君に「要らない」と言われたとしても 3

 勇者と魔人。

 両者は人々が避難し、誰も居なくなった街の区画へと戦いの場所を移しつつ、一進一退の攻防を繰り広げていた。

 切って、走り、斬って、跳んで、伐っては、受ける。


 剣と剣。

 勇者と魔人の間で火花が散り踊る。

 切る。

 斬る。

 伐る。

 二者の間では、数え切れないほどの剣閃が鎬を削り合っていた。


「はっ!」


 キタが右手で黒き魔剣を振るう。

 魔人が片腕で、ルビーの紅き剣にて受ける。

 衝撃で、剣の周囲の空気が弾けた。


 キタはすかさずベルトの筒を逆手で抜き、振りながらそれを青い剣へと変える。

 片腕しかない魔人に防ぐすべはない。

 と、思われたが。

 なんと魔人は翼をルビーで覆い、それで逆手の青い剣を受け止めた。


「!」


 『もはや飛行に使えない翼なら防御に使えばいい』───逆転の発想だが、奇を衒っただけのものではない。合理である。

 魔人はそのまま、ルビーの翼の剛力にて押し切った。

 押し切られたキタがたたらを踏む。


 魔人はルビーの翼で後方の地面を殴り、反動で跳ぶようにして距離を詰め、思い切りルビーの剣を振りかぶる。


「『終われっ!』」


 振り下ろされた紅剣を、キタは黒剣で受け流した。

 受け流された紅剣が、地面を叩いて土煙を巻き上げる。

 魔剣が誇る美しい黒が、土煙の中で煌めいていた。


 キタは地面にめり込んだ紅剣に上から右手の黒剣を叩きつけ、抑え込む。

 そして同時に、左手の青剣を魔人の首めがけて振るった。

 剣を抑え込んでからの首狙い。

 堅実、なれど必殺である。


 魔人は必死に膝を折り、体を落として、首ではなくルビーの額で受ける。

 赤いルビーを青剣の斬撃がぶっ叩き、魔人の体が後方へと転がった。


「『くっ』」


 痛みもある。

 ダメージもある。

 されど殺害には至らない。

 カイニが振るった魔剣クタチでも穿つらぬけなかったルビーの守りは健在である。


 転がった魔人が跳ねるように立ち上がる。

 キタは何かを上に投げ、右手に黒剣、左手に筒に戻した剣の柄を握り、全力の疾走で距離を詰める。

 魔人は紅剣を正面に構え、返しの一撃で両断を狙う。


 次の瞬間。

 魔人の視界に、斬撃が見えた。


「『なにっ!?』」


 すわ決着か、と思われた瞬間。


 魔人の全身が赤い装甲に覆われ、三つの斬撃全てを弾いた。


 目を見開くキタ。全身が覆われていたのは一瞬だけで、すぐに装甲は崩れ去る。


「全身硬化……!?」


「『フゥ、ハァ、フゥ、咄嗟の思いつきだが、やってみるものだな……!』」


 二ッ、とルビーハヤブサは笑った。


 キタの双剣は二本の筒状の柄が本体であり、片方だけ剣にもできる。

 双剣の時は両方の柄をワイヤーで繋いでおくこともできる。

 ワイヤーの伸縮は、キタの意思で行える。


 つまり、こういうことだ。

 筒の片方を手中に握っておく。

 もう片方の筒に魔力を込め、魔人の頭上方向に放り投げておく。


 そして接近しながら、手中の筒を剣にして、ワイヤーを発生させる。

 この瞬間、敵の頭上の剣と、手中の剣がワイヤーで繋がる。

 そしてワイヤーを適度に伸縮させれば、引っ張られ上から落ちてくる剣、手中の剣、そしてもう片方の手で振るう魔剣で、疑似三箇所同時攻撃が可能となる。


 脳天を狙ってくる剣と、心臓を狙ってくる剣と、足元を狙ってくる魔剣。

 これを同時に防ぐのは至難の業である。

 半ば曲芸だが、実戦で使えている時点で既に絶技だ。


 そこには、凡人が達人を仕留められる一撃を研鑽したがゆえ生まれた、磨き上げられた奇剣があった。


「『よほど能力の低さに苦労してきたようだな、くくっ』」


「まあ、そうかな。否定はできない」


「『お前のように抗うために工夫して、滅びていった種族も多いかもしれんな』」


 勇者カイニは極限まで強かった。

 黄金の戦士ダネカは最悪の天敵だった。

 対し、真の勇者キタは弱かった。

 弱かったが、上手かった。


 ルビーの魔人が戦ってきた中でもこと『細かい工夫』だけで言うならキタが一番だと、魔人は思う。


「はぁっ!」


「『どぅあっ!』」


 魔人が防御しにくい、足狙いの斬撃を放つ。

 キタは右手の魔剣を路面に突き刺し、地面の硬さを借りる形で魔人の紅剣を足の前で受け止める。


 キタは突き刺した魔剣を離し、両手に青い双剣を持ち、挟み込むようにして魔人の首を狙う。

 それを、魔人はルビーで覆った翼を回り込ませて受け止める。


 すかさず、キタは魔人のみぞおちを狙って前蹴り。

 超人的な動体視力でそれを見切った魔人の膝が、その足裏を受け止めた。


 キタは右手の青剣を瞬時に手放し、蹴りに使った足を斜め後ろに踏み込ませ、路面に突き刺さった黒き魔剣を抜刀術が如き動きで抜き放ち、魔人の胴を狙う。

 魔人は手の中で紅剣を回し、それを切り弾いた。


 更に、追撃。

 キタは右手から手放した青剣を右足で蹴り上げ、跳ねた青剣が魔人の顎を狙い、同時に右手で振るわれた魔剣が魔人の左に残された最後の腕を狙い、同時に左手で振るわれた青剣が魔人の心臓を狙う。

 またしても放たれる、三箇所同時の必殺斬撃。


 魔人は足に力を込め、三箇所同時攻撃が繰り出された瞬間のほんの僅かな時間を使って、後ろに跳んだ。

 くるりと回って、魔人は通りのど真ん中へと着地する。


「らぁっ!」


「『せぁっ!』」


 キタには、ダネカと共に鍛え上げた凡夫の剣がある。

 それは、十年前から一年かけて師匠に仕込まれ、九年前にダネカと出会うことで芽生え、九年間ダネカと共に鍛え上げてきた剣である。

 凡庸、けれど必死で、丁寧で、守ることに長けていて。

 キタが変わりながらも、変わらずに居たことを証明するような剣だった。


 それは、明日を創るための剣である。


 ネサクの体で魔人が振るうのは、今日初めて振るわれた剣である。

 それは、絶滅存在ヴィミラニエの強大な身体能力と、元動物ゆえの感覚の鋭さと、キタとは比べ物にならない剣才による、天賦の剣だ。

 未熟で、成長中で、動物的で、殺意があって、憎悪と未練に溢れていて。

 カエイが愛した、剣など握ったことのない服屋のネサクが、この世に残っていないことを証明するような剣だった。


 それは、過去へと還るための剣である。


 誰もが避難して無人となった公園に、もつれ合うようにして、絡み合うようにして、魔人と勇者が転がり込む。


「『いい加減に、負けを受け入れるがいいっ!』」


「断るっ!」


 魔人は自分が危険域にあると自覚しながら、ルビー射出の構えに入った。

 キタはカイニほどの剣技を持たない。

 ダネカのような固有能力もない。

 ルビーの雨、ルビーの弾丸、どちらであっても防ぎきるのは難しいだろう。


 かくして、魔人はルビーを撃とうとしたが。

 魔人が放とうとしたルビーは、石の欠片ほどにも出なかった。


「『……っ……、出ないっ……!』」


 ここまでの戦いで、大技を使いすぎた。

 強敵と戦いすぎた。

 受けたダメージが多すぎた。

 血も流しすぎた。

 半身も機能不全を起こしている。

 加え、ルビーの翼や全身硬化など、乗り切るための新技まで使ってしまった。

 生まれたてのルビーの魔人は、その力をほとんど使い切ってしまったのである。


 彼が扱えるルビーはもう、全身の何箇所かを覆う装甲と、翼を覆う装甲と、左腕に握った紅き剣しかない。

 これだけで、勝ち切るしかない。

 たとえ、キタを倒した後、歴史改変まで完遂することを考えれば、絶望的なほどにリソースが尽きている、と分かってはいても。


 ルビーハヤブサの瞳には、『諦めない』という意志の炎が燃えていた。


「『……フン。絶滅生物の生涯など、常に全てが絶対窮地。いつものことだ』」


 勇者が踏み込む。

 踏まれた砂利の音がした。


 魔人が踏み込む。

 踏まれた砂の音がした。


「『お前達人間の言いたいことなど手に取るように分かる!』」


 魔剣の黒と魔人の紅がぶつかり、火花を散らす。


「『罪のない人の未来を奪うな、またそう言うだろう。お前達のどこに罪がない!? 生まれた時から現在に至るまで誰も傷付けてない程度の人間を、何の罪もない人間だとでも言うつもりか!? 何を殺して食っている! どの国の環境を破壊しながら生きている! お前の先祖が何かを絶滅させた罪は世代を交代すれば消えるのか!? ───美味かったか、我らの肉は!』」


 嵐のように振るわれていく紅き剣を、黒き剣と青き剣が斬り弾いていく。


「『罪の無い命などあるものか! 我等とて滅ぼされる前は多くの命を食んできた! 我らに食われた命が我らに復讐をしに現れたなら、甘んじて生存闘争を受け入れていただろう! しかし我々も絶滅はさせたことがない! 人類だけだ! この星が始まって以来、ここまで多くの種を絶滅させてきたのはっ!』」


 返しに放たれた黒剣を、獣の如き反応速度で振るわれた紅剣が叩き落とす。


「『人、エルフ、魚人、獣人、人に類する全てのもの……交配が可能であるという理由で、あるいは姿が似ているという理由で、己らを一つの括りにした、恐るべき飢餓の獣達! 欲しがることをやめられない、この世界でもっとも飢えた獣達! 餌を求めて、食い尽くし! 資源を求め、鉱毒を垂れ流す! 技術を求め、実験で特定種を焼滅させる! お遊びで放った肉食魚が、その湖の魚を絶滅させる!』」


 投げつけられた青剣を、振るわれた紅剣が受け止めて、憎悪の瞳が爛々と輝く。


「『どうしてどんなことができる!? どうしてそこまで悪魔になれる!? 私がお前達人類に問いかけても、悪意ある答えさえ帰ってこないだろうさ! お前達の答えは分かっている! か! 、だ! お前達が食いたいと言ったから狩猟で絶滅させ、お前達が欲しがった工業品のための廃水で絶滅させ、お前達が増えすぎたがゆえに街を広げるため森が消え去り絶滅する! そうして私がお前達に復讐の刃を向ければ、お前達はこう言うだろう!』」


 キタが構えた魔剣に、全力で振るわれた渾身の紅剣が衝突し、あまりの力にキタが体ごと吹っ飛んだ。


「『───とな』」


 転がりながら立ち上がるキタが見据える先に、憎悪に燃える魔人が在った。


「『お前達が好きにしているなら、私も好きにしてやる。聞け人間ども! 自分達が滅ぼしたということは! 自分達も滅ぼされるということだ!』」


 魔人は、無数の感情を迸らせている。

 無念。

 未練。

 後悔。

 憤怒。

 憎悪。

 悲嘆。

 数え切れないほどの感情が、滅ぼされたルビーハヤブサという怨念の渦となり、人類を滅ぼしてルビーハヤブサを復活させる意思を形作っている。


 ルビーハヤブサの意思そのものに、他者を許す寛容さと、鬼畜外道に落ちきらない気高さがあったとしても、変わらない。

 怨念から生まれたこの意思が、人を許すことはないだろう。


 キタは荒ぶる呼吸を落ち着かせながら、右手に黒剣、左手に青剣を構える。


「僕は理不尽に他者を傷付けることを許せない。罪を重ねた人を僕が受け入れることはあるかもしれない。だけど、理不尽そのものを許すことはできない。暴力を振るって追放したり、追放した人に理不尽な暴力を返したり、傷付いた人に過剰な追い打ちを食らわせたり……そういうのは、よくないことだ」


「『だったらなんだ!』」


「君が現代を生きる人達を歴史改変で虐殺するのは理不尽だ。そして、大昔の人達が君達を食い尽くして滅ぼしたことも理不尽だ。僕は、どちらも否定する」


「『───』」


「普通に生きていて、罪はあっても、滅ぼされるようなことをしていないなら、僕はそういう者の全てが守られるべきだと思う。だってそうじゃないか。『なんで滅びなくちゃならないんだ』って叫びながら滅びるのは……辛いだろう?」


 魔人の顔が、怒るように、悲しむように、喜ぶように、歪んだ。


 キタは今でもダネカが大好きだ。

 けれど、ダネカが自分に暴力を振るって追放をしたことは、そうそう許されてはならない理不尽だと思っている。


 それを聞いて怒ってくれたカイニの気持ちを、キタは嬉しいと思った。

 けれども、カイニが勇者の力でダネカ達に暴力の応報をすることを、キタはしてはならない暴力だと否定した。


 ネサクは歪んでいた。それに自覚を持てていなかった。ネサクが自覚を持っていなかっただけで、ネサクの身の上を聞いた時にはもう、キタには察しがついていた。

 けれども、ネサクの愛ゆえの行動に強い否定をしなかった。

 ネサクが歪んでいることと、ネサクの矛盾を指摘してネサクを否定して、ネサクを傷付けていいかどうかは、別の話だと思ったから。


 キタはネサクに同情した。

 救われてほしいと、そう思った。

 傷付いた人をこれ以上傷付けたくないと、そう思った。

 けれどそれでも、ネサクが現代に起こした虐殺を、許してはいなかった。


 ルビーハヤブサに対してもそうだ。

 キタはルビーハヤブサを絶滅させた過去の人を許していない。

 同時に、ルビーハヤブサが現代に虐殺を起こしたことを許してもいない。

 その上で、滅ぼされたルビーハヤブサへの慈しみを向けている。


 それが、キタの生き方。キタの信念。キタが信じる『僕はそうであるべき』。

 キタがそう考える人間であることを見つめ続けたダネカが、キタとダネカの二人で歩いていく指針として決めたPTの名前が、『明日への靴』だ。


 剣でもなく。

 盾でもなく。

 明日へと歩いていこうとする人の踏み出す足を守っていく、心の靴。


「『……』」


 そうしてルビーハヤブサは、先の交戦前にキタと相対した時、「こいつがあの時代にいれば我々を守ってくれたかもしれない」と自分が思ってしまった理由、その原因であるキタの精神性を、少しばかり理解した。


 あの時。

 ルビーハヤブサの生き残りが、「助けて」と声を上げた時。

 勇者キタが、あの時代に居たならば。

 助けてくれたかもしれない……などと、ルビーハヤブサを構成する死した鳥達の魂の一部が、声を上げ始める。


 それを振り切るように、魔人は左の翼、左の腕、左の剣を振り上げる。


「『……もう、遅い。もう遅いのだ貴様はっ! 今更言われたところで!』」


 神王歴1511年にルビーハヤブサが求めた救い主は、今ようやく現れた。

 900年以上経った、今になって。


 もう遅い。

 血を吐くように、魔人は言う。

 もう遅い。

 手遅れなのだ。ルビーハヤブサは滅びたのだから。

 もう遅い。

 あの時欲しかった人の優しさを、今更与えられても遅すぎる。


 救ってほしかった瞬間に来てくれなかった真の勇者に、何の価値がある?


 ルビーハヤブサは、もう人に滅ぼされている。

 そしてルビーハヤブサもまた、人を滅ぼす側になっている。

 かつては、人がルビーハヤブサを食い尽くし。

 今は、人類全てがルビーハヤブサを憎い仇として見るだろう。

 全てが敵だ。


 絶滅存在ヴィミラニエの目的を挫き、歴史を守らんとするキタも例外ではない。敵である。

 全ての人は、ルビーハヤブサの敵である。


 たった一人を除いて。


「『!』」


「『……行こう』」


「『……人間、お前、戦う理由を失ったはずでは……』」


「『もう少しだけ……支えさせてほしい。迷いながら、だけど……』」


「『……フン! 世界を滅ぼしたくなくなった負け犬が偉そうに。遅れるなよ』」


「『ああ』」


 悩み、悩み、悩み、悩み。

 何かの答えを出したネサクが、再びルビーハヤブサと心を合わせる。

 少しばかり、魔人の体に力が戻った。

 ルビーハヤブサの声が僅かに上擦って、喜んでいたように聞こえたのは、おそらく気のせいではないだろう。


 キタが魔人と戦えていたのは、ネサクが折れて魔人の力が半減していたからというのが大きい。

 その力が少しでも戻れば、拮抗していた戦いはバランスを崩すだろう。

 キタがこれまで通り戦っていれば、おそらくどこかで押し切られる。

 ネサクの決断により、魔人が二人で一人の絶滅存在ヴィミラニエに戻ったことで、キタの目には濃い敗北の色が見え始めてしまっていた。


 ふぅ、とキタは深く息を吐き。

 魔剣を地に刺し、胸に右手を当てる。

 そして呟くように、文字列を謳った。


開本オープン引出ロード、登録番号a11」


 キタは胸の奥から、刀を引き抜くように冒険の書を引き抜き、それを開く。


 それは今日までの日々の中、ダネカ、チョウ、アオア、ジャクゴにいざという時にしか使わぬよう、厳重に禁じられていた奥の奥の手。


 まだ魔人に見せたことのない、キタにしか使えない切り札だった。

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