君に「要らない」と言われたとしても 5

 倒れたルビーの魔人から、赤い光が湧き出していく。

 その光が、真っ白な光の珠に変えられていく。

 白い光の珠に変わったそれが、キタの手の中の冒険の書に吸い込まれていく。


 すると、冒険の書がページを吐き出し始めた。

 吐き出されたページが、空に、地面に、建物に、次々貼り付き始める。


 よく見れば、周囲全ての時間が止まっていた。

 人も、物も、雲も、風も、なにもかもが動いていない。

 止まっている時間の中で、キタの手の中の冒険の書が無限かと思えるほどにページを吐き出し続けている。


「これは……なんだ……?」


「冒険の書の力だね、お兄さん」


「うわっ!?」


 またしても。あるいはいつものように生えてきたカイニが、キタの後ろから飛びつくようにして、彼を抱きしめていた。


 ぎゅーと抱きつき、にへへと笑って、むぎゅっとキタに体を押し付けて、キタの頬に頬をまたくっつけている。


「カイニ!? お前、どこに行って……」


「消えてたのが今戻って来たところ。お兄さんのおかげだね」


「え?」


「冒険の書にあんなサブの機能があったなんてね……」


 魔族の絶滅によって発生したSTAGE IIの共通能力、言うなれば『勇者カイニ殺し』とでも言うべき力によって、カイニは消滅の危機に瀕した。

 いや、実際に消滅していた。

 だが消滅したカイニをギリギリのところで繫ぎ留めるものがあったのだ。

 海で漂流している者を、船に繋ぐロープのように。


「ボクは時間改変で消えてて、でも消えてる間、ずっとお兄さんの気持ちが伝わってきてた。きっと時間があやふやな領域にまで流れていくと、冒険の書を通じた繋がりをハッキリと感じられるんだろうね。ボクとお兄さんは冒険の書で繋がってて、お兄さんがボクを大事に思う気持ちがボクに伝わってきてたから、ボクはギリギリのところで踏ん張れて、完全に消滅せずに済んだんだ」


「そうだったのか……」


「うへへー、お兄さんに命救われちゃったなー、何されても文句言えないなー」


 ぎゅーっ、とカイニはキタに抱きつき、頬ずりをする。

 とても嬉しそうで、とても幸せそうで、とても満足そうだ。

 彼女にとって、キタに救われたことは最高の出来事だったらしい。


 最強の勇者であるためあんまり命を助けられることがなく、十年離れ離れであった憧れのお兄さんに命を助けられたということもあって、喜びコンボが成立してしまっているのかもしれない。

 あるいは。

 冒険の書を通じて、思っていた以上にキタに大切に思われていたということを知ったので、それで幸せ状態なのかもしれない。


「なーにしてもいいんだよー?」


「じゃあ、優しくしてやろう。今日も頑張ったな、よしよし」


「にへへー」


「クールキャラは……?」


「今日はクールキャラの日曜日だから明日から再開だね」


「キャラ付けに曜日制を導入するな」


 キタがカイニの頭を優しく撫で、褒め、カイニがふにゃっと笑む。


 なんだかんだ、普段自分が美人だとか軽口を叩くくせに、己の女の子としての魅力についてあんまり確固たる自信を持っていないカイニである。

 コロカに惚れられて「ボクのどこに惚れたんだろう」なんて言っていたほどだ。

 そんな彼女だけが聞いた『冒険の書越しのキタの本音』というものは、もしかしたら、彼女にとって一生分の幸せに相当するものだったのかも知れない。


 とはいえ、もうカイニも子供ではないわけで。

 ぎゅっと押し付けられる柔らかい感触に、キタは動揺しそうになってしまう。

 キタはカイニを優しく引き剥がし、話を転がした。


「それで、冒険の書の力っていうのはなんの話なんだ?」


「記録の力。世界の修正力を後押しする力だよ」


「世界の修正力……」


「時間を書き換えた絶滅存在ヴィミラニエの力を解析して、どういう力で改変したかを特定して、絶滅存在ヴィミラニエの力を吸い上げて、それをページという形で世界に放出して、世界の修正力を後押ししながら誘導する力……のはずなんだけど……」


 カイニはキタの手元の冒険の書が吐き出し続ける膨大な数のページに、たいそう目を丸くしていた。

 カイニ曰く、吐き出すページの多さは、より正確に世界を修正することや、世界を補強することに繋がるらしい。


 歴代勇者は皆そうしていて、この力の規模は、当代の勇者が生来持つ『他人を大切に思う気持ちの強さ』に比例するのだとか。

 つまり、世界の修正力の誘導に限定されるが、他人を大切に思う人間であればあるほど、強度の高い時間修正能力を持つ、と言い換えることができるということだ。


「すごいね、ボクが持ってたページの力が本当に断片だったって分かるよ」


「めっちゃくっちゃな勢いでページが出ていくな、上下逆の滝みたいだ」


「既存の世界の記録セーブから、引出ロードして、上書きリセットしてるんだ」


 本のページが、光を纏って舞い上がっていく。

 時の止まった世界の中、空へと舞い上がっていく。

 一、十、百、千、万と、止めどなく舞い上がっていく。


 まるで、大地から空へと落ちていく流星群のように。

 そんな戦いの終わりを、キタとカイニは二人きりで見つめていた。

 空に、ページの星が瞬いていく。


「これが神様と世界が勇者に与える力と権利。冒険の書に記録セーブされた時間と世界の続きから、勇者はまた明日の冒険を始められるんだよ」


 カイニが微笑み、両手を広げて、流星が輝く空を見上げて、とん、とん、とん、と軽やかに歩いていく。

 真珠のような髪が流れて、彼女を慕う七色の光の粒がその後を追いかけていく。


 その姿があまりにも、御伽噺の妖精のようだったから。

 キタは、ここが綺麗な花畑か、美しい湖なのではないかと、錯覚した。

 救われた世界の中心で、カイニは踊るように歩き出していく。


「世界は続いていくんだよ、お兄さん」


 カイニがとびっきりの笑顔を見せ、つられて微笑んでしまったキタもまた、空を見上げて冒険の書のページであった流星を見つめる。


 キタが空を見上げたのを確認し、カイニは顔を逸らして、表情を曇らせる。


 そして、穴だらけになって千切れた黒いワンピースと、泥と血で見る影もなくなった銀灰のブーツ、切れたソックス、赤黒く染まって割れたブレスレットを見た。

 全て、本日キタに買って貰ったものである。

 自分の今の服装を見直すたび、カイニは気分が底まで落ち込むのを感じる。


「……」


 十年ぶりの、憧れのお兄さんからのプレゼントだった。

 初めてのおしゃれなプレゼントだった。

 憧れのお兄さんとの、人生初めての王都デートの思い出の品だった。

 大好きな人からのプレゼント、だった。


 大切にしようと、そう思っていたのだ、カイニは。

 今日いきなりこんな肉薄する血みどろの戦いになると先に分かっていたら、戦いになる前にどこかで着替えてきただろうに。

 人生最大の宝物を手に入れたのに、あっという間に失ってしまったのである。


 『幸せな気持ちに浮かれてないで戦いの警戒を忘れていなければ』と思えば思うほどに、『ボクが悪い』としか思えなくて、カイニの気持ちは落ち込んでいく。


 『そもそもボクがもっと強くて瞬殺してたらこうはならなかった』と思えば、更にどん底まで落ちていく。


 『彼からのプレゼントを大切にできないボクなんかが彼の隣に居ても』とまで思い始めたものだから、もう末期だ。


「……」


 はぁー、と溜め息。

 ふぅー、と自分の頭をぽかぽか殴る。

 うぅーん、と唸って、地面をどたどた蹴る。


 そうして可愛らしく落ち込んでいたカイニの目の前に、輝くページが降りてきた。

 無論、キタの冒険の書から飛び出していった1ページである。

 それがカイニの服の胸元に、ぺたっと張り付いた。


「……?」


 次の瞬間。

 まばゆい光が、カイニの全身を包み込んだ。

 光が、時間を紡ぎ直す。

 まばゆい光が消え去ると、そこには買った直後の状態まで時が巻き戻り、完全な形に戻りきった服を纏う、カイニの姿があった。


「……!?!?!?!?!?!??!!」


 時間修正力の強度は、当代の勇者の他人を大切に思う気持ちに比例する。

 キタのそれは、歴代でもとびきり高かったらしい。

 カイニの予想を遥かに超えた強大な修正力は、十年もの間、刻の勇者として戦ってきたカイニでさえ見たことのない、『参戦者の衣服修復』という現象まで起こしてみせたのである。


 でも、カイニからすれば。

 『いつもボクを救ってくれるお兄さんが、またボクのために、ボクも知らないような奇跡で、ボクの笑顔を守ってくれた』というだけのことであり。

 それが、この世のどんなことよりも幸せで、嬉しいことであった。


「わっ、わっ、やたっ、やったぁ! こんな、こんなことあるんだ……!」


 カイニは超特急で、空を見上げるキタの前に駆けつける。


 綺麗な服装に戻ったカイニを見てきょとんとしたキタだが、すぐに微笑んだ。


 キタの前で、カイニはくるりと回って、得意げに笑み、王族の所作を真似してスカートの裾をつまみ上げ、礼をする。


「ふふっ、へへんっ。どーでしょうか」


「おっ……服、直したのか。どうやったんだ? さっきよりずっと美人さんに戻ってるじゃないか。綺麗だよ」


 何があっても、何度でも。


 彼の傍にいれば、何度だって幸せな気持ちになれる。


 そんな幸福な確信で胸の中がいっぱいになっているカイニが、にへーっと笑んだ。


「えへへ、お兄さん、ちゅーしていい?」


「いつまで子供の頃の妹気分なんだお前は……駄目だ」


「いけずぅー」


「していいよって言っても恥ずかしすぎてできないくせに」


「………………………な、なんてこと言うんだ!」


 真っ赤な顔で抱きついて思い知らせようとするカイニ。


 カイニの額を押して、抱きつこうとするカイニを離そうとするキタ。


 それと、同時刻。


 世界の修正がまだ終わらぬ中、街の片隅で、敗北して全てが終わりを迎えたはずのルビーの魔人が、穏やかな表情で体を起こした。

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