな。スピードもテクニックも、男子顔負けだし」

 

「っていうか浩二、さっき普通に1on1負けてたじゃねぇか。そんじょそこらの男子よりぜってぇ上手いって」

 

 

 浮かない顔をしていた私を気遣ってか、今度は私のことを褒め始めるお兄さんたち。

 私はそれに、なんとか作り笑いをして応えるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな複雑な思いを抱えたまま、結局私は花道に何も言えずに中学生になっていた。

 

 花道はバスケ部に入部し、早速頭角を現し始めている。

 あの日知り合ったお兄さんたちとの関係も良好なようだ。

 

 

 私はというと、結局女バスには入らなかった。

 花道や、ストリートの中高生や大人たちを相手にしていた私にとって、女バスの環境はぬるかったのである。

 熱意の低い同級生たちの空気にも馴染めなかった。

 

 

 

 

「っ!? クソッ!」

 

 

 フェイントにかかった花道を抜き去り、レイアップを決める。

 これで5対3。5本先取ルールでやっていたので、私の勝ちである。

 

 

「私の勝ちだね」

 

「あ~、クッソ~、完全敗北だわ~」

 

 

 花道は大の字に寝そべって悔しそうに唸る。

 総合的には勝ち越しているくせに、負けると本当に悔しそうにするのでこっちも少し楽しい。

 

 

「コッチは部活で日々鍛えているってのに、何もやってない楓に負けるんだもんな~。本当、詐欺だわ」

 

「私だって何もやってないワケじゃないよ」

 

 

 女バスには入らなかったが、私は私でちゃんとバスケを続けている。

 花道がいない日も、自主練習やストリートでのバスケは欠かしていない。

 

 

「……なぁ、やっぱり女バスには入らねぇのか?」

 

「……入らないよ」

 

 

 未練がないワケじゃない。

 でも、やっぱりあそこは、私の場所じゃないと思っている。

 

 

「でも、先輩からは今でも勧誘されてるんだろ?」

 

「……」

 

 

 先輩の中には熱意のある人もいて、その人は凄く私を買ってくれている。

 あの人となら、あるいは互いを高めあうこともできるかもしれない。

 でも、バスケはチームスポーツだ。あの人とだけ上手くいっても、意味がない。

 

 

「まあ、どうしてもやりたくないって言うなら仕方ねぇけどさ、いつまでもこのままってワケにはいかねぇだろ。

 ……俺だって、いつまでもこうして付き合えるわけじゃないし」

 

「っ!?」

 

 

 その言葉に、私は過剰に反応してしまう。

 だって、この時間がなくなったら、私は……

 

 

「……それは、部活が忙しくなるからって、こと?」

 

「そうじゃねぇよ。たとえ部活が忙しくても、楓とバスケは続けたいって思ってる。でもな……」

 

 

 花道はそう言葉を濁し、黙ってしまう。

 その言葉の続きは気になるが、聞き返すのが怖くて沈黙が流れた。

 一分か二分か、ひどく長く感じた沈黙を破り、花道が口を開く。

 

 

「……俺さ、来学期から、別の学校に転校するんだわ」

 

「っ!?」

 

 

 その言葉に私は、先程よりも強い衝撃を与えられ、思わずよろめいてしまう。

 

 

「嘘……」

 

「こんな趣味の悪い嘘はつかねぇよ」

 

 

 花道は粗野だが、根は真っ直ぐな男だ。

 こんな嫌がらせのような嘘をつくハズがない。

 つまり、これは紛れもない真実ということで……

 

 

「うっ……」

 

 

 零れ落ちる涙が止められず、私は顔を覆って走り出した。

 こんな顔を、花道に見られるワケにはいかない。

 

 

「おい!」

 

 

 呼び止める花道の声を振り払い、私は全力でその場から走り去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの夜以降、花道との関係は疎遠になった。

 一緒にバスケをすることはなくなったし、学校でもほとんど無視してしまっている。

 花道とすれ違うたびに胸がズキズキと疼いたが、それでも声をかける勇気は出なかった。

 

 そしてそのまま、一学期が終わりを告げる。

 

 

 

 

 憂鬱な朝を迎え、無気力なまま学校に登校する。

 今日を終えれば夏休みだというのに、気分は全く晴れることがなかった。

 

 

(……ん?)

 

 

 下駄箱を開けると、一通の手紙が入っていた。

 こんなタイミングでラブレターかと気が滅入ったが、中身を見るとただ一言こう書かれていた。

 

 

『放課後、体育館で待つ』

 

 

 

 

 

 

 

 終業式を終え、私は一人、体育館前まで来た。

 手紙の送り主は書いていなかったが、誰が書いたかははっきりわかっている。

 

 正直、来るかどうかは非常に迷った。

 ずっと無視してきた相手に、今更どんな顔で会えばいいかわからなかったからだ。

 

 けれども、ここで会わなければ、今後花道とはすれ違うことすらなくなってしまう。

 そう思った瞬間、私の足は体育館に向かって歩き出していた。

 

 

 扉を開けると、コートの中心にボールを持った男子生徒が立っていた。

 花道である。

 花道は、私が来たことに気づくと、そのままドリブルを開始してこちらに向かってくる。

 一瞬、1on1を仕掛けてきたのかと思ったが、私がディフェンスに入るのを待つ気配はない。

 

 花道はそのままゴール前まで勢いよく突き進み、飛び上がる。

 まるで空中を歩くようなその姿を見て、私は目を大きく見開いた。

 

 エアウォーク……

 実際に見るのは初めてだったが、それはまさにジョーダンのエアウォークであった。

 

 そして次の瞬間、花道は掴んだボールをそのままゴールへ叩き込む。

 

 

「……」

 

「へへっ、どうだ。つい最近、やっとできるようになったんだよ、ダンク」

 

 

 花道はそう言って、ゆっくりリングから手を放し、床に着地する。

 

 

「……驚いたか?」

 

「……うん」

 

 

 私は頷くことしかできない。

 花道の身長は中学1年生にしては高い方だが、それでも170センチちょっとしかないハズだ。

 それがダンクを決めるということは、それだけの跳躍力を持っているということでもある。

 花道は文字通り、空中を歩いたのだ。

 

 

「俺たちの夢、覚えてるか?」

 

「……うん」

 

 

 忘れるワケがない。

 この名前に負けない選手になること、それが私たち共通の夢だ。

 

 

「なあ、女バス、やれよ」

 

「…………」

 

 

 思わずそのまま頷きそうになってしまったが、なんとか踏みとどまる。

 たとえ花道にそう言われても、私は……

 

 

「俺は桜木花道に負けない、すげぇ選手になる。そして楓も、流川楓に負けないすげぇ選手になると俺は信じている」

 

 

 花道は転がったボールを拾い、私の胸に押し付けてくる。

 

 

「バスケが嫌いになったワケじゃねぇんだろ?」

 

「それは……、うん……、バスケは、今でも大好き」

 

 

 花道と疎遠になっても、バスケへの熱は冷めなかった。

 実戦は減ったが、今でも一人で練習は続けている。

 

 

「だったら、ウジウジしてないで、バスケをし続けろよ。……俺がいなくてもな」

 

「でも……」

 

「俺だって、楓とバスケできなくなるのは寂しい。でも、バスケを続けていれば、そのうちまた一緒にやれることもあるハズだろ!」

 

 

 花道が私にボールを持たせ、今度は肩を掴んでくる。

 

 

「楓がバスケをやめちまったら、その可能性だってなくなっちまう! そんなの、絶対嫌だからな!」

 

「っ!」

 

 

 私だって嫌だ。

 バスケをやめるのも、夢を諦めるのも、花道との繋がりがなくなるのも嫌だ!

 

 

「俺はまだ中学生だから、自由に戻ってきたりっていうのは無理だ。でも、高校や大学だったら可能性がある。そう思わねぇか?」

 

「……それって」

 

「俺たちが活躍して、強豪校の目に留まれば、スカウトされる可能性があるだろ? そしたら、また一緒にやれる」

 

 

 ……確かに、それはそうかもしれない。

 でも、それには全国レベルの活躍をする必要が出てくる。

 今の私と、この学校じゃ、それは望めない。

 

 

「だからまずは、全国で会おうぜ」

 

「無理だよ……。この学校のレベルじゃ、せいぜい地区大会止まりだし……」

 

 

 この学校の女バスの実力では、最高でも地区大会優勝くらいが限界だろう。

 全国など、夢のまた夢である。



「やるんだよ! あの三井寿だって、一人で点取りまくってチームを県大会優勝に導いたじゃねぇか!」


「それは漫画の話でしょ!」


「漫画じゃなくたって、マクレディとかコービーとかいるだろ! それに、俺達の目標はその漫画のキャラに負けないような選手になることだろうが!」


「っ!」



 …………そうだ。

 私の目標は、あの流川楓にも負けないくらいの選手になること。

 ううん……、流川楓なんか目じゃないくらいの選手になることだ。

 そんな目標を立てておきながら、私は何を弱気なことを……



「俺はやるぞ。転校先の学校は聞いたこともないような無名校だけど、俺が引っ張って意地でも全国に行く。だから楓も……な?」


「……はは、そこまで言われたら、やるしかないじゃん」


「っ! よし! 言質はとったからな! 約束だぞ!」


「うん……! 約束!」







 私達は指切りを交わし、全国での再会を誓いあう。

 そして花道は、違う土地へと旅立っていった。

 花道との別れはやっぱり辛かったけど、心にかかっていたモヤは完全に消え去っている。



(よし! やるぞ!)



 今の心情と同じように澄み切った青空にコブシを突き上げ、私は気合を入れる。

 私の……、私たちの戦いは、これからだ!



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