第5話シャベネア(無詠唱)

目の前の光景に驚愕したのは、ヴァロンも同じだったらしい。




「な――!?」




突然現れた防御障壁は一体誰のものなのか――。

ヴァロンが流石はSランク冒険者の勘で辺りに素早く視線を走らせた、その時だった。




「おい、そごのとうもろこしのカスきみがら頭」




低く、ドスの利いた声――その声が一体どこから発せられたものか、一瞬レジーナは測りかねた。

その声に気圧されたように、拳から鮮血を滴らせながら、ヴァロンはよたよたと後ずさった。


おなごさ手ば上げるよんたクズたふらんきゃ、アオモリだばどご探してもいねど。お前、自分がなにやってらがわかっているのかおべでらんだが?」

「な、何を――!?」


言っていることはわからないが、とにかく馬鹿にされていることはわかったらしい。

ますます赤黒く変色した顔でヴァロンが喚いた。


「んだよコラァ! 障壁なんていつ出した!? お前か! お前が――やったのか!!」

だったら何だへばなんだってや

「ふざけやがってェ! いっ、一体何の手品だァ――!?」


今度はオーリンに矛先を向けたヴァロンが思い切り拳を振りかぶった。

うわ! とレジーナが悲鳴を上げる直前、再び雷鳴のような声が響き渡った。




「【連唱防御ヘズネ】」




その瞬間、オーリンの目の前に再び光り輝く防御障壁が現れ、ヴァロンの拳を真正面から受け止めた。

ゴリ……! と身の毛もよだつ音がヴァロンの拳から発し、うぎゃあっとヴァロンが耳障りな悲鳴を上げた。


「な――なんだお前は!? いっ、いつ詠唱した!? この防御障壁はどっから出してるんだよ!?」


砕けた右手をかばいながら、血相変えてヴァロンが喚く。

それを見ながら、レジーナはぽかんとオーリンの背中を見ていた。




一体この人は今何をしたの、何を――!?




通常、ある魔法を発動するにはある程度の長い詠唱が必要で、即時展開は不可能だ。

それ故、その詠唱をする時間を稼ぐのがパーティの他のメンバー――戦士や剣士の役割である。

だからこそ、魔導師は戦闘中でも攻撃の届かない後方に控えているのが一般的なのである。


だが、今の障壁は間違いなくオーリンの出したもの――。

それは間違いないのに、オーリンは詠唱をした形跡がない。

なにか一言――わけのわからない言葉を呟いているだけだ。


「ふざけやがってふざけやがってふざけやがってェ! 俺をキレさせたらどういうことになるか教えてやらァッ!」


もはや冒険者でもなんでもない、ヤクザそのものの声を張り上げて、ヴァロンは腰に帯びた剣を抜き放つ。

途端に、その剣がぼうっと発光したかと思うと、凄まじい高熱を発して燃え始めた。

王都内で魔法剣を抜くなんて――! レジーナは正気を疑う声でヴァロンに向かって叫んだ。


「ちょ、ちょっとヴァロン! 何考えてるのよ! ギルドメンバー同士の喧嘩は御法度で――!」

「やかましいぞ腐れ女! 殺す! お前は絶対にブチ殺す、覚悟しろよ田舎者がァ――!」




うるさいしゃすねな――【鎮火ウルガス】」




オーリンが呟いた瞬間、ドバッという音とともに、ヴァロンが構えた魔法剣から水が滴り、じゅう、という音を立てて火が鎮火した。

今度こそぎょっと目を見開いたヴァロンは口をあんぐりと開け、オーリンの顔と剣の両方に視線を往復させた。


「な――!?」

どうしたどすたばSランク。俺をわごだ斬るきたぐるんでねぇのか」

「あ――う――!」


狼狽したヴァロンは、終始何が起こっているのかわかりかねているようだった。

さっきまでの威勢はどこへやら、まるで怪物に出くわしたかのように色をなくした顔で呻き声を上げるだけだ。




「こ、このー―! 俺をコケにすんのも大概に――!」

「【強奪グレリ】」




その瞬間だった。まるでフィルムのコマ落としのように、ヴァロンの手から魔法剣が消えた。

あっ、と声を上げたレジーナと違い、ヴァロンは一瞬、そのことに気がつかなかったらしい。

一歩踏み込もうとして手の中にあるべき重さが消えていることに気づいたヴァロンが、声なき悲鳴を上げた。


ほほうわい、悪ぐねぇな。これならこいでばぐ斬れるだろうびょんな――」


オーリンは手の中に握られた魔法剣をしげしげと眺めて感嘆した。

無論――その光景を目の当たりにしたヴァロンは、あ! と短く悲鳴を上げ、細かく震え始めた。


それを見ながら――。

レジーナは今日の朝に聞いたマティルダの言葉を思い出していた。




『オーリンには悪いことをしてしまった。本当なら彼の能力を活かせる場がこのギルドにあればよかったのだけれど――』




あのマティルダの言葉は一体、どういう意味だったのか。

あの言葉は、このイーストウィンドでは彼の力を持て余してしまうことになると、そういう意味ではなかったのか。

オーリンにそれだけの実力があるなら。

オーリンが魔法を出す際に一言呟いている、あれが詠唱だとするなら。


導き出される結論は、畢竟、ひとつしかない。




「無詠唱、魔法――?」



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