第5話 無職の少年、勇者に挑む①
痛みを無視して立ち上がる。
勇者はもうすぐそこだ。
やっと見つけた。
もう逃がさない。
武器なんて持ってきてない。
でも大丈夫。
"僕たち"なら、やり遂げられる。
≪
ローブが吹き飛ぶ。
全身を覆う黒い霧。
「まさか、連れて来ていたの⁉」
姉さん。
お願いだから。
どうか止めないで。
これは僕が決めたこと。
これが僕のやるべきこと。
「何だコイツ⁉ 何が起きてるんだ⁉」
「魔法……なのか? いや、そんなはずは」
「形が、変わって……?」
黒霧が全身を包み込む。
必要なのは、戦うための爪と牙。
力と速さ。
他は要らない。
必要ない。
そう、人である必要さえも。
「少年が獣に変化した、だと? まさか、魔族だったのか⁉ では姉の方も」
「GYYYAAAAA-----!!!」
言葉も不要。
話し合いなど望まない。
「弟君……」
「――ッ⁉ 全員、距離を取って囲め!」
「よりにもよって聖都に魔族の侵入を許すとはね。どうせなら団長が居るときに来ればいいものを」
「戯言は終いだ! どこへも逃がすな!」
「おいおいおいおい! コイツ、まだデカくなって」
「これが魔族」
「ライカンスロープ、なのか? いやでも、変化の順番が逆なんじゃ?」
「動揺するな! 集中しろ! これは訓練ではないんだぞ!」
あぁ、まだ余計なものが残ってる。
言葉も理解する必要なんてない。
全部全部、勇者を倒す力に変えないと。
「GWAAAAA-----!!!」
狙うは一人のみ。
他は捨て置け。
脚に力を込めれば、距離はすぐに縮まる。
足元。
爪を振り下ろす。
道を覆う石だけが爆ぜる。
くそっ、避けられた。
指をピンと伸ばし、爪を剣のようにして薙ぎ払う。
斬撃。
構えた盾を切り裂いてみせたが、身体には届かない。
当てられさえすれば……ッ!
もっと長く、もっと速く。
どれほどの異形と化そうとも、勇者だけは逃さない。
腕だけでなく指も伸びゆく。
五指は五本の鞭と化し、勇者を打ち据える。
な、んで……?
なんでなんでなんでなんでなんで。
防がれた。
他の連中が勇者を護るように盾を構えている。
そんな奴を庇う意味が分からない。
理解できない。
許容などもはや。
くっ、邪魔をするな!
勇者だけでいいのに。
邪魔をするなら、容赦はしない!
形態を長さから威力へと変更。
二倍ほどに膨れた腕で、盾ごと殴り飛ばす。
連打連打連打連打連打。
凹ませ、潰し、吹き飛ばす。
出て来い!
隠れるな、卑怯者!
跳躍を選択。
両手を組んで全力で叩きつける。
激震。
たわむ地面が堪らぬとばかりに勢いよく爆ぜる。
吹き飛ばされていく土と石と人。
勇者を護る者はもう居ない。
その勇者も体勢を崩している。
好機。
猶予など与えない。
一息も許さず距離を詰める。
指を束ね、渾身の突きを繰り出す。
狙いは胴体。
胸の中央に腕が突き立てられる。
が、返るのは硬い感触だけ。
貫いていない?
でもどうして……?
腕が固体から気体へと変化し始めていた。
よくよく見れば、全身から黒い煙が立ち昇っている。
活動限界⁉
そんな……あと一撃、あと一撃で事は済むのに!
反対の腕を突き出す。
霧散する。
蹴りを放つ。
霧散する。
ならばと噛みつく。
霧散する。
元の身体が露わとなる。
すぐそばには、身を横たえた黒い獣の姿。
そんな馬鹿な!
こんな結末なんて、あり得ない!
赦されていいわけがない!
痛みが蘇ってくるのを無視して、落ちていた石の破片を手に取る。
「うわあぁぁぁあああーーーーー!!!」
倒れ込むように相手の身体へと叩きつける。
尖った石の先端はしかし、終ぞ届きはしなかった。
手の甲で容易く弾き飛ばされてしまう。
「魔族風情が随分としでかしてくれましたね。危ういところでしたが、どうやら運はこちらに向いたらしい。――これで終りです」
素早く腰の剣が抜かれ、吸い込まれるように胸へと突き立てられる。
避けるどころか防ぐことも叶わない。
ガキン。
硬質な音だけが響く。
不思議と痛みもない。
「弟君には触れさせやしない。他ならぬアナタにはね」
「先程の女性ですか。副団長が相手をしていたはずでは……」
「アナタよりかは彼女の方が強いのでしょうね」
「情に流されましたか。どうにも甘い」
「彼女の名誉のために言っておいてあげるけど、本気だったと思うわよ。単純にアタシの方が強いってだけ」
「ならばこちらが勝てる可能性は皆無ですかね」
「でしょうね。でも、アナタを倒すのは弟君よ。アタシじゃない」
「それが甘いと――ッ⁉」
姉さんに向かって振り抜かれた剣が、根元から砕かれていた。
残るのは勇者の手にした剣の柄と、姉さんが手にした棒だけ。
「金属製の棍……か?」
「今回は残念な結果になったけど、もう帰りましょう」
「これだけの騒ぎを起こしておいて、聖都から出られるとでも?」
「アナタに心配されても嬉しくはないわね。さ、行きましょう」
「ま――」
「うるさい」
ゴキン。
凄い音をさせて勇者の頭を棒が沈める。
「ブラックドッグもこんなに消耗させて。帰ったらお説教だからね。覚悟しておくように」
「今なら、今だったら勇者を」
「こんなどさくさ紛れで済ませるの? それで本当に気持ちは晴れる?」
「だって……だってそうしないと……」
「強くなりなさい。弟君が納得のいく結果を得られるように」
ヒョイと片腕で抱き抱えられる。
もう片腕にはブラックドッグが。
「何度だって護ってあげる。何度だって助けてあげる」
「姉さん」
「そうよ、お姉ちゃんだもの。だからこんな無茶はしちゃ駄目よ」
遠くから沢山の足音と声が近づいてくる。
姉さんの肩越しに、大勢が迫って来ているのが見える。
「アタシの目的ももうすぐそこだったけど、今回は仕方がないわね」
いきなり風景が変わっていた。
どこかの建物の陰らしい。
何も無い空間に、歪みが生じていく。
「アタシじゃ家までは戻れないわね。取り敢えず世界樹まで行って、拾って貰いましょう」
気怠い。
酷く眠たい。
悔しい、悔しいなぁ。
後もう少しだったのに。
頭も心もぐちゃぐちゃで。
ただただ姉さんにしがみつく。
「それじゃあ、家に帰りましょう」
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