第34話 会いたい人

 咲ちゃんの部屋に上がらせてもらうと、やはり長居の双子がいた。彼らは担任の先生である咲ちゃんに随分と懐いている様子で、長居はそれを利用して咲ちゃんに誘拐の片棒を担がせたのだろう。

 咲ちゃんは全てを自供した。俺が聞くこと全てに、包み隠さず答えてくれた。その大方が、俺や橋本先生の考える推理と一致していた。

「池谷先生、わ、わたし、どうしてこんなこと……」

 咲ちゃんはその場で泣き崩れて、床に座り込んでしまった。

「咲先生、どうしたの?遊ぼーよー」

 前田の双子には、自分達がどのような状況に置かれているのかなんてわかるはずもない。何も知らない前田の息子さんは咲ちゃんに駆け寄って、値札のシールがついたままのサッカーボールを、彼女に無理やり押し付けた。

「あ、ありがとうね、倫太郎くん……」

 誘拐は立派な犯罪だ。それはもちろん咲ちゃんにも当てはまる。長居に脅されて、無理やり犯罪に加担させられたとしてもそれは変わらない。執行猶予はつくだろうが、有罪判決は免れない筈だ。

 そのことを、酷だろうが咲ちゃんに伝えた。とても辛そうだった。声を出して泣いている彼女を横目に、子供たちは和気藹々とサッカーボールで遊び始めた。

「池谷先生、私のこと、弁護してくれますか?」

「ああ、もちろん。任せといて」

 その言葉を聞いて、少し心が落ち着いたのかもしれない。彼女はゆっくりと立ち上がって、部屋着の袖で涙を拭った。

「私、自首します」

 俺は小さく頷いた。

「でも、その前にやることがあるんだ。自首するのはそれが終わってからだね」

 それはもちろん、長居を捕まえることだ。捕まえて自らの犯した罪を償ってもらわなければならない。俺と咲ちゃんは前田の双子を連れて、家を出た。彼女の目には、もう涙の跡など残ってはいなかった。


 その頃、橋本先生が前田を捕まえていた。前田は長居の名前をすぐには吐かなかった。だが、自分の子供達が俺の手によって解放されたことを伝えると、彼もまた泣き崩れて、長居と共に自殺事件の隠蔽をしたと認めたそうだ。

 長居はすぐに警察に捕まった。かけられた容疑は誘拐。証拠は一通り揃っていたのか、間もなく起訴された。裁判ももうじき行われるだろう。

 その後、咲ちゃんは自首した。彼女にも誘拐の容疑がかけられ、長居と同様起訴されるかと思われたが、結局不起訴になった。検察も色々と頭を悩ませたのだろうが、誘拐は強制されたものだと判断した上での結果だろう。不起訴になったおかげで、俺が彼女を弁護することも無くなったわけだが、まあそんなことはどうでも良かった。彼女が笑顔でいれれば、それで十分だ。


 この一連の事件は、ニュースで大々的に報道された。瞬く間にお茶の間に広がり、長居と前田はネット上などで大炎上した。薪葉小学校と教育委員会はそれぞれ、2人の謹慎処分を発表したが、すぐに両者とも自ら退職を申し出た。

 前田だけは警察に捕まらなかったが、世間からの社会的な制裁を食らって、まともに生きていける状況ではないだろう。なつみとの再婚も考えていたそうだが、当然、なつみ本人から断られたらしい。親権も前田からなつみに移ったと聞く。子供達が振り回されてしまったことが悔やまれるが、怪我がなかったことが不幸中の幸いだ。


 反対に俺たちの事務所は、大きく繁盛した。ニュースなどで過剰に取り上げられた結果、依頼が殺到している。一時期は事務所の存続すら危ぶまれたが、今後はしばらく安定するだろう。世間のイメージが良くなった分、大きく崩れることはそうあるまい。

「池谷!お前ちょっと昼飯買ってこい!」

 橋本先生は俺に叫んだ。今回の件では、俺自身まあまあ活躍した自信があったのだが、橋本先生に任される仕事は未だに雑用がほとんどだ。たまに離婚裁判の案件を任されることもあるが、それは今回の件以前と全く変わらない。

 若干の不服はある。だが仕方がない。結局、俺の実力はこの程度で、経験も浅い。相場にあった仕事内容なのだろう。だが、ここを辞めようだとは思わない。憧れの橋本先生に追いつくためにも、修行が必要なのだ。今はまだこの程度でも、いつか先生の跡を継げるような弁護士になりたい。そう思えば、今の環境は最適に思えるのだ。

 いつの間にか、春が来ようかという季節になっていた。コンビニに向かう道中も、あまり厚着をする必要もなくなった。木が生い茂るのはまだまだ先のことだろうが、いつか緑になる季節を見据えて、街路樹の枝も生き生きしているように見える。どこか今の俺にも重なって見えて、一人立ち止まって眺めていた。やがて我に帰って、急いでコンビニへと昼食を買いに行く。

「先生、買ってきました」

「おう、お疲れ。デスクに置いておいてくれ」

「はい!」

 橋本先生はそう言いながら、クライアントのいる応接室に入っていった。

 応接室に置いてあるホワイトボードは、今はもう真っ白だ。つい先日まで真っ黒に書かれていた事件の内容はもうそこにはない。長居や前田の写真が貼られていた位置に、マグネットが二つ付いているだけだ。

「ふう……」

 あれを目にするたび、ため息が出る。疲れているわけではないが、当時のことを色々と思い出すのだろう。決していい気持ちはしないが、事あるごとに見たくなる。それはきっと、弁護士として最も成長を感じた一件だったからだと思う。もうこれ以上骨のある案件はないだろう。

「池谷先生、お茶です」

「ど、どうも」

 田所さんは相変わらず俺には優しく、橋本先生には厳しい。元夫婦同士なんだから、もっと仲良くやればいいのにと毎回思うが、まあ橋本法律事務所らしくてそれもまた良い。

「池谷先生、明日はお休みになったらどうですか?」

「え?どうして急に?」

「橋本先生が言ってましたよ。最近はよく働いてたし、たまには休めって」

「は、はあ」

 そういうことを、橋本先生は俺に直接言ってくれない。だが有難いことには変わりがない。

「では、そうさせて頂きます」

 田所さんは優しく微笑んだ。

「せっかくのお休みなんですし、お友達と遊びに行ったりしないんですか?」

「どうでしょう。僕、友達いないんで」

「あら、池谷先生。何をおっしゃるんですか。今回の一件で、たくさんお友達が出来たじゃありませんか」

「え?」

 返答に困る。

「誰か、会いたい人はいないんですか?」

「会いたい人……」

 俺はかなり驚いた。俺の頭の中に、ある人が突然脳裏に浮かんできたのだ。この人が、俺の会いたい人、なのだろうか。

「その顔は、いるんですね、やっぱり」

「ちょ、ちょっと、詮索するにはやめてください」

「ふふふ。頑張ってください」

「……」

 頑張るって何を……、と聞きたかったがやめた。その代わり、俺はしばらくその人について考えてしまった。

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