悪役令嬢の計画的婚約破棄

那々詩

冒険者になりたい

「アストリーテ・フェーアシュテレ! 今、この時を持って私と貴様の婚約を破棄する!」

 騒めく中庭の真ん中で、アウグスト・フォン・エーレンライヒの声が響き渡った。アウグストの後ろには怯えたようにアストリーテを見つめる少女の姿がある。

 アストリーテはアウグストの取り巻きに取り押さえられ、悔しげに少女を睨みつけると、がっくりと顔を伏せた。

 青く長い髪が垂れ、アストリーテの顔を隠すと、アストリーテは堪えられないとばかりに歓喜の笑みを浮かべていた。

 長い長い時間が掛かった。しかし、ようやく、ようやく待ちに待った日が来たのだ! そんな歓喜がアストリーテの中を渦巻いていた。


 アストリーテはフェーアシュテレ侯爵の長女として生を受けた。

 彼女は幼い頃から賢く、五つ年上の兄、イグナーツ・フェーアシュテレによく本の読み聞かせをしてもらっていた。

 アストリーテは特に冒険奇譚を好んでおり、自分で本が読めるようになってからも、よく冒険者達の数々の輝かしい功績を綴った本を読んでは、

「アストリーテも将来はすごい冒険者になるの!」

 と豪語していた。

 妹に甘いイグナーツは、アストリーテなら立派な冒険者になれると言っていたが、それを良しとしなかったのが母親のマチルダ・フェーアシュテレだ。

 マチルダはアストリーテが五歳になると貴族の淑女としての教育を始めた。それは厳しく、普通の子であれば投げ出してしまいたくなるようなものだった。

 けれどアストリーテはやはり賢く、そして有能であった。幼いながらも教師達の教えについていき、いつかは立派な貴族令嬢になるだろうと誉めそやされていた。

 その裏で、アストリーテは冒険者になる夢を諦めていなかった。

 しかし、貴族令嬢としての教育の中に剣術や体術といった授業はない。弱いままでは冒険者になれない、どうにかして己を鍛えなければと考えていたそんなある日。

 魔法の授業で肉体強化と呼ばれる魔法を習ったのだ。肉体強化の魔法には完成はなく、使えば使うほど使用者の肉体を強くしていく魔法であると。その代わり魔力と体力の消費が半端ではなく、一時間も使えば倒れてしまうということだった。

 貴族令嬢にそんな魔法は基本的に必要ない。常に護衛が近くにいるからだ。ただ、万が一ということもある。いざという時に肉体強化の魔法を使って、逃げるために教えられたのだ。

 アストリーテはこの肉体強化の魔法に目をつけた。この魔法を使い続けていれば、剣術や体術を教わらずとも肉体は強化できる。

 最初は夜寝る前に一時間、肉体魔法を毎日欠かさずやった。もちろん初めのうちは魔法を使い終わった後、気絶するように眠ってしまった。しかしそれでも諦めることなく毎日毎日、次第に肉体強化の魔法の時間を増やしていき、起きている間はずっと密かに肉体強化の魔法を使い続けるまでになった。

 そして、ついには寝ている間も肉体強化の魔法を使い続けることができるようになった。そこに至るまでには並大抵ではない努力が必要だったが、夢を叶えるため、アストリーテは必死だった。

 また、魔法は肉体強化以外にも習得することができた。奇跡的にもアストリーテは四大元素魔法の素質があり、火・水・風・土の魔法がそれぞれ使えた。

 使えたと言っても、火・水・風に関しては日常生活で役に立つ程度にしか使えなかったが、土魔法に関しては国にいるどの魔法士よりも抜きん出ていると魔法の教師が興奮して言うほどだった。

 地震、大地の液状化、土による厚い壁を作ることも、山雪崩・地滑りを起こすことも、ゴーレムを創造して操ることもできた。さらには自身の防御力を上げる土属性の付与魔法も覚えた。

 これで冒険者となっても大丈夫だと確信した、そんなある日だった。

 九歳の誕生日を迎えたアストリーテに、父親から王太子との婚約が決まったと知らされたのは。


 王太子との婚約。アストリーテがどんなに嫌がっていても、子供の我儘で覆すことはできない。

 能力の高さを買われてしまったのがアストリーテの不幸だった。宮廷で行われるお茶会に母親と行ったとき――なおその時もアストリーテは肉体強化の魔法を行なっていた――子供らしくない淑女の礼をしてしまったせいか。それともそのお茶会の場で、すでにこの国の歴史についてほぼ学んでいることを披露してしまったせいか。後悔が尽きない日々を送った。

 嘆くアストリーテを慰めるイグナーツはもう王国の貴族が通う学園の寮に行ってしまって家にいなかったことも大きかった。

 泣き伏すアストリーテは将来を嘆き、半ば自暴自棄になっていた。そんな時にも肉体強化はやめなかったが。

 ふと、妙案がアストリーテの頭に浮かんだ。

 子供の考えた案なのだからどうしても拙いものになるが、アストリーテにはそれが素晴らしい案であると思えた。

 それは、王太子ことアウグストの前では悪辣な態度で接する、ということだった。傲慢で不遜で、とことん嫌なやつを演じてこの婚約をアウグスト側から無かったことにしてもらおうとしたのだ。

 家での教育の内容に王妃となるための教育が加わり、さらにアウグストとの交流。アストリーテの私は完全になくなったが、それでもアウグストに嫌われるよう努力した。

 しかし結果から言って、それはうまくいかなかった。どんなにアストリーテがいけ好かない態度を取ろうとも、アウグストは耐えてみせた。これが政治の絡んだ婚約であることをしっかり理解しているからだ。

 どんなに嫌な相手であろうと、アストリーテが有能な人材であることには変わりない。王妃教育も問題なく進んでいる。

 国のためにと耐えるアウグストに、アストリーテはこの国の未来は安泰だと逆に感心してしまうほどだった。

 それでもアストリーテは諦めない。ついにアストリーテが学園に入学する頃、アストリーテは決めていた。

 学園一、嫌な令嬢を演じようと。


 入学してからのアストリーテはそれはもう嫌なやつだった。

 建前とはいえ、身分差を笠に着てはいけないという学園の校風に逆らい、自分より爵位の低い家の令嬢は見下し嫌がらせをし、顔が良い家柄が良いと言われる令息には逆に言い寄ったり。

 それでいて授業においては主席をキープし、教師を立て、立派な令嬢であるように振る舞って教師陣からの受けは良い。

 どんなに教師にアストリーテのやったことを訴えても、教師達はアストリーテがそんなことするわけがないと庇う。

 他の生徒からしたらこんなに嫌なやつはいない。アストリーテは自分でも思う。兄と在学期間が被らなくて良かったと心から思った。

 しかし噂はきっと他の生徒の兄弟から聞いているであろうと思うと、胃がキリキリする思いだった。イグナーツはきっとアストリーテの思惑をわかっているだろうが、それでも大好きな兄から万が一にも嫌われてしまったらと寮の枕を涙で濡らす日もあった。そんな時にも肉体強化は欠かさなかったが。

 そんな生活を三年も送っていたある年、変化が起きた。

 それは編入生がやって来たこと。

 なんでも元は平民で、魔力の高さ、そして何より極めて珍しい光属性の魔法が使えるということで男爵家の養子になったばかりの少女。

 少女の名はステラ・アーレント。彼女は淡い桃色の髪を肩まで伸ばして、愛らしい顔立ちをしていた。釣り上がった目で、美しいがプライドの高そうな顔立ちをしているアストリーテとは正反対の少女だ。

 光属性の使える魔法士ということで、彼女の面倒はなんとアウグストが引き受けることになった。貴族の礼節に疎いステラに王太子が付くというのは異例のことであるが、それだけ光魔法が珍しいということだ。いずれは王家のお抱え魔法士にさせるのだという意図が見えていた。

 ステラは心優しく、誰とでも仲良くなれる子だった。他人を気遣い、他人の傷を自分のことのように痛む人間だった。

 アストリーテほどではないが嫌なやつと噂される令嬢も令息も、ステラの前では年相応の子供になる。

 そんなステラに、アウグストが惹かれるのは時間の問題だった。そしてそれは、アストリーテにとっての最後のチャンスでもあった。

 ――これを利用しない手はない。

 ステラには申し訳ないが、アストリーテは己の夢のために利用させてもらうことにした。


「男爵令嬢風情が、この私に逆らうつもりですの?」

「……この学園内では身分の差など関係ないと、王太子殿下からお聞きしております」

「それが建前であることをわかっていないなんて、頭が足りなくて残念ですわね」

 いつものように学園の裏庭で爵位の低い家の令嬢を言葉の刃で切り刻んでいたところ、ステラがやって来たのだ。これはチャンス、とアストリーテは取り巻き達に目配せする。

 取り巻き達もステラを相手にしたくないらしいが、王太子の婚約者であるアストリーテの命令に逆らうことはできない。

「フェーアシュテレ様のお言葉に従えないというのなら、それは王家に楯突くことと同じだと分からないの?」

「これだから平民の出は……一体親にどんな躾をされたのか」

「っ、お父さんとお母さんは関係ないでしょう!?」

 声を荒げるステラに、アストリーテはくすくすと笑みをこぼす。実際、面白くもなんともないが。

 それにしても、そろそろ場を去らないとアウグストや教師が駆けつけに来るかもしれないと察したアストリーテは、持っていた扇を使ってステラの頬をなぞる。

「今日はこの程度にして差し上げますが……次があるとは思わないことですわね」

 そう言い残し、取り巻きを連れてアストリーテは裏庭を後にした。

 残された令嬢とステラは、お互いに慰め合っていたようだった。

 今日も嫌なやつを演じきった。早く王太子の婚約者などという立場から退きたいと罪悪感を覚えつつも、それでもアストリーテは止まらない。


 そうしてステラの編入から一年半、ついに最終学年になった時のことだった。

 相変わらずちまちま嫌がらせをしていたが決定打がなく、アストリーテは焦っていた。卒業したらそのまま結婚、ということがありえるのだ。その前に決着をつけないといけない。

 これだけはしたくなかったが、強硬策に出るしかないとアストリーテは覚悟を決めた。


「何の御用でしょうか……フェーアシュテレ様」

 中庭に呼び出されたステラの顔は強張っている。アストリーテは今日は取り巻きはいない。彼女らには敵になってもらわなければいけないからだ。

 一対一の状況に戸惑っているステラには申し訳ないが、根回しは済んでいる。安心できないだろうが安心してほしいとアストリーテは思った。

「あなた……アウグスト様と随分親しいようですわね」

「ア、……王太子殿下とは編入の折より親切にしていただいております」

「本当に親切にしていただいているだけ?」

 目を細め、そう問うと明らからにステラは動揺した。どうやら親切にしてもらっているだけではないらしい。名前を呼びかけたあたり、わかりやすくて結構だとアストリーテは内心頷く。

「将来、国母となるのが誰なのかご存知かしら?」

「それは……フェーアシュテレ様です」

「そう。それはわかっているのね……だというのに、あなたは平民の出であるにも関わらず、アウグスト様に色目を使った」

「誤解です! 私は、決してそのようなことは……!」

「お黙りなさい。あなたとアウグスト様が親しくしているのは学園中の噂になっておりますのよ」

 もう一年も前から流れている噂だ。アウグストはステラが好きで、ステラはアウグストが好き。両者想い合っている者同士、くっついてしまえば良いだとかなんだとか。

 あんな性格の悪いアストリーテなんかを国母にしたら国がどうなるか。アウグストがどんなに素晴らしい人間でも国が傾いてしまうとかなんとか。好き放題言ってくれるが、アストリーテは気にしていない。むしろそう仕向けるようにしたのだから。

「身の程を弁えず、アウグスト様にお近づきになって……未だ貴族としての礼節もわかっていないあなたが、あのお方のそばに侍るなど許されないこと」

 アストリーテは右手に魔力を集め、地面に向けさせる。地響きが鳴り、そこからゴーレムが一体現れる。

 ゴーレムの姿を見て、ステラは驚愕の表情をした。当然だ、まさか魔法を使ってくるとは思わなかったのだろう。

「多少顔に傷をつける程度ですわ。あなたの光魔法でも消せない程度の、ね」

 アストリーテはそう言うと、今度はステラの足元に手を向けた。ステラの足に土でできた枷をし、逃げられないようにする。ちょうど逃げ出そうとしたステラは、その枷のせいで転んでしまう。

 ステラの元にゴーレムが向かう。そしてゴーレムがステラの目の前で、腕を振り上げた、その時だった。

「何をしている!!」

 鋭い風の刃が飛んできて、ゴーレムを切り刻む。ゴーレムは原型を残さず崩れ落ち、ただの土塊に戻る。

 硬度を最低限にしたのだからこの程度か、とアストリーテは思いつつ、慌てた顔を作って声のした方を向く。

 そこには怒りに顔を歪ませたアウグストと、普段アストリーテの取り巻きをしている令嬢が立っていた。その後ろにもたくさんの生徒、そして教師もいる。

 教師は信じられないような目でアストリーテを見、他の生徒達は走ってステラの元へ駆けつけ、足枷を外した。

「アストリーテ、何をしていた」

 怒りに燃え滾る声を聞いて、アストリーテは動揺したように声を出す。もちろん演技である。

「アウグスト様……どうしてここに」

「何をしていたと聞いている!」

 アストリーテの言葉を遮るように言い放つアウグストの迫力は凄まじいものだった。アストリーテは努めて冷静を保っているフリをしつつ、アウグストの質問に答えることにする。裏では相変わらず肉体強化を行なっている。

「ステラ様に魔法を……そう、魔法の練習に付き合っていただいていただけですわ!」

「私には貴様のゴーレムがステラに危害を及ぼそうとしたようにしか見えない」

「そう見えてしまっていたのなら申し訳ございませんわ。ねぇ、ステラ様?」

 ステラに身やろうとすると、殺気の籠った視線が飛んできたため、やめた。

「足に枷をして、魔法の練習だと? ……ふざけるな!」

「ふざけてなど……っ」

「貴様の優秀さゆえに、これまでの行いに目を瞑ってきた私が馬鹿だった」

 アウグストはそこで息を吐くと、視線を他の生徒に向けた。向けられた生徒は頷くとアストリーテを取り押さえ、地面へと座らせる。そうして、

「アストリーテ・フェーアシュテレ! 今、この時を持って私と貴様の婚約を破棄する!」

 アストリーテの望んでいた瞬間が訪れたのだ。

 アウグストの後ろに連れて行かれたステラが驚きの表情をしつつ、怯えたようにアストリーテを見つめる。

 それを悔しいと言わんばかりの目で睨みつけてやってから、アストリーテは俯いた。

 本当ならば立ち上がって小躍りしたいくらいだが、アストリーテを取り押さえている生徒のせいでできない。正直、生徒を吹き飛ばそうと思えばできるが、しない。

「ステラ……今まで迷惑をかけた。すまない。謝って許してもらえるものとは思っていない」

「アウグスト様っ、そんな、私は謝罪なんていりません!」

 そう言うステラを、アウグストはじっと見下ろすと、恭しく跪き、ステラの手をとる。

「ステラ、私はお前が好きだ。どうか私と結婚してほしい」

「あ、アウグスト様!? そんな、私なんか平民の出で、アウグスト様には釣り合いません!」

「平民の出かそうでないかなどは関係ない、私がステラを好きなんだ。それにステラは光魔法の使い手だ。父上も納得してくださるはずだ」

「アウグスト様……」

 ステラは跪いたまま、一心に見上げてくるアウグストの顔を見つめ、やがて涙を零した。

「はい……私も、私もアウグスト様が好きです……!」

 突然の婚約破棄にプロポーズ、教師は唖然とする中、生徒達は大盛り上がりだ。悪が罰せられ、想い合っていた二人が身分の差を乗り越えて幸せになる。まるでかつて読んだ物語のようだ。

 アストリーテが向こうの生徒側だったら同じように盛り上がっただろうし、何なら今すぐ「おめでとうございます!」と言ってやりたい気分満々だったが、悪役たる自分がそんなことをするわけには行かない。

 悪役は悪役らしく最後まで足掻かなければならない。

「そんなっ、私は……私はどうなるのです!」

 悲痛めいた声で言えば、冷たい視線と声が降ってくる。

「お前の沙汰は追って下す。……ここが学園だったことと、ステラが望まないであろうから極刑はないだろう。ステラに感謝することだな」

 立ち上がってステラの肩を抱いたアウグストはそれだけ言うと、教師達に何言か言うと立ち去っていった。

 他の生徒達もザマァ見ろとばかりにアストリーテに一瞥をくれ、去っていく。

 アストリーテはその日をもって退学処分となり、実家に帰ることとなった。


「この馬鹿娘が! 育てられた恩を仇で売りおって!」

 家では癇癪を起こしたような父親と母親が待っていた。

 確かに二人には申し訳ないと思う。高くない金をかけて育ててくれたのだから。

「あなたの行いは学園の教師の方から聞いております。……そんなことをするような子に育ってしまったなんて、嘆かわしい」

 侮蔑するように言い放つ母マチルダに少し寂しくなる。どれもこれも自業自得だ。家族からこのように言われるのも仕方ない。アストリーテは肩を落とす。

「申し訳ございません、お父様、お母様」

「お前はもう、フェーアシュテレの人間ではない。気軽に父と呼ぶな」

「え……」

 塵を見るような目で見られ、さすがのアストリーテもショックを受ける。もう家族ではないと言うことは、そう言うことだ。

 どこか甘く見ていたのかもしれない。婚約破棄されても、父と母は家族でいてくれると。それを否定され、言葉を失くす。やはり所詮は子供の浅知恵だったのだ。婚約破棄された後のことなど全く考えていなかった。

「荷物をまとめてさっさと家から出ていけ。これ以上、恥を晒すな」

「……はい、わかりました」

 しかし、貴族の令嬢で居続ければいずれ政略結婚の駒にされる。そう考えると、勘当されるのはむしろ僥倖というべきか。そう、アストリーテは自分を慰める。

 自室から必要最低限のものを鞄にまとめ、部屋から出る。使用人達の視線は冷たいものだった。家族同然で過ごした彼らからそんな目で見られるのは、ひどく辛かった。けれどそう思うのはお門違いなのだ。全て自分が招いたことなのだから。

 父と母はもう玄関にはいなかった。外に出ると、すぐに扉が閉められ、やがて門の外に出れば門も閉じられる。

 家全体から拒絶されていると思うと、あれだけ嬉しかった気分が萎んでいく。しかしすぐに頭を振り、気持ちを切り替える。

 辻馬車を探そうと歩み始めた時だった。

「アストリーテ!」

「お兄様……!」

 イグナーツが馬に乗って駆けてきた。イグナーツは今は王国の騎士団に所属しているはずだ。なのにどうしてここにいるのか。

 アストリーテの近くまで来たイグナーツは馬から降り、アストリーテのそばに行く。

「話は他のやつから聞いた。どうしてこんな馬鹿なことをしたんだ……」

「……はい。私も馬鹿なことをしたと思っています。ただ冒険者になりたい、それだけの思いでたくさんの人に迷惑をかけました」

「冒険者……そうだったな、アストリーテは冒険者になりたかったんだな」

「どうしても諦めきれなかったのです。……今更ながら、アウグスト様に相談すればよかったんだと思います」

「本当に……馬鹿な妹だなぁ」

「お兄様はまだ私のことを妹と思ってくださるのですか」

 妹と言ってくれたイグナーツに、アストリーテは涙ぐむ。そんなアストリーテの頭を撫で、イグナーツは「当然だろう」と言った。

「お前が冒険者になりたいなんて言い出したのは俺が原因だからな。だから俺はずっとお前の兄でいるよ……。それで、これからどうするんだ? 行くあてはあるのか?」

「本物の冒険者になろうと思います。王都から東にある、ロストンの街に行きます。そこの冒険者ギルドで冒険者登録します」

 涙を拭い、顔を上げるとアストリーテは今後の予定を話す。それを聞いてイグナーツも頷く。

「あそこはなかなか大きい街だ。始まりの地には持ってこいだな。そうだ、これは餞別だ」

 そう言ってイグナーツはジャラジャラと音がなる小袋をアストリーテに渡す。

 なんだろうと覗いてみると、そこには金が入っていた。アストリーテは驚いてイグナーツを見上げる。

「冒険者になるなら最初が肝心だろう。何かと入り用だし、もらってくれ」

「そんな……こんなにもらえません! これからお兄様にも迷惑がかかるかもしれないのに」

「俺のことは気にするな。だが、交換条件として一つある」

 悪戯に笑うイグナーツは指を一本たて、アストリーテのおでこにツンと押し当てた。

「お前はこれから、冒険譚に載るような冒険者になるんだ。今までのどんな冒険者達よりも偉業を成し遂げて、歴史に名を刻むんだ。……これが交換条件だ」

 ニヤリと笑ってみせるイグナーツに、アストリーテはきょとんと目を瞬かせた。

 しかしそれはすぐに挑戦的な笑みへと変わり、イグナーツから渡された小袋をきゅうと握る。

「わかりましたわ、お兄様。私は必ずや、この大陸に……いえ、世界に名を残す冒険者になってみせます」

「ああ、楽しみにしている」

 そこで言葉が切れる。これで別れなのだと二人が察したからだ。

 イグナーツはアストリーテの瞳をじっと見つめて、力強く頷いた。そして何も言わずに馬に乗り、もと来た道を駆けていく。アストリーテはその後ろ姿が見えなくなるまで見つめ続けた。




 ロストンの街にある冒険者ギルドに、一人の少女がやって来た。新品のローブに新品の杖を持った少女は、どこか緊張した様子でギルドの中を見回しながら受付へと向かってくる。

 受付嬢は微笑みを堪え、その少女に声をかける。

「ようこそ、ロストンの冒険者ギルドへ。ご依頼ですか?」

「いえ、冒険者登録をしに来ました。……あの、私でも登録できますか?」

 不安げに聞いてくる少女を、受付嬢は上から下まで見やる。ローブも杖も上等のものだが、新品であることがよくわかる。

 また、少女は細く、整った顔立ちをしている。まるで戦闘なんてしたことがない、どこかの貴族のお嬢さんのようだ。

 正直言って受付嬢もこんな少女が冒険者などできるのだろうかと不安になったが、冒険者ギルドは十五歳を超えていれば誰でも登録ができる。だから、少女の質問にはできると答えるしかない

「はい、十五歳を超えていればできますよ」

「超えています、ありがとうございます……!」

 嬉しそうに答える少女に、受付嬢は早速登録用の羊皮紙を取り出し、机の上に出した。

「ではこちらに名前と年齢、使用できる魔法などを記載してください」

 少女にペンとインクを差し向ければ、少女は迷うことなくペンをとり、字を書き出した。この時点で少女がただの平民ではないことがわかる。

 文字を書けるのは一部富裕層の平民か、貴族くらいだ。受付嬢は心配になる。こんな可憐な少女が、冒険者としてやっていけるのかと。

 しかし羊皮紙に書かれた使用できる魔法一覧を見て、考えを改める。

 彼女はゴーレムの創造と操ることができるようだ。それ以外にも、土魔法でかなり上位の魔法が使える。これならばすぐに死んだりはしないだろう。少し気になるのが、そんな土魔法よりも先に肉体強化の魔法を書いていることだが。

「これでいいでしょうか……」

「確認しますね……リーテ様、十六歳。得意魔法は肉体強化と土魔法ですね」

 少女、リーテは嬉しそうに「はい!」と返事をする。

「それではこちらの魔鉱石でできたプレートに血を垂らしてください。ここに針がありますので、指先にちょっと刺す程度でいいですよ」

 消毒されている針を出すと、リーテは恐る恐る指に針を刺し、ぷくりと膨れ上がった血を魔鉱石製の手のひら大のプレートに落とした。

 するとプレートの色が灰色に変わる。

「これがあなたが冒険者ギルドに所属している証になります。色が灰色なのはギルド内の等級です。等級は上から金、紫、青、灰色になります。灰色の等級は森の浅い位置にある薬草の採取と、低級の魔物退治の依頼等が受けられます。他には街の中の依頼などですね」

「はぁ……これで私は冒険者になれたのですね……」

 感慨深そうに呟くリーテに受付嬢は小さく笑う。

「等級は魔物退治の功績でのみ上がります。森の奥にある薬草などは魔物が倒せないと意味がないですからね」

「わかりました……ありがとうございます。早速依頼を受けてもいいですか?」

「ええ、あちらの看板に依頼の書かれた板が打ちつけられてます。灰色の等級の看板は一番手前の看板になります。あ、それとプレートはなくしたら再発行する時にお金をいただくことになっていますので、注意してくださいね」

「はい、何から何までありがとうございます」

 リーテはペコリと頭を下げると看板に向かう。

 と、その途中で巨体の男がリーテの行く手を阻んだ。確かあの男は青の等級の男だったはずだ。もうすぐ紫の等級に上がるかもという実力者でもある。

「嬢ちゃんよぉ、そんなナリで冒険者ができると思ってんのかぁ?」

 冒険者ギルドに入ってからリーテは注目を集めていたが、ついに絡まれてしまったらしい。彼女が冒険者登録したことが気に食わないようだ。時折いるのだ、あの手の冒険者が。

 ギルド内でのいざこざはご法度。注意しようと受付嬢が立ち上がったその時だった。

 ――ドゴォッ!

 リーテに絡んでいた冒険者が吹っ飛んでいった。おまけに彼が着ていた魔鉱石製の鎧の一部が手形に凹んでいる。魔鉱石製の鎧はかなり頑丈で、魔力が通っていない時でも十分な防御力を誇る。

 魔鉱石製の鎧を着るか着ないかで生きるか死ぬかの確立が変わってくる……と言われている、のに。

「あ、あの、すみません。少し強く叩いたつもりだったんですけど……」

 申し訳なさそうに青の等級の男のもとに駆け寄るリーテ。男は意識を失っているのか返事はしない。

 慌てるリーテを落ち着かせて、受付嬢は他の冒険者に手伝わせて男をギルド内の医務室に運んだ。

 受付嬢は立ち尽くすリーテを見て、思い出す。羊皮紙に書かれた得意な魔法、肉体強化。魔鉱石の鎧を少し強く叩いただけで凹ませることができるほどの強さ。なるほど、一番に肉体強化の魔法を得意魔法にあげるのも納得である。

 受付嬢は、彼女が今後どんな冒険者になるのか楽しみになった。


 こうしてアストリーテ……リーテの冒険者としての人生が始まったのであった。

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悪役令嬢の計画的婚約破棄 那々詩 @774ka

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