4.

「でも……ここにあなたの求める本は無いよ」


「そういうことなら来ないほうが寧ろ良い場所だ」


 * * *


 ――え?


 首を傾げ、まるで遠い所で言っているようなそのガツンとした言葉に思わず目を見開いてしまった。

 音がどんどん、あのひともどんどん遠のいていく。

 その瞬間、先程の言い回しをしてしまった自分を一直線に呪った。

 何で、何であんなことを勢いで。


 それに、僕は、本当は。でも――。


「あ、でもこの外の古書店の店主なら本に詳しいですよ」


 そう言いながらにっこり立ち上がるその様子にまた汗が溢れてきた。


「ほら、手を。恥ずかしいのなら一緒に聞きに行ってあげますよ」


 違う、違うの。

 そうじゃなくって。


 言いたいけど、言いたいけど。


 押し殺した気持ちで無理やり動かない手をその手に重ねて。




「ありがとう」




 また「満面の笑み」を顔にパックのように張り付けて彼の手を取る。

 でもその手が僕の手を包んでからは音が何にも聞こえなくなってしまった。

 視界の端々、線という線に濃い黒が滲んで頭がぐらぐらし始める。


 今度はどこに行こう、今度は何を用意すればいいんだろう。

 ボランティア、図書館、自習室……。

 もう案は出るだけ出尽くしてしまった。

 早く何か見つけてやらないと。じゃないと――。



「あれ、珍しい。お客かしら」



 思考が元の場所に戻ったのは彼のその言葉を聞いてからだった。じっとりかいた汗をさっと拭ってこの空間の出入り口と思われる場所から向こうの方をそっと覗き込む。

 ぺちゃくちゃよく喋る男と店主が話していた。

 あれは――




「……!!」




 その横顔に喉がヒュッと鳴った。



「まあ、待てばいいだけの話ですよね。さ、おいで――」

「ダメッ!!」



 気づいた時には思わず腕を強く引いて引き留めてしまっていた。

「え」

「絶対に今だけは出ちゃダメ。ダメ……ダメダメ……」

 怯えた様子で全力拒否する僕に彼はハッとしてそっと耳打ち。


「怖い人?」


 ……怖い人。

 ……怖い。

 首が痙攣したかのように頷いた。


「誰?」


 さあ言おうと思って――でも喉に言葉が詰まって出てこない。口もパサついて上手く動かない。金魚みたいに口をぱくぱくさせるだけで何にも言葉が出てこない。


「言えない?」


 またガクガク頷いた。

 肺が過呼吸でもう限界。

 心臓も物凄く痛い。


「……言えないぐらい怖いんだね」


 涙をぼろぼろ流しながらブンブン頷いた。

 それをそのひとはそっと抱きしめ、慰めてくれた。


「よしよし。分かった。どんどんあなたのことが分かってきた」


「無理しなくていい、一旦逃げよう」


「学校には行かなくってもいい」


「ここには誰も来ない」


「私はあなたの味方だから、安心していい」


「あなたに必要なのは休息だ」




「取り敢えず私のおうちにおいで」


「私はベゼッセンハイト。――君は」




「……響。田辺、響」

「響さん。よし分かった、もう大丈夫」


 そのひとは僕を抱き上げて、闇の奥へと連れて行ってくれた。

 誰も誰も来ない、安全な闇の奥へ。

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