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       ◆


「申し訳、ありませんでした……!」


 計四名の警察官を制圧するのに五分もかからなかった。硬い義手で抱きすくめていた新人を開放すると殊勝に頭をさげられる。腰を少しまるめた礼にはどことなく幼さを残し、大人の謝罪というものには不慣れな印象がして束の間の安心感を覚える。


 安心してはならないのだという強烈な確信が、在る。


 木陰がさわさわと揺れた。


 都会でもなく田舎でもないレトロな町並みを遮って、ひとけの無い学園都市公園の桜や向日葵、金木犀、梅などが狂ったように咲き乱れている。四季の停滞だ。見たい時間のみをトリミングされて馥郁とむせ返り、あたかも美しい情景かのように飼い慣らされている。


「申し訳ありませんでしたっ……!」


 さわ……。


「なにが?」


 さわ……。


「な、なにがって、わたしのせいで先輩が」


 さわ……。


「別に、あんた申し訳ないことはしてないだろ」


 桜。向日葵。金木犀。梅。人の手で慎重に整えられた、人工的な自然。同居しないはずの四季が一様にさわさわと揺れる。


 自然を用いて自然を歪める不自然な魔法社会がのっぺりと象徴された風景のなかで、ミルクティーベージュのボブヘアがそよ風を含んでやわらかく膨らんだ。呆れるほど長いまつ毛が震えて、ふと大粒のチョコレートブラウンの目が細められる。十八時過ぎ、花々共々視界が夕日に染め替えられ、上から橙色のレイヤーを重ねた一枚の絵みたいに完成され、そして。


 彼女は微笑んだ。


「悪口言われるの、ぜんぜん平気です。後輩を守るためにレトさんが不利益をこうむるのは嫌です。迷惑かけないようにこれから役に立ちます。それまでは、わたしを許してください」


 地面に伸びた警察官がうめいている。舌打ちや悪態も聞こえる。もぞもぞとからだを動かし俺に殴られた腹を押さえている奴もいる。


「単なる正当防衛だろ」


 新人は鈴が鳴るように笑った。


「だいぶ過剰防衛です」


「……先に魔法を仕掛けてきたのはあちらだろ」


「正当防衛っていうのはですね、レト先輩?」


 魔法攻撃への正当防衛は解くか封じるかの二択であって、その方法として、反対魔法の発動で敵の魔法陣を解くこと、もしくは敵の利き手に怪我させて四大原則「利き手の媒介」を封じること、その二点が認められていて、手じゃないところをアナログでぶん殴ったり、ましてや魔法を物理的に叩き壊したりするのは、過剰っつーかなんというか普通にがっつり暴力で、うんぬん。


 俺は大股で彼女の横を通り過ぎ、万年樹の根元に歩いていった。もともと現場には荒らされた形跡が無かったうえ犯罪の痕跡も捜査系の魔法痕跡に埋もれ掻き消されており、公園はただ平穏な日常の続きのような様相を呈する。


 シュプール師――魔法痕跡の専門家として集中しないよう意図的に感覚を麻痺させる。感じすぎぬよう、感知しすぎぬよう、考えすぎぬよう。くらり、捜査系のどぎつい残り香に酔いかけて目がまわる。


「頭いたぁい……」


 新人がぼやいて進みでる。息をおおきく吸いこみ、まぶたを閉じた。


「犯人、やけに無駄が多いですね。要らない文字がたくさん挟まって、独特な雑音がします。ほとんど消えちゃって判りにくいですが、どうしてこんな無駄な陣を作ったんでしょうか」


 聴音士とは魔法に関する音の専門家だ。特に、魔法陣を書いて発動する工程で瞬発的に術者の詠唱と魔力の動作音を聴きとる。


 例えば一口に瞬間移動といっても陣の種類は多岐にわたる。一般的な陣の文字数は数万から数十万なので、じっくり時間をかけて判断してよい場面ではシュプール師が適任だが、戦闘時などは時間が足りず読みきれない。陣のわずかな差が勝敗を分け、犯人を取り逃がす結果へ繋がることもある。


「……雑音。目的が分からない音です。速度が落ちてしまっています。……でも、速度だけです。要らない音を入れているけど、目的の効果を得るためにそこだけ和音にして、魔力量で無理やり補っています。つまり、補わなければならない、と知りながら計算して不協和音を作った、感じ」


 魔法期以前の古典ファンタジー小説などで長々と詠唱をする設定はありふれているがナンセンスだ。利便性に欠け、時間もかかりすぎ、明らかに常用に不向きだからだ。


 大抵、詠唱はワンフレーズに縮められ、その縮めかたに細かい決まりも無く、さらに言うと上級者は詠唱すらしない。ゆえに魔力の動作音を聴き分ける聴音士は現場の最前線で重宝される。


「全体のまとまりはいいです。強弱記号とビブラートを多用しがち。『目的の効果を得るための道具』以上の『表現』として意識しているタイプです。洗練には遠いかな。独りよがりの装飾過多。基礎力はあるから、雑音を省けばもっと上手に書けるはず」


 俺は驚愕していた。現在進行形の魔法を担当する聴音士が、終わって一日以上経った無音の現場を見て、痕跡のみで犯人の特徴を指摘した。しかも、痕跡は保管しておけないワレモノだ。大音量の捜査系魔法に掻き消されたあとなのだ。


「……聴こえるのか?」


「はい。ほんのちょっぴりですけれど。空気中にただよう魔法分子が、軋んでるんです。それくらいしか分からないです、ごめんなさい」


 J聴音士はふうっとおおきく息を吐き、かたちの整ったまぶたを開いた。


「血痕が一滴もないんですね。こんなにもグロテスクな犯行なのに」


「……人間の残酷さの表現に血痕は必須じゃないからな」


 さわさわと、木陰が揺れる。

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