だしにしょうゆをくわえたら

そうざ

If You Add Soy Sauce to the Soup Stock

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 今年の夏は一人旅をしたい、と思った。

 来年になったら就職活動で忙しくなる。行き当たりばったりの気ままな貧乏旅行を愉しむには、最後のチャンスかも知れない。

 こうして始まった細やかな冒険だったが、特にこれと言ったエピソードもないまま、バイト代を注ぎ込んだ旅費は底を突こうとしていた。

 突然の土砂降りでずぶ濡れになった。ヒッチハイクに数時間を費やした。宿が見付からずに公園で野宿した――しかし、全てのエピソードは僕に倦怠感を残すだけだった。

 僕が夢想していたのは、こんな絵に描いたような貧乏学生の一人旅ではなかった筈だ。毎晩のように、もっと違う何かがある筈だ、と自問自答をしながら旅寝に就くのだった。


                ◇


 その日、すっかり意気消沈した僕がローカルバスに揺られた末に行き着いたのは、或る田舎町だった。

 町のメインストリートと思われる二車線道路はしっかりとアスファルト舗装されていて、そこそこの交通量があった。

 都心でもよく見かけるコンビニエンスストアやファミリーレストランがちらほら、町の遠景には有名家電量販店やら古本屋チェーン店やらの看板が誇らしく夏の日差しを反射していた。

 要するに、最先端情報の発信基地でも、過疎化の犠牲者でも、観光の特需に沸いているのでもない、退屈極まりない場所だった。

 重たいリュックと共にバスを降りた僕は、笑いたくなる程の既視感に溜め息を吐くと、まるで直ぐそこにある自宅からちょっと散歩に出て来たかのように、とぼとぼと道成りに歩を進めた。取り敢えずそれ以外に何かが出来る筈もなかった。

 ネットで話題のスポットに行きたい訳でも、知る人ぞ知る(その癖、密かな人気の)スポットに行きたい訳でもない。では、何処に行きたいのか――それが判らないから彷徨しているのだ。

 三十分もしない内に、僕は電柱に片手を突いて俯いていた。町中のエアコンが放出する熱風と傍らを行き交う排気ガスとが、夏本来の暑さを嫌らしく猛らせる。

 釜の中で茹でられる麺の気持ってこんな感じかなぁ、と思った。

 何故そんな例えが導かれたかと言えば、さっきからずっと僕の視界に蕎麦屋の看板が入って来ていたからだ。殊更、蕎麦好きという訳でもない僕の目に留まったのは、行く手に果てしなく蕎麦屋が軒を連ねているからだった。

 それぞれの看板には、屋号の他に『本家』とか『元祖』とか『名物』とか書き添えられている。この町は蕎麦が名物なのだろうか。蕎麦と言えば信州――それくらいの知識しかない僕には判断が付かなかったが、節約の為に朝飯を抜いている腹の虫はすっかり蕎麦モードになってしまった。

 暑い盛りにはあっさりした昼飯も良いだろう。僕は、古めかしい木製の看板を掲げた一軒にふらふらと入って行った。


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 灼けた陽光に慣れていた眼が、薄暗い店内に一瞬視覚を奪われた。

 昼時を過ぎているとは言え、こぢんまりとした店内は閑散としていた。室温は外部と大して変わらず、錆の浮いた扇風機がきーきーと空気を掻き回しているだけだった。老舗というよりも単に古惚けた印象だ。

 黒光りしたテーブルと椅子とが幾つか並んでいて、その一つに店主らしき初老の男が越し掛けていたが、いらっしゃいませ、の一言もなく、新聞を広げたまま睨むように視線をちらっとよこすだけだった。

「あのぉ……」

「適当に座わんな」

 叱られているような気分で僕は黙ってテーブルに着いた。その表面には薄っすらと埃が積もっていた。

 今ならまだ店を出られるな――そう思いながら店主を見ると、いつの間にか調理場に立っていた。何やら作業の音が聞こえる。注文を取らずにもう蕎麦を茹で始めたらしい。

 慌てて品書きを手に取ったが、黄ばんだ紙に色褪せた写真が一枚印刷されているだけで、選べる余地はなかった。品名も『そば』としか書かれていない。

 そうこうしていると、蕎麦が運ばれて来た。店主は素っ気なく配膳を終えると、また新聞を読み始めてしまった。とても何かを訊ける雰囲気ではない。

 肝心の『そば』は、どう見ても何の変哲もない盛り蕎麦だった。塗りの剥げ掛けた蒸篭と罅の入り掛けた蕎麦猪口がお盆に載っているだけで、薬味さえ添えられていない。テーブルにも品書きの他には割り箸しか置かれていない。

 一品しかない蕎麦を汁だけで味わうというのが、店主の拘りなのだろうか。

 特に美味しそうにも不味そうにも見えなかったが、すっかり腹ぺこになっていた僕は割り箸を手にした。

 黒々とした蕎麦汁に一塊を浸し、念の為に店主の様子を窺った。得てして、寡黙な頑固親父は客の食べ方に文句を付けるものだ。僕は、店主の目を盗むかのように音を立てずに啜った。

 残念ながら蕎麦通でも江戸っ子でも落語家でもない僕には、何とも判断し難い味だった。一応、ご主人っ、最高に美味いっすよっ、くらいの台詞を用意しておいたのだが、感情を込める自信はなかった。コンビニの売れ残りと並べられても、その差は分からないように思った。

 相変わらず店主はこちらを全く気にしていない。僕は腹を脹れさせる事に徹し、速やかに機械的に完食した。

 会計を願い出ると、店主がぼそりと言った。

「どうだった?」

 食べた蕎麦が鼻から出て来るのではないかと思う程、ぎくりとした。さっさと帰りたいのに、予想だにしない完食者インタビューの始まりだ。

「あ、あぁ……美味しかったです。ご馳走様でした」

 すると何を思ったのか、店主は僕の座っていたテーブルに向かい、肩を怒らせた。

「汁が残ってるじゃねーか」

 きょとんとする僕に、店主は声を荒げ続けた。

「蕎麦の主役は汁だろうが。それを残して美味いもへったくれもあるかよっ」

 そう言われても、僕は蕎麦学部蕎麦学科で蕎麦学概論の講義を受けた事もないし、全日本蕎麦同好会に所属して先輩からスパルタ的に蕎麦道を叩き込まれた経験もない。

「そうなんですか……そうですよね……そうかそうか」

 確かに、蕎麦通の世界では食後に蕎麦汁を湯で割ったものを呑む習慣があるとか何とか。

 怖ず怖ずと席に戻った僕の傍らで、店主は腕組みをしたまま仁王立ちをしている。

 僕は堪らず問い掛けた。

「あのぅ、お湯を……」

「何?」

「お湯です。蕎麦の茹で汁を使うんだったかな」

「誰が蕎麦湯を作るって言った。あんなのは邪道だ。そのまま飲むんだよ」

 僕は、黒々とした蕎麦汁をまじまじと見詰めた。それはないだろうと言いたかったが、店主の言葉が素早く遮った。

「ここら辺りじゃあ、のままが常識だっ。飲めるように作ってんだよっ」

 僕は、改めて蕎麦汁に見入った。真っ黒な蕎麦汁の表面に情けない僕の顔が微かに映り込んでいる。

 店主は、飲み干すまで帰さない、という威圧感を放ち続けている。このまま飲む飲まないの根競べを続けるのは如何にも馬鹿馬鹿しい。高が蕎麦猪口一杯分の蕎麦汁だ。テキーラを一気呑みしろという訳ではない。醤油の一升瓶をがぶ飲みしろという訳でもない。飲んで丸く納まるのならお易いご用だ。

 僕は一気に呷った。

「美味ぇだろっ」

 店主が眼を輝かせる。尋ねているのではなく、強要しているように聞こえた。

「はい……ご馳走様でした」

 案の定、塩辛かった。塩辛さの中に渋みのような苦みのような後味があった。何か特別な配合で作られた秘伝の蕎麦汁なのかも知れないが、美味いとは思わなかった。そもそもが飲み物ではないのだ。それでも軽い笑顔で美味いと答えてしまった自分自身に、僕は呆れた。


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 高くも安くもない蕎麦代を支払って表に出ると、七輪から立ち上るような陽炎が挙って僕を迎えた。まだ店内の方が幾らか涼しかったのだ。

 僕は、いがらっぽい喉を擦りながら、道の彼方を指差して店主に尋ねた。

「この道は何処へ続いてるんですか?」

「あの山を越えれば私鉄の駅に出ますよ」

 ついさっきまでの強面とは打って変わり、店主は笑みさえ浮かべながら穏やかな口調で答えた。電線の越しに山影が鎮座している。山と言っても小山だ。年寄りでも小一時間もあれば越えられるよ、と店主は快活に言った。

 駅に着いたら、そこからもう家に帰ろう。これ以上旅を続けたところで、どうせ何もないに違いない。僕は、旅で掴まされた徒労感をリュックに詰め、家路へと続く道に足を踏み出した。

 少しして後ろを振り返った。もう店主の姿がない事を確かめ、僕はリュックからミネラルウォーターを取り出して嗽を繰り返した。それでもまだ蕎麦汁の風味が鼻腔から抜ける。元々飲み掛けだったボトルは直ぐに空になった。

 行く手に自販機が見えたので、足早に近付いた。ところが、それは蕎麦汁の自販機だった。

 大中小の瓶入りや紙パック入りの蕎麦汁がずらりと並んでいる。容量は4リットルから280ミリリットルまでと様々だったが、一様のラベルが付いていて、黒丸の中に毛筆のような字体で『汁』と印刷されていた。蕎麦汁の自販機というのも珍しいし、シンプルな商品名も初めて目にするものだった。

 それは兎も角、こんなものでは喉の渇きは癒えない。一旦はそのまま行き過ぎようとしたが、旅の土産物として一本くらい購入するのも良いかと思い直した。一律100円という価格も手伝い、僕は一番小さなサイズを選んだ。

 手にしてよく見ると、製造年月日や会社名は疎か、原材料すらどこにも記されていない。『汁』の一文字だけだ。僕は、それをリュックに入れて先を急いだ。


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 相変わらず、道の両側には蕎麦屋の看板が居並んでいる。と言うか、蕎麦屋以外の店は一つもない。幾ら名産だとしても、こんなに同業種が集まっていて、それぞれの経営が成り立つのだろうか。店毎に趣向を凝らした蕎麦を提供しているのだろうか。観光客らしき人影はまるで見当たらない。客入りが悪いだろう事は想像に難くなかった。

 やがて道は上り坂に変わり、蕎麦屋の代わりに木々が道を覆い始めた。蝉の声が激しくなり、喉の渇きを助長する。

 まだ喉に蕎麦汁の風味がこびり付いているような感じがする。面倒でも引き返して普通の自販機で飲料を買っておけば良かった、と今更ながら後悔した。

 一層激しくなる蝉時雨は、すっかり人里を離れた事を知らせている。覆い被さる木々が陽射しを遮ってはいるものの、茹だるような暑さに衰えは感じられない。気力も体力も汗と一緒に流れ落ちて行く。

 軽い眩暈を覚えた僕は、路傍に蹲った。木洩れ日から立ち上る草いきれが鼻を突き、途端に薮蚊が耳元で鳴き始めた。立ち止まる事さえ許されないらしい。頬を伝う汗が唇に流れ込み、塩っぱいような苦いような不快感を残す。

 軽く震える指先で反射的にリュックを探った。指に触れた物を乱暴に引っ張り出す。さっき購入した蕎麦汁の瓶だった。墨汁にも似た漆黒の液体が艶めいている。これも水分には違いない。飲めない事はない。

 店では何とか飲んだじゃないか――僕は、自分が正常な判断力を失っている事に気付いていなかった。

 キャップを開ける。一口だけ含んでみる。独特の風味が広がるのと同時に店主の厳つい顔が浮かんだ。僕は噴射機宜しく蕎麦汁で道を黒く染めた。

 そこで、道が凸凹の地肌を露出している事に初めて気が付いた。いつの間にか舗装道路でなくなっていたのだ。雑草混じりの悪路は、普段から人が行き来しているのかどうかも判断が付かない。行き交う人も居らず、文明の気配が全く感じられなくなっていた。

 何処かで道を間違えたのだろうか。しかし、途中に分岐点はなかった。蕎麦屋の店主もそんな話はしなかった。田舎道だから単に舗装が途切れただけなのかも知れないが、動悸は激しくなる一方だった。

 既に道は僅かに下り始めているようにも思える。引き返すよりはこのまま進んだ方が合理的だろう。

 そう判断しながらも不安は治まらない。やがて不安は、すっかり棒になった足に無理矢理に発破を掛け、一方で喉に尚一層の渇きを齎し始めた。

 僕は、転がるように山道を急ぎ続けた。



 突然、視界が開けた。

 ぐるりと山林に囲まれた小さな窪地に出たようだった。それなりの規模の畑が広がり、全体を見回せるような位置に民家が一軒、今にも倒れそうな佇まいで建っていた。

 取り敢えず落ち付いた僕は、ゆっくり民家に近付いた。もう日は傾き掛けていたが、煤けた窓には灯りが見えない。もしかしたら廃屋かも知れない。

 ほっとした僕の気持ちを返してくれ――そう思いながら屋内を覗こうとしたその時だった。

「何してなさるのかえ?」

 背後で年老いた女の声がした。訛っているような、いないような、妙なイントネーションだった。振り返ると、声の印象通りの腰の曲がった老婆が頬被りの手拭いの下から訝し気な眼差しを向けていた。

 当然、お水を一杯頂けませんか、と言うつもりだった。ところが、声が出ない。まるで声そのものが喉の粘膜にへばり付いてしまったかのようだった。口内の水分が蒸発し、戸の軋みにも似た呼吸音だけが黄昏の中に擦れながら響くだけだった。

 老婆は、事態を察したように落ち着いた口調で呟いた。

「生憎、水道は山ん中まで引かれてないんよ」

 絶望的に消沈した僕はその場に崩れ、リュックの重みで後ろに転げてしまった。その時、揺らいだ視界に水を連想させる物が飛び込んで来た。

 井戸だった。トタンの覆いが被せられ、その上に滑車に繋がった釣瓶が無造作に転がっている。

 僕は井戸を指差し、声にならない声で訴えたが、老婆は至ってのんびりした調子で言った。

「あぁ、井戸ね……畑にやるのに使っとるけんど」

 その言葉を使用許可と解釈した僕は、リュックも下ろさずに駆け付け、トタンを剥がして釣瓶を井戸の中に投げ込んだ。かなり深い所から水の音が聞こえた。周囲の薄暗さに底の様子は全く窺い知れなかったが、枯れていない事は間違いなかった。

 生水だって、少しくらい汚れてたって構うもんか――僕は逸る気持ちの随に紐を手繰った。

 滑車が小気味好く鳴く。重たい手応えが満々と湛えられた水のイメージに直結し、自然と笑みが零れた。

 漸く釣瓶が手元に届いた時、夕闇は更に深い夜の中に溶けようとしていた。老婆は押し黙ったままで、腰の曲がったその影絵は置き物のようだった。

 この時はまだ、釣瓶の中身が黒々と見えるのは夜の所為だと思っていた。

 釣瓶を口に持って行き、そのまま一気に呷った。最初の何口かは兎に角、体内に流し込む事で精一杯だったが、味わう余裕が出た途端、僕は手元を滑らせ、釣瓶の中身を身体の上にぶちまけてしまった。

 胃袋を吐き出さんばかりにからえずきを繰り返す僕に、老婆は事もなげに言った。

「蕎麦の苗にやる肥料だから、ちぃと濃いじゃろう?」

 液体が気管に逆流してしまい、僕は口から鼻から黒い筋を垂らしながら激しく咳き込んだ。確かに、蕎麦屋や自販機の瓶詰めより何倍も濃厚で強烈だった。身体中に走る血管という血管、毛細血管の末端にまで一瞬にして染み渡り、そこで出汁の旨味が炸裂している気がした。蚊がわんわんと鳴いている。こいつらの目的は血ではなく蕎麦汁なのかも知れない。

「大丈夫、大丈夫……じきに慣れる。若いもんは染まり易いけんのう」

 のた打ち回る醜態を見兼ねたらしく、老婆が僕の背中を擦り始めた。

 僕は、何とか井桁に手を掛けて上半身を起こした。幾らか夜目が利くようになり、朽ち掛けた井桁に彫り込まれている何かの印に気が付いた。震える指でなぞってみる。

 十字架が刻まれている、と思いながら更に指を動かすと、左側に三本の疵が確認出来た。そして、それ等を円が囲っている。

 次の瞬間、蕎麦汁の『汁』というラベルが脳裏に浮かび上がった。

「さぁさ、おあがんなさい……思う存分、おあがんなさい」

 老婆が釣瓶を運んで来るのを察知した僕は、力を振り絞って闇の中へ駆け出した。老婆が遠くでか細く叫んでいる。道なき道を唯々下りさえすれば山から脱せられる事だけを希望に、僕は這々の体で走り続けた。


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 その後は、断片的な記憶しか残っていない。

 やっと見えた隣町の灯り、身を縮こまらせて感じた鈍行列車の振動、自宅アパートの錆びた鉄階段、嗅ぎ慣れた蒲団の黴臭さ――失神同然の熟睡から目覚めたのは、三日後の昼過ぎだった。

 旅先のままの衣服から蕎麦汁の臭いが生々しく立ち上り、部屋中に充満していた。僕は全てを脱ぎ捨て、干乾びた喉の痛みを癒しに台所へ向かった。

 が、猛烈な尿意に気付いた。ほとんど水分を摂っていないとは言え、流石に三日分の尿で膀胱は満杯だった。

 全裸の解放感に呆けながら思いっ切り排泄。飛沫の勢いに何気なく目をやった瞬間、久しく失われていた声が最大音量で復活し、自分の悲鳴が自分の鼓膜を劈いた。

 白茶けた便器が、旅の空で何度も見たあの蕎麦汁色に染まっていたのだ。



 僕はもう蕎麦汁なしでは生きて行けない身体になってしまった。

 正確には、あの鄙びた町の蕎麦汁以外、どんな水分を幾ら摂ろうとも喉の枯渇は潤わず、常に禍々しい不安を抱える依存症的体質になってしまったのだ。

 額から流れ落ちる冷汗は、黒真珠のような輝きを発するようになった。今この身体を切り裂けば、真っ黒な蕎麦汁が吹き出すかも知れない。

 閑散としているように見えたあの町には、数多くのリピーターが訪れている事だろう。蕎麦屋も、固定客と言うか犠牲者と言うか、その数をどんどん増やしているに違いない。あれだけ軒を連ねている理由が、今ならばはっきり理解出来る。

 斯く言う僕も、再びあの町に行って蕎麦汁を摂取せざるを得ない一人だが、行き当たりばったりの旅の末に偶々行き着いただけなので、あの町が何処にあるのか、どういうルートを辿ったのか、よく覚えていない。

 あの日、気紛れに自販機で買った蕎麦汁は、もう残り僅かになっている。思い返せば、どの蕎麦屋の看板にも屋号の隅に落款宜しく小さく『汁』と刻まれていたような気もする。もしかしたら、あの町の全ての蕎麦汁は、あの老婆の井戸から汲み上げられたものなのかも知れない。

 どんな些細な情報でも構わない。『汁』に心当たりのある方は、至急ご一報頂きたい。

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