17.夕暮れの出陣


 酒場で待つ時間は長く感じなかった。

 案内された一室に荷物を置いて、昼の食事を摂れば賑やかになる一階。ミュゼは部屋にまで食事を運んで貰ったが、どこか酒場の面子との一線を引かれているように感じた。

 つる、と喉奥を滑り下りるのは、店員姉妹が用意した野菜多めのパスタ。春先の野菜が山のように入れられていて、味も悪くない。くるくるとフォークに回して取る麺が多くなって、気付けば皿の上が空になっていた。


「……ふー」


 しっかり食べた筈なのにその美味しさがあっという間に終わった気がして、少し物足りない気がしつつ皿を室内の机に置く。窓際のそれは勉強机のようだった。

 木枠以外何も無い寝台、埃は無いが窓幕も無い窓。備え付けの収納の中身は空っぽで、春だというのに室内全体が寒々しい。


 話は、聞いていた。

 この酒場は――ギルドは、命令とあらば人を殺し、命令さえ出れば慈悲も無い、冷徹な殺人集団共が住んでいると。

 マスターとして君臨する女は、最愛の人の為に何でもする。そして彼女の命令に逆らえる者は、この酒場には居ないと。

 何故そうなったかは、ミュゼの育ての親は端的にしか言ってくれなかった。


 ――『理由? 聞いて驚け。あいつはな、旦那が死んだからそうなった』


 ああ。ねぇ、エクリィ。そっちこそ聞いて驚けよ。


 その旦那様、生きてるんだけど。




 何も無い部屋で自由に過ごせと言われたって、暇を潰す道具も何も持って来ていない。あるのは着替えだけ詰め込んだ肩下げと、こればかりは無いと困る折り畳み式の長棒。

 肩下げの中から、鞘に入ったままの取り外し式の刃先を出した。取り外しも取り付けも手間が掛かるが、有ると無いとでは戦闘力に差が出る。

 付けるか、止めるか。ミュゼの迷いは暫く続く。夜に具体的な指示が来る筈だが、どんな指示が下るかも分からないのだ。

 色んな事を教えてくれた育ての親は、人の命の害し方は教えてくれなかった。

 甘ったるい考えのままだと言われてしまうかも知れない。けれど、育ての親が引いてくれた一線を守り続けていたいと思っている。


「……」


 そして今日も、刃先は付けないままだ。

 荷物入れの中に刃先を仕舞う。鞄の中に乱雑に放り投げても、鞘が守ってくれる。でも。


 今のミュゼは、誰も守ってくれない。




「はい、それじゃミュゼの審査兼王家下命の依頼について話すよ。二人とも、ちゃんと聞いておいてくれな。そう何回も説明しないぞ」

「……」


 ――そして、時間は酒場開店前の夕暮れ頃まで進む。

 時間だと扉を叩かれ、迎えに来たアルカネットの先導で一階まで下りた。そして厨房の奥へ通される。

 雑多な厨房の中を進めば、勝手口がある側に二人掛けの卓があった。座らされた正面には、既にマスター・アルギンが座っている。昼間の体調不良はもういいのか、平然とした姿を見せるがあまりミュゼの瞳に視線を向けない。

 どんな説明が来るのか不安になっているミュゼの心を知ってか知らずか、アルギンの語り口調は軽い。


「今から二人には二番街に行って貰う。詳細はアルカネットに前話したから、アタシが説明漏れしてたらそっちから聞いてくれ」

「……俺に押し付けるな」

「歩いて二時間くらいだけど、そう遠い訳でも無いだろ? 夜はちょっと治安が心配だろうけど、今日だけは『大丈夫』。そこでやって貰うのは、武力による『完全制圧』。――だけど条件がひとつだけある」


 アルカネットの不満を無視して言い進めるアルギン。

 条件の言葉に身を強張らせたミュゼ。

 続く言葉に、非道なものが続くと思っていた。この時までは。


「何があっても。誰も逃がすな、そして殺すな。不可抗力さえ許されない」


 強調された、不殺の命令。

 昨日も聞いたその話が、どうしても信じ切れずにミュゼが目を丸くする。


「……殺すな、って。相手は、王家から討伐を命令されるような悪人なんじゃないのか」

「勿論悪人さ。悪人だけど、だからこそちゃんと裁きは国が下す。……言っただろ、アタシ達は国の使いっ走りだって。制圧するだけして、そういう所は王家の役目。悪人を王家が裁けば、国民からも他国からも評価は上がる。……特に今回の輩みたいなのは、この国だけで問題起こしてるんじゃなさそうだしな」


 ぱさり、と卓の上に書類が乗る。四枚程度の紙束は、見るように指示されているようだ。何を言われなくとも、ミュゼはそれを手に取った。

 綺麗に書きつけられた、手書きの報告書。それはこの城下に入って来た、奴隷商人達の情報だ。

 首魁と手下、恐らくこの商人達に攫われたであろう子供達の情報。手下の項目には三名分ほどバツがついていた。


「……このバツ印は?」

「昨日のアレだよ。お前さんとディルが撃退した恥知らず共」

「ああ」


 質問に返る簡潔な答えに納得した。一番最後の紙には、商人たちが拠点としているらしい場所の地図が書かれている。ここまでの詳細な書類が用意できていながら、制圧に向かうのはこの酒場の者達でなければいけないのか――そんな疑問がミュゼの頭をもたげた。

 横から身を屈ませて、なるべくミュゼに近付かないようにアルカネットが書類を覗き見ている。そんなことしなくても、とその紙束を押し付けた。


「……殺すのも駄目で逃がすのも駄目って、滅茶苦茶難しいな?」

「まぁ、最優先されるのは殺さないでいる方だよ。逃がしたって、殺してなかったら幾らでも申し開きが出来る。……代わりに二度と、アタシらにこういう仕事は回って来なくなる」


 口調は軽いが、視線は鋭い。その鋭さを以て、アルカネットとミュゼを視線を合わせないようにしながら交互に見るアルギン。

 それはつまり、副業から発生する賃金が渡せなくなるという事だ。引いては孤児院の運営に難が出る。もしかしなくても、そのまま立ち行かなくなるだろう。生活の糧を失った子供達は、そうなったらどう生きて行けば良い。

 アルカネットがこんな仕事を引き受けていた理由が分かった気がした。でなければ寄付であんな額を渡せる筈が無い。


「依頼達成の報奨金の支払いは全部終わった後に。二番街の施設を制圧し終わったら、いつもの方法で合図を出せば後始末係が来る。その辺はアルカネットの方が詳しいから、道すがら聞いてくれ」

「制圧って……、後から増援が来る可能性は?」

「無いと思って良い。昨日三人仕留めたろ、あれのせいで今日の動きが激減してるそうだ」


 『してるそうだ』。……何処から仕入れた情報なのか。

 ミュゼの知らないこの酒場の裏の顔は、聞いていたよりももっと深そうだ。


「……こんな夕方の時間から動いて、大丈夫なのか?」


 今一番気になるのはそれだった。でも、アルギンは微笑む。そして、その一度だけ視線を合わせて来た。


「この時間だったら、アタシは気の良い酒場の女店主だよ。酒場を開けている時間のアタシに後ろ暗い所は無いし、そんなアタシの酒場に居る奴等が『国家に背くような事をするはずない』からねぇ」


 ――ぞくりとした。

 ミュゼの背中に冷たい氷を放り込まれたかと思うほどの寒気を感じる。結果の為に事実を捻じ曲げる、それだけの権力がこの女にはあるようだ。

 アルギンは確かに嘘は言っていない。国家からの命令で動いているのだから、間違いでは無いのだけれど。


「……こんな仕事、全部騎士に丸投げすればいいのに。その為の騎士だろ」


 苦虫を噛み潰したような顔で、ミュゼが苦し気に言い放つ。

 危ない仕事をして、それで名声は全て王家に持っていかれて、幾ら金のためとはいえ見返りが少ない気がして。

 ミュゼの呟きを聞いたアルギンは、驚いたように目を見開く。けれど数回瞬いて、また微笑んで。


「そうだなぁ。騎士共の仕事がもっと暇だったら考えるんだけどな」


 その顔は綺麗で、もっと見ていたいと無意識に思った。けれどアルカネットが急かすように肩を軽く叩く。

 「ん」なんて不機嫌な声で示されるのは勝手口。早く出ようと言われているらしく、ミュゼも渋々立ち上がる。


「いってらっしゃい。帰る頃には、多分店も閉店作業に入ってるだろ。……お前さんにとっては審査だが、他の奴等にとっては『そうじゃない』のを忘れるなよ」


 笑顔のアルギンが小憎らしい。

 たった一人からのお見送りを受けて、ミュゼもアルカネットも酒場を出た。

 閉まる扉のその向こうで、酒場の下準備に取り掛かるアルギンの背中が見える。細くて、小さくて、並みの女よりも華奢に見える背中。


 その背中に、酒場に住まう者の生活が懸かっている。




 長い道のりを歩き始めるミュゼとアルカネット。

 二番街に行くまでには、当たり前のように五番街を出なければならない。その一歩目を踏み出したのはアルカネットが先で、ミュゼは黙ってその後についていく。

 二人の間にあるのは重い沈黙で、夕日が沈むその時まで黙っていた。周囲が暗がりに包まれて、道行く人の姿が少なくなって、やっとアルカネットが口を開いた。


「……ミュゼ」

「ん、何……ですか」

「口調、本当は随分軽いのな。別に俺の前でも、そんなに気にする必要は無い」

「……マスターに似た顔で、敬語使われるのが嫌だからってか?」


 ミュゼの軽口は、アルカネットの痛い所を突いた。ミュゼとアルギンの顔の似かよりは前から思っていたが、本人から言われると違った後ろめたさがある。返答に困っているアルカネットがまた無言になったが、ミュゼは構わず口を開いた。


「私が敬語じゃなかったら、今以上に私の事嫌ってただろ。もうこの態度を改めるつもりもないけど、こっちだって円滑な人間関係で生きていきたいの。分かる?」

「……」

「あと、アルカネット様が寄付をくれるから遜ってた訳でも無い。私は誰にでも態度は一定だ」


 強気なミュゼの様子は、孤児院で働いていた時に見ていた態度とは大違い。アルカネットの沈黙の一因にそれがあるのだが、ミュゼは黙ったままのアルカネットに良い気はしていない。

 あの酒場で裏ギルドメンバーの一人として暮らしていたのだ、その腕っぷし自体に疑問は抱かないけれど、今のミュゼには不安が過る。


「……武器、無いみたいだけど大丈夫なの」


 寡黙で、丸腰で、あまり感情が読めないアルカネット。その不安を感じ取ったようで、ミュゼに顔だけ振り返る。


「心配か?」

「少し。今からは観光じゃなくて荒事に行くんだろ、自警団員だからって武器も無くていいのかって不安にはなる」

「そうか」


 そうか、の一言で済ませたアルカネット。ミュゼの眉間に皺が寄るが、もうアルカネットの視線はミュゼには無い。


「どう対処するか聞いても良い?」

「対処、な」


 そうは言っても、『これ』がアルカネットの常だったから何とも言えない。

 今回の仕事の相棒を不安にさせている事も分かっている。だけど、彼にはミュゼを安心させるための語彙が無い。


「対処法は現地調達、としか今は言えない」


 はぁ? とミュゼの疑問符が聞こえた。しかし、これ以上聞いても無駄だと思ったのかまた無言になる。

 二人ともに、それ以上の会話を続ける程の感情も熱意も無いので、また無言のまま足だけを進めていった。


 

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