第32話 君の瞳に映るもの
ブラッドは歓喜した。
ブラッディ・クローから伝わってくる肉を裂く感触、生命の断末魔に、どうしたって口角が上がる。ぞくぞくとした興奮に突き動かされて、もっともっととのめり込んでいくのが分かる。心臓に、眼球に、脳髄にブラッディ・クローをぶち込むたびに、その震えが、恐怖が痛みがこちらに伝わってくるのだから止められない。
ひ、ははは! アウグストの奴! なんてものを作り出しやがった! こいつは、いい! ひひひひひ! ああ、たまんねぇ!
疑似生命体に痛みなんて必要ねーのに。断末魔の悲鳴なんて再現する必要はない。戦闘力だけ再現すりゃいーんだ。なのに今回あいつが作り出した疑似生命体は、断末魔の悲鳴はおろか、血の匂いまで本物と寸分違わない。
あいつがわざとそう作ったんだと分かる。
俺がなにを好むのか、探り当てた結果ってわけか……
ブラッドの赤い瞳が爛々と輝き、浮かべる笑みは魔性のそれだ。
魔王討伐に向かったあの時、アウグストは俺に興味を持った。
――ねぇ、どうして君は疲弊しないの?
かつてのアウグストは興味津々、俺にそう尋ねた。戦い続ければ普通は疲れる、けれど、酩酊状態になったデビルは皆、疲れ知らずだ。どんどん力が増す。敵を蹴散らし、すべてを喰らってもまだ足りないと、俺がそう言い出すことがあったから、驚いたらしい。
――ね、ちょっと僕の手下と戦ってみてよ。
興奮した面持ちで、アウグストは自分が作り出した疑似生命体をけしかけたけれど、俺は相手にしなかった。張りぼての生命体なんていくら殺したところで、ちっとも面白くない。命を引きちぎられる時の恐怖、痛みの悲鳴を上げることはないんだもんな。馬鹿馬鹿しい。
――うーん、なにが違うの?
かったるそうに俺が戦闘から離脱すれば、アウグストは不満そうにそう聞いてきたけれど、わざわざ答える気にもなれなかった。
――あんまりしつこいと、お前の心臓にブラッディ・クローをぶち込むぞ?
そう言ってアウグストを牽制した。
うんざりだった。そう、人形を相手にするより、ブラッディ・クローをアウグストの心臓に突き立てた方が遙かに面白い。俺が好む悲鳴を上げてくれるだろう。俺が本気であることを匂わせれば、やっとやめたけれど、諦めてなかったわけか……
知的好奇心。アウグストはそれが旺盛だ。貪欲と言ってもいい。
けしかけるのも上手い。ああ、上手い言い訳だよ。ひ、ははは!
笑いが込み上げてどうしようもない。
神殿での俺の立場を確立させるため? 嘘つきやがれ。お前は単純に、自分が作り出した疑似生命体と俺を戦わせたかっただけだ。けど、普通に戦わせようとすれば、俺が相手にしないのを知っていたから、こんな回りくどいことをしやがったんだよな?
――ねぇ、どのくらい戦うと君は疲弊するの?
俺の限界が知りたいか? ははは、無理無理、諦めろ。デビルってのは生命の断末魔を食って、ひひひ、より活性化しちまうんだから、疲労なんてしねーんだよ! もっともっとと貪欲さに拍車がかかるだけ。血の饗宴に酔って、より残酷に凄惨になっていく。
なのにどうして殺戮の手が途中で止まるのか……
そりゃ、簡単だ。食い飽きる瞬間ってのがあるからだよ。いくらうまいもんでも、不思議と飽きる瞬間ってのがある。でも、今回はそれよりも早く、正気に返っちまった。参加者達の中にいるレイチェルの姿が目に入ったから。
まずい……
まさに冷水を浴びせられたかのよう。
続いて思い出すのが、恐怖に歪んだ人々の顔、顔、顔だ。
デビルの本性が剥き出しになった自分を見せれば、人は誰も俺に近寄らなくなる。恐怖の眼差しを向けようになる。以前の俺はそれが心地良かったけれど……
そう、心地良い。人間の恐怖も痛みも、俺達にとってはまさに蜜の味……
駄目だ!
俺を好きだと、そう言ってくれたあの眼差しに恐怖の色を浮かべられたら……
なけなしの理性を総動員し、無理矢理フィニッシュだ。霧に変化させていた自分の体を実体化させれば、水を打ったような静けさである。
止めるのが遅すぎたか?
そう思ってひやりとなった……
レイチェルは? レイチェル、レイチェル……他の奴等なんかどうでもいい。
彼女を探して視線を動かせば、わっと拍手が巻き起こった。
凄い凄い、か……ほんっとどうでもいい。
「なんだ、もういいの? 君がこれっくらいで満足するなんて思わなかったよ……」
不満げなアウグストの台詞を聞き流す。集まった夜会参加者の中にレイチェルの姿を見つけ、急ぎ近付くも、やっぱりぎくりとなる。レイチェルの顔が強ばっているように見えたからだ。
「レイチェル?」
恐る恐る、ブラッドが手を伸ばして彼女の頬に触れれば、きゅっとその手を握り返される。怯えられているわけではなさそうで、ほっとしたけれど……
悲しそう?
今にも泣き出しそうで、今度はそちらが気になった。
「大丈夫ですか?」
レイチェルにそう問われて、首を捻るしかない。その台詞はこっちが言いたかった。
「怪我ならしていない。したとしても再生する」
だからヴァンパイアは首を切り落とすか、神聖力を帯びた武器で心臓をひと突きにしないと殺せない。どんな傷も治っちまうから。それくらい知っていると思っていたけれど。
「そうじゃ、なくて……」
違う?
「痛そうに見えたから……」
レイチェルの呟きに、やはり首を捻ってしまう。
「ブラッドさんの顔が……笑っているんだけれど泣いているように見えて……変ですよね? 胸が痛くて……だから、大丈夫かなって……」
ふわりと温かいのはレイチェルに抱きしめられたから。けれど、ブラッドは動けなかった。自分の心に走った衝撃をなんと表現すればいいのか分からない。
アウグストの声が割って入った。
「ブラッド、君、どうしたの?」
見ると、アウグストの奴が奇妙な顔をしている。
「なにが?」
「なにがって……泣いてる……」
言われてブラッドは初めて気が付いた。ああ、確かにそうだ……熱い滴が頬を伝っている。一つ二つと流れ落ちていた涙を、ブラッドは手の甲でぬぐった。
「君が泣くところなんて僕、初めて見たよ」
そんなアウグストの声が聞こえた。
そうか? ああ、そうかもな。俺は涙を流すほど心を揺さぶられることが殆どない。レイチェルに関する事以外では……
「レイチェル、顔を見せてくれ。君のお日様色の瞳が見たい……」
そう囁くと、レイチェルが顔を上げてくれた。金色の眼差しを目にして、ブラッドの顔がほころぶ。温かい日だまりのような瞳だ。
「君の目には、いつもなにが映っているんだろうな?」
「ブラッドさん?」
「風が気持ちいいと言っては笑い、水が冷たいと言っては笑い、太陽が温かいと言って笑う。あたりまえのことなのに、君の言葉の一つ一つが、どうしてこんなにも気になるのか……。何故だろうな? 心を揺さぶられて仕方がない。いつの日か、君の目に映っているものが俺にも見えたら、そう思うよ……」
レイチェルの唇にそっと口づけ、ブラッドが幸福感に浸る間もあらばこそ、別の耳障りな声が割って入り、それを台無しにした。
『レイチェルから離れろ! この化け物!』
ブラッドは眉をひそめた。
なんだ? 叫んだのはクリフの野郎だろうが、二重奏のように別の声が重なっている。悪霊にでもとっつかれたような声だ。
◇◇◇
黄金竜が次々細分化されていく様子に、ランドールは度肝を抜かれた。
ド、ドドドドドドラゴンが……ば、化け物か、あいつは!
ランドールは自分が四大英雄の力を過小評価していたことを知る。魔王の脅威にさらされていたあの時代は過ぎ去り、今はいたって平和である。平和すぎたのだ。だからこそ、ランドールは魔物の力自体を過小評価していたきらいがある。
彼は正しく理解していなかった。魔王の力も勇者の力もなにもかも。だからこそ、安易に葬れると考えたのだ。そして、目にした光景は、その浅はかな考えを木っ端微塵に砕くには十分で……
腕輪を回収しなければと、ランドールはそんな考えに至った。
あんなものに関わらない方がいい、そうしたほうがいい。
冷や汗をだらだら流しながら、そう考える。
勇者と四大英雄のダブル……いや、大魔法士アウグストを合わせればトリプルだ。そんなものを相手にするのは心底嫌である。せめて裏工作で兄の失脚を狙った方がいい。力業は絶対駄目だ。
だが、どうすればいい?
実を言えば、あの狂戦士の腕輪は一度はめると、取れない呪いがかかっている。強力な呪いなので、かなり力を持った奴でないと解呪できないのだが……。大魔法士アウグストの顔がふっと思い浮かぶも、ランドールは頷けない。
――へー? 狂戦士の腕輪ってさ、神殿に封印されていなかったっけ? それをわざわざ持ち出したんだ? そんな危険なものを、どうして平民なんかに与えたの?
そんなアウグストの台詞が、容易に思い浮かんでしまう。
駄目だ、あいつに頼むのだけは……
ランドールはそう思う。
にっこり笑いながら絶対あの魔法士は、こちらの所業を追求してくる。そして、逃げられない。とことんまで追い詰められるだろうということは容易に想像がついた。
「……クリフ・ハントは連れてこなくていい。彼を呼びに行った従者を呼び戻せ」
ランドールがそう指示を出し、側近が目を丸くする。
「え? いいんですか?」
「ああ」
知らんぷりしようと、ランドールは決意した。
あの小僧とは今後一切関わらない、よし、そうしよう。ははは、私はなにも知らない。あの腕輪はずっとつけていると命を削られて、最後には衰弱死が待っているんだが構うものか。知らぬ存ぜぬを押し通せばいい。
ランドールはそう考え、手にしたワインを口にする。
『レイチェルから離れろ! この化け物!』
そんな不気味な声に、ランドールは目を見張り、腕輪を身に着けたクリフの変質を目にして、ランドールは阿呆と心の中で呟く。狂戦士となったクリフは、体が倍以上に膨れ上がり、鬼人に匹敵する力を手に入れていた。
あれほど待ち望んだ覚醒だったが、ランドールの目は半眼だ。今ではちっとも嬉しくない。黄金竜をあれだけあっさり葬れる者が相手では、到底相手にならないと簡単に予測できるからだ。
とりあえず……腕輪の出所を探られる前に、葬られてしまえとランドールは心の中で罵った。
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