夕暮れ時の怨歌
kou
夕暮れ時の怨歌
夕陽の光が町を照らす。
もうすぐ、日が暮れる。
そして、町はまた一つの夜を迎えるのだ。
小学校の校門を抜け、
この辺りでは珍しい洋風の外観をした屋敷が見えてきたところで、翔はあることに気がついた。
(あれ? なんか、いつもより静かだな……)
普段なら庭で遊ぶ子供達の声や、ピアノの練習をしている人の音が聞こえてくるはずなのだが、今日はそれがない。
不思議に思いながらも、駄菓子屋の前を通る。
店内のレジの前には、いつもおばちゃんが座っているのだが、それもいないようだ。
翔は首を傾げながら通り過ぎようとしていると、どこからともなく低い歌声が聞こえてきた。
「トン、トン、トンカラ、トン」
と。
いや、歌というよりもそれは呪文のようにも聞こえる。
その呪文のような言葉と共に聞こえてくるのは、小刻みの良いリズムで奏でられる音。
金属が擦れ合うような音だった。
正面の角。
塀の向こう側から響いている。
その音は徐々に大きくなり、翔の視界にそれが現れた瞬間ぎょっとし思わず息を飲む。
そいつは自転車に乗っていた。
ゴミ集積所から拾ってきたかのようなボロボロのシティサイクルに跨り、酔っ払っているかのようなハンドル捌き。
それだけならば、ただの飲酒運転自転車だが、その乗り手が異様過ぎた。頭の先から足の先、指先に到るまで全身包帯という包帯人間。
目はホオズキを埋め込んだように真っ赤に染まっており、削ぎ落とされたように唇がなく、歯が剥き出しになっている。
怪奇映画に登場するミイラ男といった風貌の男だ。
そして、何よりも問題なのは、その背中に刀を背負っていることだろう。
明らかに正気ではない男は、翔の存在などまるで気にした素振りを見せず、蛇行しながら近づいてくる。
翔は塀に張り付くようにして、やり過ごそうとしたが、男は翔の正面でブレーキをかける。
翔は恐怖で顔を歪め、腰が抜けたのか尻餅をつく。
そんな翔の様子を見て男はニヤリと笑う。
怨みのあるような声と響きで。
「トンカラトンと言え」
と。
翔はブルブルと震えるだけで何も答えない。
すると、男は自転車に乗ったまま、翔に向かって手を伸ばしてきた。
男の自転車が激しく横転する音が響く。
翔の前に立ち塞がった人影があった。
ブレザー姿の少女。
装飾も邪心もない心を宿した瞳。
セミロングに切り揃えられた黒髪。
髪を留める赤いリボンは未だに、少女心を表しているようでもある。
身体は華奢だが、それでもどこか芯が入ったような印象があった。
少女は腰に角帯を巻いており、そこに刀を差していた。
少女は言う。
凛とした声で。
「去れ」
その声には一点の曇りもなかった。
自信を持って言える。
それが自分の正義だと。
だが、男は従わなかった。
むしろ逆上するように怒鳴り散らす。
男は乱暴に刀を抜くと、少女へと向けて走り出す。
少女は慌てることなく、腰に差した刀の鞘を左手で握ると、右手で柄を迎えに行き触れる。
鯉口が切られた瞬間、鞘を左下に返しながら刀を抜き出す。
逆袈裟斬りの斬撃が走る。
その一撃は空気すらも切り裂くような鋭さで、男の脇腹へ吸い込まれるように入り込む。
斬り上げられた刀を、少女は両手で握ると男の左肩口から袈裟に斬り下ろす。
男は悲鳴を上げることもなく、自分の走り出した勢いのまま塀にぶつかると、そのまま地面に倒れ込んだ。
少女は男に向き直り、右足を引きながら八相の構えを取る。
制定居合十二本・五本目「袈裟切り」。
出典は、伯耆流の『磯ノ波』から来ていてため、八相をもって残心とする。
【トンカラトン】
全身に包帯を巻き、日本刀を持った姿で、
「トン、トン、トンカラ、トン」
と歌いながら自転車に乗って現れる怪人。
人に出会うといきなり「トンカラトンと言え」と言い、そのとおりにすれば去っていくが、言わないと刀で斬り殺される。トンカラトンに斬られた者は全身を包帯で巻かれ、トンカラトンにされてしまう。
少女は刀を振り払い、雪が降るような静けさで納刀をする。
少女の目は優しく微笑んでいた。
「大丈夫?」
少女は翔に手を貸し、立たせてくれると、 翔の目の前で膝を落とし、目線の高さを合わせる。
「この前言ったでしょ。この時間に、ここを通らないで。って」
優しい笑顔を浮かべたまま。
そして、翔の手を握る。
温かな感触だった。
翔はハッとなり、すぐに手を離すと、目を逸らす。
頬に熱を感じた。
「ありがとうございます。どうして、助けてくれたんですか?」
少女は答える。
「私もね。助けてもらったの。だから、私もそうなりたいと思った」
少女がそう言うと、帯刀していた刀を鞘袋へと戻す。
「じゃあね」
少女は翔に告げる。
気がつけば斬られた男も自転車も消えており、周囲にはいつもどおりの音と人の姿が戻っていた。
翔は少女に呼びかける。
「僕は戸山翔。お姉さん、名前を教えて下さい」
少女は振り返って告げた。
「
まるで、その言葉が翔にとって救いになると確信していたような響きで。
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