惑星編

1 トラベラーになってウキウキだったのにタイムパラドックスが起こっちゃって、気付いたら知らない星で女の子になっていました的な

 彼は宇宙を跳んでいた。そう、跳んでいた。

「うわっ! わわっ! たっ、たす、たすけ」


 ****

 

 早朝の門前。

 父、母、妹は、彼の見送りに集まった。


「はい、夜水よみず、お弁当よ。傷むから早めに食べるのよ」

 母がランチクロスに包まれたお弁当を笑顔で手渡した。しかし高さが二十センチと大きめで、何だかミニお重のようだ。


「うっ、夜水……お前が立派なトラベラーになるとはなぁ……。夜遅くまで勉強を頑張って……お父さんは、お父さんは……うっ、うっ」

 父は、未来でリバイバルされた七三分けの後頭部を見せて泣いている。ここ一週間、彼が泣いていない所を見た事が無い。愛が重い。


「お父さんっ! 毎日毎日泣きすぎて、また干物になっちゃうよ! それより、お兄ちゃん。これはわたしからだよ」

 父に対して頬を膨らませながら、妹の千鶴が小さな巾着袋を夜水に渡した。何百年前の過去を思い起こさせる紅い縮緬ちりめんのそれに見覚えがあった。


「これ、千鶴の大事にしているビー玉キャンディじゃないか。受け取れないよ」

 夜水は千鶴の小さな胸に巾着袋を押し付けるが、両手で押し返されてしまった。

「いいの! これお守りだもん。お兄ちゃんが寂しくなった時に、千鶴を思い出して食べて、食べてくれ、たら……うぅ、ふぇぇ」

 大人びた事を言っても所詮、小学五年生の女の子だ。

 隣の部屋にいた大好きな兄と離れる。その辛さを見送りで実感しては、大粒の涙をぼたぼたと零した。

「泣かないで、千鶴。皆も心配しすぎだよ。半年後には帰ってくるんだよ?」

 涙を拭う妹そっくりの、黒くて丸い目を細めた。

「だ、だって、クラスの子がいってたもん! 宇宙は宇宙人がいて危ないんだよって。手術されちゃうよって!」

「それは漫画の読みすぎなような……」

 夜水が半笑いで戸惑っていると、ぎゅうっと身を抱き締められた。


「ちょっと、お父さん……夜水が潰れてしまいますよ」

 母は片手に頬を当てると、微笑ましい二人の様子をにこにこと見ている。

「夜水ぅ~夜水ぅ~」

「お父さんずるい! わたしだってお兄ちゃんとギューしたい!」

 泣きじゃくる大きな男と小さな子供に挟まれて、夜水はこれがブラックホールかな、と遠い空を見上げた。

 吸い込まれるのは、この二人だけで勘弁だと半笑いになってしまう……。


 すると四人の前に黄色いキャンピングカーが、キッと音を鳴らして止まった。

 とってもウキウキした春らしい色だ。

 一見普通のキャンピングカーだが、タイヤが無く、二十センチほど浮いている。冷蔵庫、キッチン、トイレと何でもござれ! の万能キャンピングカーだ。

「おはようございます。お待たせしてすみません。さぁ、夜水。変顔キメてないで早く乗れ」

「好きでやってない」

 バディの辻に促され、夜水は二人を己の身から引き剥がした。

「じゃ、じゃあね、母さん弁当ありがと! 千鶴もキャンディありがと! 父さんは……うん、またね」

「おいっ! お父さんにだけ冷たくないか?!」

「名残惜しいですが、また半年後に会いましょう」

 肩幅の広い背高の男ににっこりと微笑まれ、母、千鶴は大きく手を振り、父は白いハンカチを弱々しく振るしか無かった。


 ****


「っていう尊い見送りをされたんだよ!」

「……すまん。キャンピングカーの整備がなってなかったようだ」


 ピカピカのキャンピングカーの中身は、ボロボロだったという訳だ。

「宇宙ならキャンピングカーも確かに飛べるよ。でもさ、乗ってる奴いないじゃん」

 夜水は目を吊り上げ、めちゃめちゃ怒っている。

 何故なら自分達が降り立ったのは、データ上にもない見知らぬ星だったからだ。

「しかも基地に連絡が付かないってどういう事だよ」

「それが、繋ごうとしても通信出来ないんだ」

「おい、まさか通信も故障したって言うんじゃないだろうな」

「……さぁ」

 明らかなそっぽを向かれた。

「『さぁ』じゃねーよ! 馬鹿野郎が!」

「空気があるだけ幸いだったじゃないか」

「……」


 確かに空気があるので、死は免れた。かつ、樹木が立ち、果てのない草原が広がっている。陽はポカポカと二人を照らし、そよ風も吹いている……。

「運は良かったけど良くない」

「水や木があるから、人はいるかもしれないぞ。そうしたらそこで助けを乞うといい」

 辻の差した指先には人っ子一人いない。獣の気配すら無い中、どう助けを呼ぶというのか。そんなバカをお気軽に言われたら、呆れた表情だって隠せない。

 夜水は腰に当てた片手を辻に向けて訴えた。

「あのな、アメーバだったらどうすんだ?」

「人外でも話が通じればOKだろ」

「……風任せがすぎるし、そんなのやだ怖い」

 無表情で『何とかなるだろ』態度の辻に、夜水は顔をしかめてかぶりを振る。 

取り敢えず、突っ立ったままでは解決が出来ない。夜水達はキャンピングカーに乗り込む事に──。


「っうあ!」

「わあああ!」

 突然、目の前が砂漠地帯になったかのような、大きな砂嵐に二人は地面に転がった。まるでハリケーンのよう!

「前、が見え、夜水! 大丈夫か!」

 夜水は辻とは違い体躯が細く小さいので、きっと紙のようにファーッと飛ばされた恐れがある。

「夜水! よみ! ぷはっ!」


 暫くすると砂嵐はピタリと止んだ。

 ホッとして、辺りを見ると緑の草原は吹き飛ばされ茶色い地面が剥き出しになっている。

 草が吹き飛ぶくらいだ。夜水なんか永遠に逢えない距離まで吹き飛んでしまったかもしれない。

 ふと足元を見ると、小さな紅い巾着袋が落ちている。拾った辻の手の平に砂だらけのビー玉キャンディが転がった。


「夜水! 夜水ー!」

 辻は流石に表情を変えると、慌ててキャンピングカーに乗り込む為、ドアを開けた。

「つ……、つ……じ、つ……!」

 微かに聞こえた声に目を見開くと反射的に振り向いた。すると五十メートルほど先の大木から、手が覗いている。

「夜水か!」

「う……ん」

 夜水は大木にしがみついたお陰で助かったようだ。

「ちょっと待ってろ!」


 辻は今度こそキャンピングカーに乗り込み、大木へと車を走らせた。

 ガソリンがたっぷり入ってるので、当面何十キロか走れるだろう。宇宙に飛び出す事は不可能だが。

 大木に着くと辻は白いタオルを掴み、キャンピングカーのドアを乱暴に開けた。心配げに駆け寄り、貼り付いてる夜水に声を掛ける。

「夜水、大丈夫か?!」

 夜水が木から両手を離すと、こてんと後ろに転がった。上の方にしがみついていたら脳天が割れているだろう。何が起こったのかと黒い目をまん丸にしている。

「あたた、う、うん……何だったんだ、あれ……?」

「良く見えなかった。ただエンジンの音が微かに聞こえたな」

「こんな荒野に? もしここの生物だったら何の用だったんだ」

「それは飛んで行った生物しか知らん答えだ。それよりお前砂まみれで砂漠のようになってるぞ」

「砂漠……もっといい例えはないのか……」

 辻は持ってきたタオルで、砂だらけの背中をはたいてやった。その様は、無表情で布団叩きをしている近所のおばさんのようだ。

「いた、いたっ! お前もっと丁寧にやれよ! エジプトの石像じゃないんだぞ!」

「石像だと思った」

「……お前と組んだ事を今一番後悔してる」


 そうだ、バディなんか誰でも良かったのだ。しかも初めての時空旅行だったので、しっかりと相手を見定める必要があった。しかし夜水は試験に追われていたので、バディ選びなんかすっっっっかり忘れていた。

 結局余り物同士の辻が相手になったのだ。周りにカップルが多かったのもデカかったかもしれない。

『忘れてた』

 理由すら夜水にと同じで、ちっとも嬉しくない。もっと優秀な奴と組めば……と、愚痴っても後の祭りである。


「ほら、前も」

 一際酷い前髪を、バッサバッサと叩かれる。口の中に砂が入り、夜水は思わず呻いた。

「う゛ぇぇ」

「後で水をやるから我慢しろ」

 砂は黒いシャツの中にも入り込み、今すぐキャンピングカーの風呂に入りたい、ていうかキャンピングカーで良かった! と元凶に感謝する。

「ちょ、待って」

 夜水はザリザリと肌を擦る砂の不快感を取り去る為に、Tシャツの裾を掴んで脱いだ。目をぎゅうっと瞑らないと砂が入ってしまう! それは痛い。


「最悪だ」

 バサッと黒いTシャツを思い切り奮う。砂に塗れ、色が変わってしまった元白いTシャツを手に、気に入っていたのにな、と遠い目をしてしまう。

 すると横から痛いほどの視線を感じ、夜水は、その視線の主へと向いた。

「ん? なんだ?」

「……お、お前……、は? なん、なん……」

 辻はこちらを見て、恐ろしい物でも見たかの形相をしている。

「背後に何かあるのか?」

 首を傾げて振り向いたが、禿げた草原が広がるだけで何も無い。

「なんだよ、ライオンでもいたのか?」

「……下見ろ」

「は?」

「いいから見ろって!」

 恐ろしい顔で迫るが、何故胸元を見る?

「顔怖い。何、蟻塚でもある……の……か」

 見覚えのない異物が目に入る。異物の間にそよ風が通り、裸体でも天気がいいので寒くは無い。寒くは無いが。

「んな?! なななななんだこれー?!」

 夜水の胸が、ふっくらともちもちした柔らかな双丘に変化していた。


 彼は思う。

 何も知らない、この時がまだ良かったのだと。

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