第7話
20代も後半にさしかかると、いつの間にか歳をとったと感じさせられるようになり、鏡に向かうのがちょっとしたストレスになる。
毎日いっしょに働く人たちの変化には気が付きにくいが、たまにしか会わない人とは、お互いの変化に気づきつつも「変わらないね」「そっちこそ」などと共通の願望で慰めあう、そんな微妙な年齢なってしまった。
これが、幼い頃から可愛がってもらっている祖父のこととなると、たまに会うたびに、老化というものの強さと平等さを意識せずにはいられない。
優しい笑顔は変わらないが、声には以前のような溌剌さはなく、小さい頃はがんばって後を追っていた大きな歩幅も、今ではこちらがときどき振り返りつつ、いつの間にか同じくらいの高さになった肩が並ぶのを待つ。
あと何年こうして会えるだろうか、どれだけ恩返しできるだろうか、などと考えていると、
「おじいちゃん、髪の毛変わらないねー!」
呑気な姉の声。
そりゃそうだ。わたしたちが物心つく頃には、祖父の頭は、ときには鏡の代わりであり、ときには落書き帳、またあるときには計算用紙代わりだったのだから。
隣国から世界中に広がり、多くの人の命を奪った感染症も、ワクチンの普及やマスク・換気などの予防知識の啓蒙と実践、体調が悪い時は仕事や学校は休むもの、という当たり前の認識が広がったことなどから、死亡率や重症化率が下がり、ようやく法律上の扱いが変わったことで、久しぶりに行動制限のない年末年始を迎えた。
祖父の家に来るのも数年ぶりのことで、久しぶりに会ってうれしいのはわたしも同じだ。
しかし、一言目がそれか?
女性がいくつになっても体型や体重の話が避けられるべきであるのと同じように、男性に頭髪の話はうっかりするものではない、と教わっていたが、この姉には関係ないようだ。
「あさひも変わらないねえ……特にお腹まわりゃはうっ!」
高齢者虐待反対!
お年寄りは大切にするもの、という常識もないのか。
「まあ上がりなさい。お正月だしお餅でも食べようじゃないか」
何ごともなかったように祖父が、わたしたちも子どものころから遊び慣れた大きな家に招き入れてくれる。
しかしつえーな、じぃちゃん。
すでにテーブルにはおせち料理や郷土料理、カニやら牛肉やらの鍋も複数並び、ビールや日本酒もダース単位で用意されている。テレビ台の上には鏡餅も設置されていて、お正月らしい雰囲気だ。
「今日は他に誰が来るの?」
用意された料理やお酒の量から、大勢集まるのだろうと思ったのだが、
「他には来ないよ。お前たちだけだ」
ということは、あの大量の料理やお酒は4人分か……。
「つきたてののし餅があるから、はじめは何もつけずに食べてごらん」
祖父の住む街は「餅の街」として有名で、多くの家には餅つき機があり、各種イベントには「餅つき団」が登場し、「全国餅カーニバル」とかいうイベントも毎年行われている。ついでに「全国地ビールフェスタ」なども開催されるところで、医師としては、飲み過ぎ食べ過ぎ窒息に気をつけてね、と言いたくなるクレイジーな土地柄である。ああでも、おみやげ品で有名なゴマダレ入りのお団子は、精神の健康にはものすごく良いことは認めざるを得ない。
「ルナは何枚食べる?」
いや、切り餅じゃなくてのし餅だよね?頼むから切り分けてくれ。つーか、自分でやるし。
「わたしはとりあえず2枚だけでいいよ」
だけ?
「おじいちゃん、おせちが2人分しかないけど?」
三段重のおせち料理が二つあるけど?
「そっちがあさひの分、こっちは他の3人分だよ」
そうですか。
「わたし取り分けるね。おじいちゃんにはまずエビ。長生きしますように」
「おお、ありがとうな。お礼に数の子をあげよう。いや、その前に手綱こんにゃくかな。良縁に恵まれますようにゃりょおぅ!」
たった今、長寿を願った相手のお腹にグーパンですか、そうですか。
まあ、じぃちゃんのも今どき珍しいくらいストレートなセクハラではある。
「お返しにおじいちゃんの頭みたいな日の出を意味するかまぼこをどうぞ」
「それならあさひには里芋とくわい。どっちも子孫繁栄を願う食材だぞ」
「もう!おじいちゃんの長生きなんて願わないからね!この鮑はわたしが食べちゃう。不老長寿いただき!」
「それは鮑ではなくトコブシだ。『福が溜まりますように』の意味だが、あさひの場合『腹』がたまりましゅルリロロロ!」
この二人はいつもこうだ。将棋を教わったときも、わたしは全然興味なかったけど、あさひはすぐにおじいちゃんに勝てるようになったものだから、負けず嫌いの二人で延々と勝負してたし、ちょっとした言い間違いなど、すぐに攻撃材料。体型も頭髪も遠慮なしの子どものケンカになる。
「二人とも、そこまで!」
母さんが冷静に言う。これが試合終了、いや、一時中断の合図だ。
姉が祖父のお腹にめり込ませた右手を引き抜き、あらためて乾杯となった。
そこからは、しばらくの間、近況報告や、世相の話題に花が咲き、3人分のおせちも半分くらいは消えたかな、というところで、
「三の重、コンプリート!」
一人でなにか勝負していたらしい。
気がつけば、姉の前には2ダースほどのカニ脚の殻。キロ単位で用意されていたと思われるお肉たちも消え去っていた。
よく見ると、お重の中に一品残っている。
「あさひ、里芋残ってるんじゃない?」
姉の代わりに祖父が答える。
「これは里芋じゃなくてヤツガシラ。『末広がり』を意味する食材だけど、あさひは体型が末広がりゃらりくいぅ!」
またジャレ始めた二人を見ながら、わたしは紅白なますを口に運ぶ。
「平和だねえ」
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