第13話 復活と再会と

 そこへ、レイチェルが言い添えた。


「いえ、大丈夫です。女神エイル様のご加護がありますから」

「ご加護?」

「ええ、そうです。ブラッドさん、聞いてください。吸血可能になった時点で、今感じている飢えは、一日限定ですが、一端感じなくなるそうです。その、人の命を奪うことがないようにとの、女神エイル様のご配慮ですから、心配いりません」

「……女神が俺の飢餓感を抑えるってことか?」

「ええ、はい」


 空腹を感じないように……なんだよそれ……

 ブラッドは頭をかきむしりそうになった。

 そんな真似が出来るのなら、俺に施した祝福が何故吐き気? 空腹を感じなければ、ここまで苦しまなかったのでは? え? 虐めか? 嫌がらせか? レイチェルの血を口に出来るという幸福感がなければ、そこいらを破壊して回っているところだぞ、こんのくそ女神ぃいいいい!

 はーはーと、ブラッドは深呼吸を繰り返す。

 落ち着け、落ち着け……じゃないと、レイチェルが怖がる……


「血をもらえるか?」

「ええ、はい、喜んで」


 レイチェルがふわりと笑う。

 喜んで……頼む、無自覚に煽らないでくれ……

 ブラッドがレイチェルの首筋にそっと顔を近づけると、エイミーが覗き込んできた。


「痛くない?」


 ああ、レイチェルが心配なのか?


「痛いどころか気持ちいい」

「……は?」


 エイミーが間抜けな声を出す。


「痛くねーってことだよ。ヴァンパイア・キスは相手を酔わせる効果があんの。獲物をがっちり掴んで逃がさないようにするためにな。だから、安易にヴァンパイアに血をやろうなんてするなよ? もし、ヴァンパイアが殺す気で吸血しても、逃げられないからな? 性的快感を限界まで引き上げられて、抵抗する意志を根こそぎ奪われる。よっぽど意志力が強くないとそのままお亡くなりだ」

「ちょ、ちょちょちょっとぉ!」

「ああ、大丈夫だ。俺がレイチェルを殺すわけねーだろ?」


 うっとうしいから下がれ。

 ブラッドが目から催眠派を放ち、エイミーがその場にぺたんと座り込む。それとほぼ同時に、ブラッドはレイチェルの白い首筋に噛み付いていた。


 びくんとレイチェルの体が強ばり、彼女の口から漏れたのは熱い吐息。ブラッドの心が喜びに震える。君との触れ合いは甘く、そして苦い……。手に入りそうで手に入らないから。好きだという一言を聞けるのはいつなのか……


 甘く芳醇な血の香りが鼻孔をくすぐった。こくりと熱い血が喉を通過すると、パリンと体の中の縛りが砕ける感触があった。激しい飢餓感がすうっと収まり、いつも感じる吐き気が襲うこともない。ブラッドの口角が上がった。

 ふ……ふふ、ああ、そうだ、これだよ、これ……うまい……

 じっくりと舌先で蕩けるような血を味わう。


「ん……あふ……」


 つっとレイチェルの首筋を舐めれば、びくんと彼女の体が跳ねる。

 ブラッドの赤い目が細まった。

 ヴァンパイア・キスは媚薬と同じだ。強烈な性的快感を与えるから、これを利用して相手を虜にすることも出来る。麻薬のように絡め取って、自分を求めさせればいい。繰り返し繰り返し、吸血を可能にするヴァンパイアのもう一つの牙だ。


 けれど、君にそれをやろうとは思わない。自分の意志で、俺を選んで欲しいから。与えるのはほんの少しの快楽……レイチェル、レイチェル、愛している。



◇◇◇



 これ、は……

 眼前の光景にジョージアナは目を見張った。

 ブラッドの姿が、どんどん変容していくからだ。身にまとう闇の気配が濃くなると同時に、背に蝙蝠の翼が生え、歪曲した角が出現し、顔の左半分と両腕に魔文様が現れる。どう見ても高位デビルの様相を呈している。


 体に魔文様が表れるのは強者の印。そして、体に浮き出る魔文様の範囲が広ければ広いほど、力が強い証拠だ。デビルの最高峰である金色の魔王には、もちろんこれが全身にある。

 ブラッドの場合、現れた魔文様は顔の左半分と両腕だが……


 ジョージアナは変容したブラッドを凝視し、ふと思う。服で隠れて見えないが……これがもっと広範囲だったらと、そんな想像に悪寒が走った。まさか、魔王直属の部下である四天王より上位なんて言わないだろうな?

 大人しいふりをしているだけだと思ったが、ここまでとは思わなかった。予想以上の実態にジョージアナは目眩がしそうだった。



◇◇◇



「なんだよ、これは……」


 クリフの呟きをセイラはぼんやりと聞き流す。ブラッドの容姿に目を奪われていたからだ。カラカラに乾いた大地が水を吸って蘇るように、その変化は凄まじい。

 死人のようだった彼の容姿が、今や美貌のヴァンパイアだ。

 まさに魔性の美しさである。


 ブラッドの青白かった肌が透けるように白く美しく変容し、落ちくぼんでいた目は、妖しい魅力を湛えた魔性の眼差しとなっている。闇色の髪は艶を帯びて輝き、赤い唇はキスをねだってしまいそうなほど蠱惑的だ。それはまさに、セイラが心奪われたあの肖像画その人であった……


 まさか、彼が?

 セイラはこくりと生唾を飲み込んだ。

 魔王討伐に参加したヴァンパイアだったの?

 うそうそうそ……


 セイラには前世の記憶があった。

 生まれも育ちも平凡な日本人女性で、恋愛ゲームも恋愛小説も大好きだったけれど、現実の恋愛は中々上手くいかず、痴情のもつれで死んだ。恋敵と言い争いになり、足を滑らせて階段から落ちたのだ。

 こんなのってあんまりよ。神様なんていない、そう思ったけれど……


 次に生まれたのは貴族の娘で、とんでもない美少女である。たくさんの侍女が傅き、お嬢様お嬢様と傅いてくれる。十才で前世の自分を思い出してからは、鏡の中の自分の姿に何度見とれたか分からない。これなら、どんな男でも虜に出来ると思った。


 絶対自分好みの男と結婚するわ!

 セイラはそう決意して、気合いを入れてお洒落をした。


 十二歳で聖女候補として神殿に入ったとき、大神殿に奉納された四大英雄の肖像画を見て、ここが自分の好きだった乙女ゲームの世界だと理解し、本当に驚いた。肖像画に描かれた四大英雄は乙女ゲームのキャラ達にそっくりである。ただし、ゲームは二百年も前に終了してしまっていて、その部分はがっかりしたけれど……


 そう、魔王討伐は今から二百年も前の出来事だ。

 セイラが知っているのは、主人公の大聖女ドリアーヌが、仲間と力を合わせて魔王を討伐するゲームである。恋愛対象となるキャラ達が魅力的で、大人気だったゲームだ。


 登場する主要人物は、もちろん高名な四大英雄達である。

 主人公の大聖女ドリアーヌ、勇者バスチアン、大魔法士アウグスト、そして美貌のヴァンパイア、ブラッド・フォークスだ。クリフと瓜二つの勇者バスチアンは、もちろん大好きだったけれど、セイラが一番夢中になったのは、美しきヴァンパイア、ブラッド・フォークスである。


 ああ、こんな人と結婚出来たらな、セイラは何度そう思っただろう。

 だからこそ、大好きなゲームキャラの一人、勇者バスチアンにそっくりなクリフとの出会いは衝撃的だった。自分の美貌なら絶対落とせると思い、猛アタックしたのである。クリフに婚約者がいると知っても、セイラは気にしなかった。

 奪えばいい。だってこれは美しい女の特権よ。そう考え、ほくそ笑む。


 本当は、大好きだったブラッドを手に入れたかったけれど、ゲームが終了している以上、どうしようもない。勇者も素敵だからと、セイラは彼で妥協した。まさか憧れていたブラッド・フォークスが目の前に現れるなんて、思ってもいなかったから。

 セイラはブラッドの腕にかき抱かれているレイチェルをきっと睨み付けた。


 ――お似合いですよ、お幸せに。


 セイラはかつて口にした自分の言葉に臍をかむ。

 いいえ、似合ってなんかいるものですか! あんな田舎くさい娘には不似合いよ! 彼は渡さない、絶対渡さないんだから!

 そうよ、奪えばいい。クリフの時と同じように。美しい女の特権だもの。



◇◇◇



 レイチェルはくたりと力の抜けた自分を抱え上げた青年を見上げた。ぼんやりとした視界に映る姿に、何故か胸が詰まる。懐かしく感じるのは何故なのか……

 漆黒の髪に赤く輝く瞳。女性のように柔らかい整った顔に浮かぶ微笑みが眩しくて、泣いてしまいそうになる。会いたかった、そう言いそうになるほどに……。どうして?


「ブラッド……さん?」


 そうだよ、優しい声がそう告げたような気がしたけれど、自分を見下ろす赤く輝く瞳が「眠れ」とそう命じたような気がして、レイチェルはふっとそこで意識が途絶えた。

 ゆっくりお休み……

 そんな優しい囁きが、レイチェルの鼓膜を震わせる。



◇◇◇



「イライアス!」


 レイチェルを抱えたブラッドが呼びかければ、虚空に描き出した魔法陣から、鬼人のイライアスがぬうっと姿を現す。強制召喚だった。


「ブラッド様、お呼びですか?」

「ひょえ!」


 緑の巨体を目にしたエイミーが奇声を上げた。


「レイチェルを守れ」

「御意」


 イライアスにレイチェルを託し、ブラッドが翼を大きく広げると、大惨事を予想したか、ジョージアナが声を荒げた。


「待て、ブラッド! どこへ行くんだ?」


 眼下に見える女剣士ジョージアナに、ブラッドにぃっと笑いかけた。


「食事だ。まだまだ足りないんでね」


 そう、まだ足りない。血を欲する声が体中を駆け巡っている。


「ま、まさか人間を……」


 するわけがない。レイチェルに嫌われちまう。


「魔獣狩りだよ」


 そう短く告げ、ブラッドはあっという間に飛び去った。


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