君がいない世界は、ちょっとだけ物足りない。
ネズミ
第1話 君の気を引きたくて
僕は嘆いた。己のコミュ力のなさに。
今は昔。と思いたいところだが、ついさっきのことだ。
肩をちょんちょんと突かれたので振り向くと、同い年くらいの美人な店員が僕の横にいた。
「もしかしてA大に通ってません?」
店内は昼時で賑わっているため耳元で聞いてくる。
彼女から香水か柔軟剤かは分からないが、フローラルな香りがふんわりと漂ってきた。ランチを食べたばっかりの口臭は大丈夫か不安になった。タブレットを持ち歩いとけば良かったと後悔すらしている。
距離の近さにドキドキしながら「そうです」とだけ答えた。
正確に言えば、緊張のあまり「そうです」と答えるのがやっとだった。
「山下さんですか?」
それは僕じゃない。後輩の名前だ。
僕は首を横に振ると「ごめんなさい」と彼女は頭を下げて、足早にその場を去っていった。
僕はもっと気の利いたことを言いたかったが何も思いつかなかった。口臭を気にしている場合ではなかった。僕の愛想ない態度が、せっかく話しかけてくれた彼女を傷つけてしまったかもしれない。
彼女を目で追うと、別のお客のところへオーダーを取りに行っていた。
スマホを取り出し、今起きたばっかりの出来事を呟く。ネタがあればSNSに投稿している。あの子が反応しないか期待しながら。
通知音とともに『お前それ勿体無いやろ そこから恋が始まったかもしれないのに』と画面に表示される。
高校の時の友人からだった。
「だよなー」と思わず声が出そうになる。『時間巻き戻せないかな』と返信した。
すぐに『例え時間を戻せたとしても凌平自身が変わらないと同じ未来が待っているだけだよ』とリプが来た。
確かにあの場面に戻れたとしても上手くやれる自信がない。後悔しても仕方ないのでここからの巻き返しを図ることにした。
スマホをポケットに仕舞い、店内を見渡すが彼女の姿は見当たらない。シフトが終わって帰ったのかもしれない。また今度でいっか、と自己解決して店を出た。
「ギャー」と静かな教室で突如女の子が悲鳴をあげ立ち上がろうとする。ガターンと椅子と机が倒れる。
「ゴキブリが出たー」と近くの男の子が叫ぶ。
何事かと思ったらただのゴキブリかよと思ったが、どうやら先生もゴキブリが苦手のようで教室がプチパニックになっていた。
僕は素手でヤツを掴み窓から投げた。これで万事解決。ヒーローだ!と思ったが、周りはひいていた。場を収めた僕は感謝されるどころか汚いと罵倒された。
こんなはずじゃなかったのに… 英雄になり損ねた。
嫌な夢を見た。あれは確か小学生の頃の出来事だったはずだ。小学生は容赦ない。あの事件以降俺のあだ名はゴキブリになった。
当時好きだった女の子を助けるためにとった行動だったのに…
「汚いから近付かないで」と言われ、とてもショックを受けたことを今でも覚えている。
朝から憂鬱だなと思い、スマホを手に取ると、画面に『現実と妄想の区別ついてる? 』と表示されている。
なんのことだと思い、スマホを開く。昨日のつぶやきに対するコメントだった。
釣れた!と心の中でガッツポーズをとる。返信の相手は逢里からだ。
彼女は同じ大学の同級生だが、訳あって歳は3つ上である。
最初の頃は学校ではあまり話したことはなかった。寧ろ嫌っていたと何回目かの飯食いに行ったときに告白されてショックだった。
SNSを通じて同じ漫画やバンドが好きであることを知り意気投合した。と思っている。まさかまだ嫌ってるってことはないだろう、ないことを願っている。
『やかましいわ。事実だわ』と返信する。1分も立たないうちに、『モテなさすぎて幻覚が見えるようになったんだね』と返ってきた。
そうきたかと少しにやける。返信の速さからしてどうやら暇らしい。
SNSを閉じ、メッセージアプリに切り替える。
『暇人、飯でも食い行くぞ』と打つ。
すぐに既読がつき、『仕方ないから付き合ってあげるよ』と秒で返信がきた。
さっきまでの憂鬱な気分は嘘のように消え去った。
待ち合わせ場所のコンビニでファッション誌を立ち読みしていた。
恋愛特集のページに今までで一番つまらなかったデートは?というテーマがあった。
その中に『ただカフェで三時間話すだけ。話もつまらなくてなんかの罰ゲームかと思った』と書かれていた。たった数行だったが、グサッと胸にナイフが刺さったかのように痛かった。他人事とは思えなかった。
サークルの後輩に「先輩のこと気になっている子いますよ」と言われ紹介された2つ歳下のショートカットがよく似合う女の子。
何度かデートしたが散々なものだった。
デート前日に必死になって考えた話題は全く盛り上がらず、デート開始20分で沈黙が続くようになってしまった。彼女は僕の顔よりスマホを眺める時間のほうが長かった。
僕はそんな後輩の横顔を眺めつつ、目の前に美女がいるのに笑顔どころか会話すらまともにできない自分に嫌気が差した。
「はじめ先輩を見たときかっこいいなって思ってんですけど、なんかがっかりしました。頼り甲斐ないし。もっとリードして欲しかった」
そう言った彼女は数日後、同じサークルに属していた別の先輩と付き合っていた。
「なにそんなに真剣に恋愛特集とか読んでんの?もしかして私のため?」
いつの間にか僕の背後に逢里が立っていた。
「うぇっ」と情けない声が出た。
「何その変な声」と言って僕の背中を叩いた。
「後ろから急に声かけるからだろ」
ツボに入ったのか「情けない声だったなー」と言いながらゲラゲラと腹を抱えて笑っている。
失礼な奴だ。だけどこんな他愛もない話に笑ってくれる良い奴だ。
「この雑誌に書いてるコラムがまるで自分のことを書かれてるみたいで、勝手にダメージ受けてたんだよ」と状況を伝える。
「えー、どれどれ」と言って僕の後ろから顔を出し、例のコラムを読む。
甘い香水の香りがして、背中付近に逢里の温もりを感じる。あまりの距離の近さに心臓がバクバクしてることをどうかバレませんようにと祈る。
「大丈夫だよ。当時のことは知らないけど私、川島と一緒にいて楽しいよ」と言って微笑んだ。
てっきりからかってくると思っていたから、予想外の反応に動揺して、何も答えられなかった。
「何ポカーっと口開けてんの」
「まさか褒めてくれると思わなかったから…ありがとう」
「私だってからかってばっかりじゃないんだよ」と雑誌を読みながら返答する。
「これ定期的にコラム募集してるみたいだよ。川島も書いてみたら?SNSの文章結構面白いから向いてると思うよ」
逢里が指指した記事をみると、定期的にテーマに沿ったコラム・エッセイを募集中という内容が書いてあり、その隣にQRコードが載っていた。
「俺が?いやいや、それはないやろ。」
「えー、向いてると思うんだけどな。賞を取ったら半分私に頂戴よ」
「金目的かよ」といい、スマホを取り出し時間を確認する。どうやら雑誌コーナーで5分以上も立ち話をしていたようだ。
「じゃあそろそろ行こっか」
「だね」と逢里も同意し、雑誌を元の場所に戻した。
「どれが昨日言ってた店員なの?」と聞いてくる。
昨日僕が店員から話しかけられた喫茶店で食事をすることになった。
「髪はロングで細身な子だったんだけど見当たらんね」と答える。
「昨日がバイト最後の日で勇気出して声かけたとしたらサイテーだよね」
真実はわからないが仮にそうだとしたら確かに失礼だ。
こんな僕に声掛けてくれたのに…
まあ、その子のお陰でこうしてデートできているから僕的にはラッキーだが。そんな恥ずかしいことは口が裂けても言えない。
私とデートできて嬉しいんだとか言って、からかってくるのが容易に想像できる。
「てかこの後時間ある? 私見たい映画あるんだよね」
「もしかしてあのヒロインを助けるために何度も何度もループするやつ?」
「そう!それそれ!面白そうじゃない?」
「俺もそれ気になってたんだよね」
「さすが!うちら気合うね」と言って軽く僕の肩を叩く。
急に肩に触れられてドキッとしたが冷静を装う。-多分、装えた筈だ。
ポップコーンは塩かキャラメルかで争いが勃発したがじゃんけんの末キャラメルになった。
ポップコーンを取る際手と手が触れ合って、と言ったお決まりのパターンにはならなかった。
ただ、先程触れられた肩にまだ熱がこもっていた。
「ちょっと泣きすぎだろ」
「うるさい!うぇっのくせに」
「勝手に俺の名前改名すんなよ」
「だって感動するでしょ」と言って逢里はハンカチで涙を拭った。
「確かに。何度失敗しても必死に助けようとする奏多はカッコよかった」
映画を見たあと、近くの喫茶店でお茶をすることになった。
逢里がカバンから手帳を取り出し、アルファベットで名前を書き出した。
「急に何してんの?」と聞くと「劇中にアナグラム出てきたじゃん。私達の名前何になるかなーって」と答えて、ブツブツ言いながらアルファベットを並び替えていた。
過去を変えるために未来から来た主人公は過去の自分とあったら死ぬという縛りがあるため、自分の名前をアナグラムで変え、頭には馬のマスクを被り、脅威から彼女を救うために奮闘していた。
逢里は3つ上だからか、あまりリードを意識したことがない。
時間があれば飯食いに行ったり、買い物に行ったりしている。
お互い軽口を叩き合っているが、不快に思うことはない。むしろ、心地いいくらいだ。
ここまで書いて筆が止まる。筆といっても、スマホで打ってるのだが。
「先輩って、忘れられない人っています?」と言ってきた藤木の言葉がふと蘇る。
あれは確か先週の金曜日のことだった。
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