第6話ノレソレ・フンジャメル(コテンパンにやっつける)

もし、オーリンの扱う魔法が、伝説に名高いあの無詠唱魔法だとするならば。

歴史にその名を残す大魔導師だけが扱えるというあの無詠唱魔法に、ごく近似するものであるとするならば――。


オーリンは一歩、ヴァロンに近寄った。

ヴァロンは恐れをなしたように一歩退き、二歩退き、そして必死の笑みを浮かべた。


「お、おい、冗談だろ? お――俺になにしようってんだよ……!?」


ヴァロンは一歩、また一歩と退がりながら引きつった愛想笑いをうかべた。

オーリンは無言で、もう一歩歩を進める。


「な、なぁおい、わ、悪かったよ――謝るよ。だ、だから、おい! こっち来るな――!」

「先に乱暴あらげねぇごとしたのはお前でねぇのが。こんなこったもの振り回し腐って、いい気なって――」


魔法剣を傍らに投げ捨て、オーリンが一歩踏み出した。

ひぃ、とヴァロンは泣きそうな声で呻いた。




謝るのならごめんすんだば俺じゃないわさでねべお前が殴ったながふったづげだこいつに詫びろこいづさごめんせ二度とこんなことをぬんどとこすたらごどばしませんすね許してくださいとかにすてけろど言えしゃべれ




すごい、【通訳】のスキルをもってしても半分何を言ってるのかわからない――!

レジーナが少し興奮している横で、ヴァロンがぽかんとした顔を浮かべてオーリンを見た。


早くしろはぐせ


その言葉の冷たさに、遂にヴァロンは短く悲鳴を上げた。

そのままとりあえずというように地面に這いつくばり、恐怖から逃れるように額を地面に擦り付けた。


「わっ、わかった! 謝る! 二度とこんなことはしねェよ! だ、だから、頼む、助けてくれ――! ど、どうか、どうか――!」


仮にもSランク冒険者、仮にもあの素行の悪さで知られたヴァロンが、ガタガタと震えながら侘びしく背中を丸め、額を擦りつけて命乞い――。

この光景を見ているものがあったら大騒ぎになるに違いない土下座劇を睥睨しながら、オーリンはぱっとレジーナを見た。


「どんだべ?」

「へ?」

「いいが? 許すてやるが?」

「は、はぁ――まぁ、正直許せませんけど――」

それならもう少しそいでばますこすいじめるかふじゃらめぐが?」

「あっ、いいです! もうそれでいいです! もう勘弁してやってください!」


本気でやりかねない表情のオーリンに言うと、オーリンの表情が緩んだ。

そのままヴァロンに背を向け、レジーナに向かって手を伸ばした。


「立つべし」

「は、はい、あの――」

「なんだ?」

「あ、あの、今の先輩の魔法、あれは一体――?」

いぃ? 何が?」


オーリンはキョトンとした顔でレジーナを見た。

えっ? とレジーナもオーリンの顔を見た。


「何がおがすぃが? の魔法」

「えっ、ええ――? 気づいてないんですか?」

「何喋ってらんだお、あれは単なる魔法だべ。魔導師なら使えて当たり前だね」

「だっ、だって! 今の全然詠唱してないし! おかしいですよ! そんな魔法使える人間が一体この世に何人いると思って――!」


そこまで言った瞬間だった。

ゴウッ――! と、まるで花火が打ち上がったかのように、赤黒い光がレジーナたちの背後から発して周囲を照らし出した。

びりびりと肌を震わすほどの物凄い魔力の噴出を感じて、レジーナははっと目を見開いた。




「こッ……この野郎がァ――――――!!」




レジーナが背後を振り返ったのと、半ば正気を失った絶叫とともにヴァロンが魔法剣を振り抜いたのは、ほぼ同時のことだった。

禍々しいまでの魔力を込めたれた魔法の斬撃が、じゅう、と大気を焦がすような音を立てたかと思うと――凄まじい速度で土塊を巻き上げながらオーリンに迫ってくる。


レジーナが悲鳴を上げた瞬間だった。

ふーっと、オーリンが呆れたように長く細いため息をつき、右手をさっと前に差し出した。




「【上位拒絶(マネ・デヴァ)】」




オーリンがそう鋭く令した瞬間だった。

ヒュン――と、矢が風を切るような音と共に、巨大な魔法陣が眼前に踊ったかと思った瞬間、その障壁にヴァロンの剣撃が激突した。

瞬間、太陽の光さえ圧するような白い閃光がレジーナの視界を白一色に染め上げ、途端に耳を聾する轟音と衝撃が臓腑を揺さぶった。

思わず目を閉じて耳をふさぎ、その場にしゃがみこんで、自分の耳にさえ届かない悲鳴を上げた後は――何がなんだかわからなくなった。


どれだけそうしていただろう。

ふと――目を開けたレジーナの目に飛び込んできたのは――まるで影そのものになって目の前に立つオーリンの背中だった。


「え――?」


それから、レジーナは周りの風景を呆然と見渡した。

王都の外れの田舎道は、惨たらしく黒土をめくりあげ、広範囲に渡ってえぐり取られていた。

だが、その破壊の衝撃をまるでオーリンが盾になって受け止めたというように、オーリンと、その背後でへたり込んでいる自分の下の地面だけが――まるで切り取られたかのように無事に残されていた。


何が起こったの、何が――。

もう何度目かもわからない疑問が頭に立ち上ったとき。


オーリンが肩越しにレジーナを振り返って、静かに言った。




無事だなけねが?」




あ、あ……! という怯えた声が耳に聞こえてきた。


「な、なんなんだよ、お、まえ……!?」


ヴァロンは、バケモノを見るような目つきでオーリンを見ていた。

まさか受け止められると思っていなかったのだろう一撃を呆気なく防がれたことで完全に戦意を喪失したらしいヴァロンは、魔法剣を取り落とさんばかりに狼狽えた。


「【腐食アメル】」


そうオーリンが短く言った途端、じゅう、という音が発し、ヴァロンの構えていた魔法剣が先端の方から変色し、見る間に赤黒く溶け出した。


「お、俺の剣が――!」


今度こそヴァロンが甲高く悲鳴を上げ、煙を上げて地面に滴った魔法剣の柄を毒虫が如くに手から払い落とした。


ゆら――と、そのさまを見ていたオーリンが、低い声で言った。




「わい、ゴンザレスこいだで。ここでちゃちゃどけぇんだばしゃねふりすてやんべどおもってだどもな。なのごでばもうはかにさねど。ノレソレふんじゃめってまるはでおべでおがなが、このえじくされめが――」

【おい、ガッカリしたぞ。ここで黙って帰るなら見逃してやろうと思っていたけどな。お前のことはもう許さないぞ。しこたま痛めつけてやるから覚悟しろ、この卑怯者め】




何を言っているのかわからないなりに、それが死刑宣告に近いものであったことは、このオーリンの凶相から十二分に察したらしい。

何やらわけのわからない悲鳴を上げて遁走に転じたヴァロンに向かい、オーリンは右手を目の前にかざし、そしてゆっくりと、静かに声を発した。




「バゲノクレノバワノキャグ、アサマノマンツコサバワノヒンヒサバナッテ、ワノシャベコドハソノキレガタダイコウバミセルモノ、ワノシャベコドサイショズテデハッテコイ――」




「何を――言ってるの――?」


レジーナは一瞬、訛りが酷すぎて東洋の呪文としか思えない響きに目を瞠った。

それは一度も聞いたことのない不思議な語感の詠唱――それはいわば、オーリンが言うところの「アオモリ」の言葉にローカライズされた詠唱であった。


慌てて意識を集中させ、今しがたオーリンの言った言葉を【翻訳】して――そして、レジーナはその文面に驚愕した。




【夜の闇は我が眷属、朝の光は我が師となりて、我が言葉はその穢れなき威光を示すもの。我が言葉に応じて顕現せよ】――。



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