俺ばっかりいろいろ考えてる
「皓也!」
俺は部活から帰った後今度こそ勉強道具を持って皓也の家の窓を叩いた。
「ん……陸玖」
皓也はのろのろと窓まで歩いてきてカラカラと開けた。
「皓也? どうしたの。俺、なんか変なこと言った?」
不安に駆られて思わず尋ねる。――そう言っても、皓也は何でもないって言って笑ってるんだろうけどな。
「何でもないよ……」
「……だけど、俺が昨日帰るときから様子がおかしいじゃないか!」
はっきりしない皓也の態度に我慢できなくなって俺は叫んだ。
「気にしないで。勝手な考えだってわかってるから……」
何だよ、勝手な考えって。
何が勝手なんだよ。
気にするだろ、そんな落ち込んだみたいだったら。なんで、何も言ってくれないの。
「もういい!」
俺はバンと音を立てて開いた問題集を机にたたきつけた。ノートを乱暴に開き、昨日勉強したところの問題を解き始める。昨日教えてもらったことが頭に残っていて腹が立つほどすらすらと問題が解けた。
自分で解答を見て丸付けをする。くだらない計算ミスが一問あっただけで、他は全問正解だった。
「陸玖……ごめんね」
皓也は、心底申し訳なさそうに言った。皓也は悪くない。悪くないのに、謝っている。もうこれ以上怒るのも馬鹿らしくなって、俺はいいよと言ってまた問題を解き始めた。すると、彼は少しほっとしたような顔をした。
いいんだ、どうせ俺の思い過ごしなんだから。なんであんなに心配したんだろう。ほんと、馬鹿みたいだ。俺ばっかり振り回されて、皓也は平然としているんだから。
なんでこんなに腹が立つんだろうな。俺は出どころ不明のイライラした気持ちを問題にぶつけるようにしてノートに式を書き殴り続けた。皓也は困ったような悲しそうな顔に戻ってしまった。
そんな顔、すんなよ。何が原因だったんだよ?
皓也は、大好きって言われたら嫌なの?
――じゃあ、皓也は俺のこと嫌いなの?
なんで皓也はあんな顔をしたのか。俺は皓也に嫌われたかもしれない。――いや、なぜ大好きと言ったら嫌われるのだろうか?
もう、意味が分からない。
――なんで、俺ばっかりこんなにぐだぐだ考えているんだ。なんでもないって言っているんだから、どうせ俺の思い過ごしなんだろう。
そうやって強引に自分を納得させようとしたものの、それからも俺の頭の中では皓也の顔と次から次へと湧いてくるいくつもの疑問がぐるぐるとずっと回っていた。
次の日、皓也は何事もなかったかのようにまた勉強を教えてくれた。頭の中をいっぱいにしていた疑問は時がたつごとに薄れて行ったが、たまにぽっと頭に浮かんでは俺を悩ませた。
「皓也、ほんとにありがとう!」
定期テストの個票が返された日、俺は部活が終わるなり皓也の家の窓をガンガン叩いた。不審そうな顔をして皓也が窓から顔をのぞかせると、俺はその鼻先に文字通り個票を突き付ける。
「ねえ、皓也のおかげで順位上がったよ!」
合計点数は358点。前は300点と少ししかなかったが、ミスをなくし全体的に底上げされて各教科の平均点が70点台になった。
「本当! 良かったねぇ」
そう言った皓也の目元がふにゃりと緩んだ。久しぶりに見たその顔に、俺は少し安心する。
「ほんと、皓也のおかげだよ」
「陸玖が頑張ったからでしょ。勉強したのは俺じゃないから。次のテストも頑張ってね」
言いながらも皓也は嬉しそうだった。
「ねえ、蒸しパン作ってね」
「いいよ。今から作ろうか」
今から、というのは予想外だったが、ちょうど部活の後でお腹がすいている。
「いいの? ありがと皓也!」
「ちょっと待っててね」
「じゃあ、一回家に帰ってまた行くよ」
「分かった。できたら呼びに行くね」
俺は自分の家の玄関の方に回ってインターホンを鳴らした。今日は母さんが家にいるはずだから鍵は持ってきていない。
バタバタと足音がして、ドアがガチャリと開いた。
「母さん! テストの順位出たよ」
「そうなん。どうだった?」
「前回より五十点も上がったんだよ!」
「本当! 良かったねえ」
そう言って、母さんは俺の頭をぽんぽんと撫でた。
それから母さんははしまってあった解答用紙、前回の解答用紙や問題用紙を引っ張り出してきて二人でここが取れたね、ここを落とさなければ、とか分析した。そういえば、母さんとちゃんと話したのは久しぶりかもしれない。
十五分ほど経って、皓也は蒸しパンができたと呼びに来た。自室で暇つぶしに本を読んでいた俺は弾かれたように立ち上がって窓へ走る。
「割と、上手くできたけど……」
これだけ聞くとあまりうまく行かなかったように思えるが、皓也の自己評価は五割増しに変換して受け取る必要がある。「割と上手くできた」は、何回も作っているうちで一、二番くらいに上手にできたということだ。
なにしろ、皓也の「ぐちゃぐちゃにはならなかった」でも客観的に見たらかなりうまくできた、というくらいなのである。
「待って、今持ってくるから」
ほどなくして湯気を立てながら運ばれてきた蒸しパンは薄黄色くてふっくらと膨らんでいた。ほのかに甘い香りが漂ってきて、思わず頬が緩む。
「陸玖、お疲れ様。よく頑張ったね」
皓也はそう言って母さんがしたみたいに俺の頭をぽんぽんと撫でた。
この二週間、勉強を教えてくれたから。
いくら行き詰っても、丁寧に一つ一つ結び目を解いていくようにわかるまで付き合ってくれたから。
だからね、皓也のおかげなんだよ。
一緒に頑張ったという思いがあったからか、その手は母さんよりもずっと温かく感じられた。
俺は蒸しパンを半分に割って、それをまた半分に割って口に入れる。
「熱っ」
蒸したてだからか、割ったところから湯気があふれてきて思い切り口の中に入り込んだ。舌を火傷しそうになりながら咀嚼すると、優しい甘さが口いっぱいに広がる。
「おいしい……」
俺の言葉を聞いて目元をふにゃりと緩ませた皓也は、その時ようやく心から笑っているように見えた。思わずほうっと息を吐くと、胸のつかえが下りたように楽になった。
「良かった。勉強くらいなら、いつでも教えるからね」
「やったあ、皓也大好き」
思わず口をついてしまった言葉に俺は少し不安になった。
また、好きな女子に言いなよとか言われるのかな。――大丈夫だよね。嫌いって言ってるわけじゃないんだから。大好き、って言われるのが嫌だなんてことはないと、思うけど。
「……ありがと」
今度は素直にそう言われたけれど、やっぱり顔にどこか翳が見えた。
なんで?
本当は皓也、俺のこと嫌いなのかな?
――いや、ないでしょ。嫌いだったら、わざわざ勉強なんて教えてあげるわけないじゃないか。
でも、だったら大好きと言われて嫌なはずがない。照れているわけでもなさそうだったし。やっぱりわからない。
蒸しパンでほっこり和んだ心に沈んだ澱のような違和感は、どう自分を納得させようとしても消えることはなかった。
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