愛する貴方と生きたくて

長岡更紗

愛する貴方と生きたくて

「婚約……したのか。おめでとう」


 陽が沈みそうな夕焼けの中。

 リアウはマリーを見て、眉間に力をいれるようにしてそう言った。

 本来の婚約者は、リアウだったはずなのに。いまや彼は、ただの他人でしかない。

 井戸の水を汲もうとしていた桶は、かつての婚約者との邂逅で足元に転がったまま。


「ごめ……ごめんなさい、リアウ……!!」


マリーは喉から声を絞り出した。こんな言葉では足りないとわかっていながらも、謝らずにはいられない。


「マリー、やめてくれ。期間までに戻ってこられなかった、僕のせいだ」


 そう言って伸ばされた手は、マリーに届く前にするりと力なく下ろされた。

 眉間に少し力が入っている姿。それは、リアウがなにかを我慢している時によくする表情だった。


「君の新しい婚約者は、いい人なのかい?」

「ええ……とても優しい人で……」


 マリーの涙が耐えきれずにぽろりとこぼれ落ちた。

 リアウへの罪悪感で、胸が悲鳴を上げるように次から次へと地面に染みをつける。


「相手は、ローレンスさん、なの……っ」


 ローレンスとリアウは、戦場で知り合った友人関係だと聞いていた。

 そんなリアウの友人と結ばれるという背徳感がマリーを苦しめる。


「……あいつか」

「ごめん、なさい……!」


 リアウは騎士で、大混乱の最前線に配置されていた。

 戦争に行く前、もしもの時のためにと彼は約束していったのだ。


 戦死した時には、自分のことを忘れてくれて構わない。

 そしてもしも行方知れずになっていたら、一年だけ待っていてほしい。

 それを過ぎても帰ってこられなかった時、マリーだけは幸せになってくれと。


 マリーは、三年待った。

 リアウが行方知れずとなり、生きているのか戦死しているのかもわからないまま、三年。


 戦争が終わっても帰ってこないリアウの代わりに、ローレンスはやってきた。

 そして教えられたのだ。


 自分を助けるためにリアウは敵兵に捕まってしまったのだと。

 抑留されているのか殺されているのかは、わからないと。


 申し訳ありません、と大の男は土下座をしてマリーに許しを乞うた。

 その後のマリーの記憶は途切れている。

 けれどもそれからずっと、ローレンスがマリーの心の支えになってくれていた。


 きっとリアウは生きていると。

 一緒にあいつの帰りを待とうと。

 その時には俺に祝福させてくれと。


 しかし、待てど暮らせど、リアウは帰ってこない。


 もう生きてはいないのかもしれないと思うと、胸が張り裂けそうになり泣き叫んだ。

 ローレンスもまた、苦しそうに悔しそうに悲しそうに、マリーを抱きしめてくれて。


 やがて、ローレンスに対する愛が生まれた。


 リアウを忘れたわけじゃなかった。


 幼いころからずっと一緒で。

 食事も学校も遊ぶのもいたずらをするのも、いつも隣にはリアウがいた。


 好きだ、結婚してほしいと言われた時には、本当にただただ嬉しくて、涙が溢れた。


 今でも大好きで、大好きで、大好きで。


 ずっとリアウと一緒に生きたくて。


 でも──ローレンスを裏切ることも、できない。


「ごめ、なさ……っ」

「マリー……ッ!」


 リアウは一度下げたはずの手で、マリーを包んだ。

 ぐっと引きつけられる強い手。大きな体。リアウの抱擁。


「今だけは、許してほしい……っ」

「リア……」


 名前を告げる前に塞がれる唇。

 マリーはリアウを受け入れ、久方ぶりのそれを貪りあった。

 夕陽に染められた彼の赤い顔を、愛おしく感じながら。


 しかしやがて、お互いハッとして我に返り、唇から離れる。

 見つめ合う瞳には、悲しみしか映し出されず。


「ごめん、マリー……」

「私の方が……」


 ひっくとしゃくり上げて、それ以上は言葉にならない。

 苦しい。

 今のはきっと、別れの……キス。


「あいつならきっと、君を幸せにしてくれる」

「リア、ウ……」


 リアウの笑顔はどこまでも悲しく。

 マリーの落ちる涙はとどまるところを知らない。


「さよなら、マリー……幸せに、なるんだよ」

「……あ……」


 待って、という言葉をマリーはこくんと飲み込み、去りゆく彼を見送った。

 止めたかった。後ろから抱きしめたかった。

 まだ愛していると叫びたかった。


 言えない苦しさで、息が詰まりそうで。

 沈みゆく太陽は、闇を少しずつ引き連れてきて。


 マリーはへなりと膝を土につける。


「……良かったのか、マリー」


 後ろから掛けられる声。

 明日夫となる男が、土をゆっくり踏み鳴らしながら近づいてきた。


「ローレンス……」

「今なら、追いかければ間に合う。君はずっと、リアウを待ってたんだから」


 胸が、苦しい。

 その優しさが、嬉しくもつらい。


 リアウを追いかけたい気持ちは、ないわけじゃない。

 しかしこの台詞を、ローレンスはなんの痛みも感じずに言っているわけではないことくらい、わかっていた。

 リアウを追いかけては、どれだけローレンスにつらい思いをさせてしまうかくらいは。


「いいの……私は……あなたを、選んだの」

「マリー……」


 動けない……動こうとしないマリーの前に跪き、ぎゅうっと抱きしめてくれるローレンス。

 悲しみと喜びの交じった鼓動が、どくどくとマリーの耳に届く。


「誰より、幸せにする。必ず──」

「ローレンス……幸せにして……私を、幸せに……ああああああっ!!」


 泣き叫ぶマリーのすべてを受け止めるように。

 ローレンスは月明かりの中を、いつまでもいつまでも包み込んでいてくれた。



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