アラサー地味子@シャトーホテル/フランスでワケアリ御曹司に見初められちゃいました
犬上義彦
プロローグ 目覚めは彼の腕の中
目覚めるとそこはレースのカーテンに覆われた天蓋付のベッドだった。
かたわらに眠る彼を起こさないようにそっと身を起こす。
部屋の柱時計を見ると、振り子もまだ眠そうに揺れている。
朝六時。
高い天井まで届く出窓を押し開くと、そよ風が私の頬をなでていく。
目の前には淡い光に包まれたフランス式庭園が広がっていた。
まっすぐにのびた運河のまわりを、幾何学的に刈りそろえられた樹木がデコレーションケーキのホイップクリームみたいに取り囲んでいる。
その両側には正方形に区画された花壇が無数にならび、咲き誇る花はまるで絨毯の絵柄のよう。
城館の右手に広がる森からは澄んだ青空に少しだけ朝日が顔を出していて、早起きの小鳥たちのオーケストラがにぎやかだ。
まだ夢の続きを見ているみたい。
私は今パリ郊外のお屋敷にいる。
ベッドの上で彼がかすかに声を上げた。
レースのカーテンで表情は見えないけれど、そんな寝言も愛おしい。
シルクのナイトガウン一枚を身にまとった自分の体を抱きしめる。
昨夜の彼とのひとときが夢ではなかったことを、下腹部に残るちょっとした痛みが教えてくれるけど、それこそが私の幸せの証。
森がひときわざわめいて小鳥たちが飛び立っていく。
行ってらっしゃい。
目で追っていると、急に耳たぶに口づけをされた。
「ひゃっ!」
「おはよう、ユリ」
振り向くとジャンが微笑んでいた。
髪は乱れて、少しだけひげものびている。
私はざらつくその頬を両手で包み込んだ。
「もう、びっくりしたじゃない」
「ごめん」
素直な彼の唇を私の方からふさぐ。
私を抱く彼の手に力がこもる。
彼のぬくもりを感じながら私は昨夜のことを思い出していた。
私の知らなかった私を教えてくれた人。
今まで一人だったのは彼に出会うため。
私が私でいいことを認めてくれた人。
夢じゃない。
間違いなく、今、私は彼に抱きしめられている。
ジャンが庭に目を向けた。
「何を見ていたの?」
「幸せ」
私の返事に一瞬虚を突かれたような表情を見せた彼が頬を寄せてきた。
「僕にも見えるよ」
彼が軽々と私を抱き上げてベッドへと連れていく。
フランスのシャトーでこんなふうにされるなんて、本物のお姫様みたい。
いったんベッドに腰掛けた彼が私を見つめる。
ブルーの瞳が私を射ぬく。
「ユリ」
照れくさくて目をそらそうとする私を彼がベッドにそっと横たえる。
「僕を見て」
その目にはまだ少し寝起きの隙が見える。
昨夜は獲物を捕らえた猟犬のような目だったのに、今のそんな素の表情にもまた引き込まれてしまう。
「ユリ」
私の上にのしかかった彼が耳元で名前を呼ぶ。
彼の息が耳をくすぐる。
私は思わず声を漏らしてしまう。
そんな私の反応が彼に火をつけた。
「ユリ、君は僕の宝物だよ」
滑らかなシルクのナイトガウンを彼の指先がピアノを奏でるように流れていく。
「やっと分かったよ。僕は君に出会うために今まで生きてきたんだ」
彼の唇が私の首筋を這い、舌先が鎖骨を乗り越えてくる。
「地球の反対側にいた君を見つけるなんて、僕はこの世で一番運がいい男だよ」
ナイトガウンがめくり上げられ、昨夜の余韻を残す繊細な場所がもう濡れていることを彼の指先が教えてくれる。
「僕には君しか見えない。君以外の何もいらない。君のことしか考えられない」
私も彼のことしか考えられない。
「ごめん、ユリ」と、彼が急にわびる。「こんなに素敵な君を愛しているのに、僕は言葉で伝えることができないんだ」
いらないの。
言葉なんかいらない。
言葉じゃないの。
私がほしいのは、ジャン、あなただもの。
いつの間にか炎を燃え上がらせていた彼がその情熱で私の中に灯をともす。
痛みなんかない。
そこにはもう喜びしかなかった。
私は彼の名を呼んでいた。
彼も私の名を呼んでいる。
「君の前ではこんなに愚かな僕を許してくれ」
背中を丸めながら私の胸に顔をうずめた彼がそうつぶやく。
私は子供をあやすように彼の頭をかきなでた。
レースのカーテンを透かして差し込む朝の光が彼の栗色の髪をきらめかせ、火照った背中を無防備にさらけ出す。
オーケストラを指揮するように彼が私をかき乱し、されるがままに快楽の波が私を押し流していく。
知らなかった。
こんなこと知らなかった。
何も知らなかった。
彼がすべて教えてくれた。
私は押し寄せる快楽に身を委ね、彼に溺れていた。
腕を伸ばして私を押さえつけた彼が顎を上げて切なそうな表情であえぐ。
快楽の絶頂に達した至福とそれを断ち切られた絶望で彼が私に崩れ落ちてくる。
――ユリ……。
ベッドに転がった彼が腕を伸ばして私の頭を抱き寄せる。
その腕枕に顔を埋めながら私は彼の背中に手を回した。
言葉なんかいらない。
言葉にすれば嘘になる。
私が手にしているこの幸せ。
それを表現するのは言葉なんかじゃない。
私を見つめる彼のぬくもりだけ。
信じられるのはただそれだけでいい。
窓から吹き込んできたそよ風にレースのカーテンが揺れている。
ジャンが薄手のブランケットで私の体を繭のように包んでくれる。
この穏やかな時間がいつまでも続くことを私は信じていたかった。
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