第8話 一騒動の後は家族団らん

 レイチェルは心底腹を立てていた。


「謝って下さい! ブラッドさんは十一年間、村の守護者でした! 今まで村が平和だったのも、ブラッドさんが村を巡回してくれていたからです! 魔物の群れが村を襲う前に、追い払ってくれていたからです! なんにもなかったんじゃありません! なんにも起こらないようにして下さっていました! 村長さんも聖神官様もご存じよ! 謝って!」


 村の者達の視線がブラッドに集まった。


「え……」

「本当か?」


 ブラッドが面倒臭そうに答えた。


「定期的に俺の血の匂いをつけておくと、下級魔獣くらいは追い払えるんだ」


 そこで村人達ははっとなる。


「あ、じゃあ……お前が定期的に村をうろうろしていたのは……」

「マーキング?」

「マーキング言うな。犬のしょんべんみたいだ」


 ブラッドの眉間に皺が寄る。まぁ、意味は似たようなもんだが、とブラッドが思ったが言わない。聖職者の服を身に着けたレイチェルが詰め寄れば、セイラはその神々しい姿に気圧された。


「で、でも、彼はヴァンパイア……」


 セイラが反論しようとするも、レイチェルが遮った。


「ええ、ヴァンパイアです! 知っていますよ、そんなこと。彼とは十一年間、ご近所さんでしたから! ブラッドさんは毎朝みんなにおはようって挨拶してくれます! 教会でバザーを開くと、必ず来て下さいます! 村のお掃除も手伝ってくれます! 教会の修繕も! 誰もが面倒くさがることを彼は進んでやってくれます! 村のお年寄りに人気があるのはそのせいです!」


 セイラはぽかんとし、次いで嘲笑った。


「あ、はは、うそうそうそ、何それ? お人好しのヴァンパイア? 笑えるわ! マジ受けるぅ」


 一方、クリフは顔色を変えた。


「お、お前まで……何でだよ? お前は俺を好きだったろ? そんなにそいつがいいか? そいつはおべっかを使っただけだ。お前に気があるみたいだから……」

「おべっかでもなんでも! あれだけのことをして下されば、感謝しかありません!」

「もう心変わりか! 尻軽だぞ!」

「クリフに言われたくないわ!」


 レイチェルは声を荒げた。


「夏祭りにはあなたが村に帰ってくるって、ご両親から聞かされて! 私、私精一杯お洒落して、あなたが帰ってくるのを待ってたのよ? 喜んでもらいたくて! その私の気持ちを踏みにじったじゃない!」


 じわりとレイチェルの目元に涙が浮かぶ。

 綺麗になったねって言ってもらいたくて……

 大好きだよって言葉を期待して……

 思い出のマーガレットのブローチまでつけていったのに、それにも無反応……

 レイチェルはぎゅっと杖を持つ手に力を込めた。


「結婚の話を無かったことにしてって言われた時の私の気持ちが、クリフに分かるの? 嬉しそうに他の女の人の肩を抱いて! それでも! それでも、私は許したわ! あなたが好きだったから! 幸せになって欲しかったから! なのに、なのにどうして、私を責めるのよ! クリフは本当に私が好きだったの?」


 珍しいレイチェルの猛攻に、クリフはタジタジだ。普段のレイチェルは口数少なく大人しい。溌剌としたエイミーのせいで、よけいにそう見えてしまうのかもしれないけれど。


「いや、だって……」

「ブラッドさんは良い人よ! なんの証拠もなく、村を襲わせたなんて、軽々しく口にしないで! 彼が今までどれだけ村に貢献してくれていたか、知りもしないで酷いわ! 言いがかりもいいところよ! 彼に謝って!」


 まるで毛を逆立てた猫のよう……

 そこに割って入ったのがセイラだ。あははと心底おかしそうである。


「あはは、ああ、もう、いいわ、クリフ。もう、止めましょう? ここは彼女の気持ちを汲んであげましょうよ。確かに証拠はないんだし、あのヴァンパイアが来てくれて、みんなが助かったことには間違いないでしょう?」

「でも……」

「あなたに振られて、彼女はきっと寂しいのよ。だから、ね?」


 不満げなクリフの手に、セイラはそっと自分の手を重ね、熱っぽく囁く。私達だけ幸せになるなんて、気が引けるわ。そうじゃない? と……


「あ、ああ、そうだ、な……」


 クリフがのろのろと言う。不承不承、そんな感じだったが、悪かった、クリフはそう言って引き下がった。セイラが笑う。


「私からも謝るわ、レイチェル。本当にごめんなさい。クリフの事を許してあげて? クリフは友人として、あなたを心配したんだと思うの。それだけよ、他意はないわ? あなた達の仲を邪魔するつもりなんてまったくないから、安心して?」


 友人として……

 レイチェルはきゅっと唇を噛みしめた。

 クリフはあなたを愛しているわけじゃないわ、勘違いしないで? そんな風に言われたかのよう。わざわざ言葉にしなくても、十分、今の彼の態度に表れていると思うのに、どこまで彼女はこちらを牽制したら気が済むのだろう?

 気落ちするレイチェルの前に出たのは、ブラッドだった。


「許してあげて、なんて、お前が言う台詞じゃねぇよ。この寝取り女が。レイチェルに話しかけるな。お前の性根の悪さがうつる」


 セイラがいきり立った。


「な……なんて言い草なのよ! この不細工! せっかく庇ってあげたのに!」

「その言い方もどうかと思いますが……」


 進み出たのはレイチェルの父親のベンである。ふっくらとした丸顔の中年男性だ。事情を知っているだけにその表情は険しい。セイラにもクリフにも向ける目は冷ややかだ。


「フォークスさんは村の大事な守護者です。彼を侮辱する言葉は慎んでいただきたい。あなたもたった今助けられたばかりではないですか。そして私の娘にも世話になった。違いますか?」


 ベンにそう諭され、セイラは面白くなさげだ。


「では、失礼させていただきます。クリフ君とどうぞお幸せに?」


 嫌みたっぷりにベンはそう口にし、背を向ける。


「レイチェル、ほら、帰ろう、疲れたろ?」

「いいえ、パパ、平気……きゃ?」


 最後が悲鳴になったのは、ブラッドがレイチェルを抱き上げたからだ。そのまま歩き出したブラッドの背を、エイミーが追う。


「ちょ、ちょっと、あんた、なにレイチェルをお姫様抱っこしてるのよ?」


 くいくいエイミーがブラッドの服を引っ張ったが、彼は素知らぬふりだ。


「疲れてるかと思って……」


 ブラッドがしれっとそう口にし、エイミーがあんぐり口を開けた。


「って、あんた、そのまんまレイチェルを家まで送るつもりなの?」

「いえ、あの、大丈夫よ、ブラッドさん。私、歩けます、から……」


 降ろしてと、レイチェルがそう口にするも、完全に無視されてしまう。その上、何故か猫獣人のニーナと女剣士のジョージアナまでもがついてきた。


「あちしもレイチェルと一緒に行くにゃー!」

「ちょ、待て、ニーナ!」

「あ、ねーちゃん、待ってよー。俺も帰る」


 慌てて追いかけたのは、レイチェルの弟のチャドである。十歳のやんちゃ盛りだ。横手に並んだレイチェルの父親が笑った。


「いやぁ、フォークスさん、改めてお礼をいいます。助けて下さってどうもありがとう」


 つやつやの丸顔には、人の良さがそのままにじみ出ている。


「ええ、貴方が来て下さって本当に助かりましたわ」


 ほほほとレイチェルの母親が笑う。こちらはほっそりとした美人である。



◇◇◇



 ブラッドはレイチェルの家族を見て、目を細めた。なんとも懐かしい顔ぶれだ。運命の女神も粋なことをする。そう思った。全員、前世でのレイチェルの家族である。


 十六歳の彼女の死を全員が悲しんだからか? もう一度会えるように、取り計らったのかも……。俺には神を敬うなんて気持ちはこれっぽっちもないけど、こういうところだけは、すげぇなと思う。俺だったらやらない。自分の興味のあること以外は全部蚊帳の外だから。生まれ変わったレイチェルに出会って彼女の家族と会うまで、こいつらの事なんてすっぱり忘れてた。


 で、今世のレイチェルの家族を見て、内心のけぞったか。

 家族ぐるみで転生しやがったと……

 ほんと、運命の女神は優しいんだか鬼畜なんだかわかんねぇな……


 そして本日。レイチェルの家に辿り着き、彼女をソファに降ろしたブラッドは、その場でばたんと倒れた。空腹で……

 あのくそ女神一発殴らせろぉおおおおお! いつまでこの断食続くんだ!

 そんな絶叫が、彼の心の中で木霊した。


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