第9話
それから1週間、私はカインツ夫人と刺繍をしながら過ごしました。刺繍はもちろん、うまくできませんでした。片目で、しかも利き目でないほうなので、針を思った位置に刺せないのです。
「休憩にしましょうか」
それを見たカインツ夫人は何度も何度も休憩を提案しました。私は唯一自由な口で、出されるお菓子を食べ、紅茶を飲みました。
「……刺繍、下手ですね、私」
「今だけよ」
ちらりと見た鏡の中の私は、顔の上半分を包帯でぐるぐる巻きにされたミイラのようでした。夫人は何を思ったか、鏡を見る私の肩を抱き、「大丈夫よ」と何度も言い聞かせました。私は何が「大丈夫」なのかを彼女に問いたかったのですが、彼女の中ではすでに答えが決まりきっていているようでした。そしてその答えを、当然のように私も共有していると固く信じているのでした。
きっと、私の所作のひとつひとつが心細く見えるのでしょう。カインツ夫人は親身になって私の話を聞き出そうとしましたが、私が語ったのはロジャー様との馴れ初めだけでした。
「一目惚れだったのね」
カインツ夫人はうっとりと手を握り合わせました。「きっと彼はあなたの美しさを見抜いていたんだわ」
そうして夫人との時間を過ごしているあいだ、何度かロジャー様から電話がかかってきておりました。
「アンナ、アンナ。元気かい。僕のことを忘れていないだろうね?」
「忘れてなどおりませんわ」
「君がいない屋敷は檻のようだ」
弱りきったような声音で彼がいうので、私はつとけて温かい声で告げます。
「あと3日すれば、帰りますわ。お待ちになって」
「長いよ、アンナ」
こうしたやりとりを何度も繰り返しました。電話の向こうのロジャー様は、小さな男の子のようでした。
頻繁な電話に、カインツ夫人は「愛されているのね」と微笑みました。
この時ばかりは、自信を持って頷くことができました。おしゃべりな彼女との会話のほとんどを、私は相槌でかわしましたけれど、この頷きだけは、私の放つはっきりした意志でした。
「はい。勿体無いと思うほど」
私はもはや、彼に釣り合う私なのです。繭が蝶になるのを待つばかりなのです。全ては、もう整っていて、私はヴェールを脱ぐのを待つばかりになっていて──とうとう、その時がやってきたのです。火曜日、ちょうど1週間でした。
顔を覆っていた包帯を解き──私はあまりの世界の変わりように驚きました。ダークブラウンの髪の毛と緑の瞳。真っ白な肌は少しだけまだらな色をしていましたが、あの醜い傷は跡形もありません、まだらな肌は化粧で隠せば、憧れた、いや、憧れた以上の美人でした。私は若い頃の母親を思い出して、また涙が止まらなくなりました。
「きれいよ、アンナ!」
夫人が後ろから私を抱きすくめて一緒に泣いていました。カインツ氏は頷き、私の肌の具合を見て、うんうんとまた頷きました。
「状態は良好ですな。でも、あんまり乱暴に触らないように」
「はい、はい……!ありがとうございます、先生」
ああ、神様!
これほど喜ばしいことがありましょうか!
醜女は美しい女に生まれ変わることができました!こんなに素晴らしいことがありましょうか!
これで私は、愛する彼の、結婚の申込みを受けることができます!神様!
アントン邸に帰ると、レニが恭しく礼をし、「おかえりなさいまし」と言いました。そして顔をあげ、私の傷のないのを確認し、少しだけ驚いたように目を見開きました。
「アンナ様?」
「ええ」
「……アンナ様でいらっしゃいますか」
「ええ」
私は自信を持って答えた。
「ロジャー様はどちらにいらっしゃるの?」
レニはなぜか躊躇いました。普段はてきぱきと働き、ハキハキとものを喋るレニが、おどおどと玄関で立ち往生しているのです。
「あの、アンナ様……」
「寝室かしら。それとも執務室かしら」
レニは何か迷っているようでした。その迷いすら、私にとっては邪魔でした。今の私は美しいのです。醜女はもういない。醜女のアンナはもう死んだのです。
私は身体中に自信を漲らせていました。
「いいわ、自分で確かめます」
「お、お待ちください!アンナ様!アンナ様!」
レニが後を追ってきます。私は彼女を振り切り、執務室の扉をノックしました。
「どうした」
中から愛しい人の声が聞こえます。
「アンナです」
「おお、アンナ!」
重い扉が開くと、美しい彼のブロンドの髪が覗きました。青い瞳が私を見下ろします。美しく顔を整えた私だけを映します。
喜んでくださる。
そのはずです。
そのはずでした。
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