第6話 訳の分からない会話

 翌日、レイチェルは二日酔いになった。

 頭が痛いわ……


「フォークスさんがレイチェルを家まで送ってくれたんだ。びっくりしたよ」


 ガンガン頭が痛む中、昨夜の状況を父親から聞かされ、レイチェルはさらに立つ瀬がない。酔っ払って寝てしまった自分を、彼が家まで運んでくれたらしい。重かっただろうにと、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「やあ、こんにちは」


 お昼頃、いつも通りパンを買いに来たブラッドは、何故かやたらと機嫌が良かったが、レイチェルは羞恥心と申し訳なさから急ぎ謝った。ぺこぺこと何度も頭を下げる。


「あ、あの! 昨夜は申し訳ありませんでした! ご迷惑をおかけしまして!」

「いや、迷惑どころか、君の寝顔が可愛くて眼福だった」


 ブラッドの返答に、レイチェルの顔がきゅうっと赤くなった。すやすや寝ていた自分を観察されていたようで、あうあうあうと言葉が出ない。慌てて話題を変えた。


「あのあのあの! こちら、焼きたてですよ? 如何ですか?」

「ん? ああ、じゃ、それをもらおうかな?」


 支払いを済ませ、帰りかけたブラッドを、レイチェルが呼び止める。


「あの、ブラッドさん? 返事……なるべく早くしますね? 長く待たせるのは失礼だから……」


 ブラッドがうっすらと笑う。


「いや、ゆっくりでいいよ。君にとって俺は、長い間ずっと良いお兄さんだったみたいだし? 急に気持ちを切り替えるのは難しいだろ? ゆっくり焦らずに、な?」

「は、はい」


 ブラッドの背を見送ってから幾ばくも立たないうちに、入れ替わるようにしてカラコロンと客が入ってくる鈴の音が響き、レイチェルが笑顔で扉に向き直る。


「あ、いらっしゃ……」


 やってきた客を目にしたレイチェルの顔が強ばった。店に入ってきたのはなんと、従者を連れた男爵令嬢のセイラだったのだ。ブルーの洒落たドレスを身に着けていて、艶のある長い黒髪はエメラルドの髪留めで飾られている。


「へぇ? 流石田舎ね。みすぼらしい店だわ」


 セイラは店の内部をじろじろ見回し、難癖をつけて回る。

 いきなりこれである。一体何をしにきたのか……


「あのう?」


 くるりとセイラが振り向いた。


「ねぇ、あんたも転生者?」


 いきなりの詰問だ。が、レイチェルは訝しく思う。

 また、転生者……

 夏祭りの時、ブラッドとセイラの会話からそんな単語を拾ったけれど、まったく理解出来ない。レイチェルがおずおずと聞いた。


「あのう、その、転生者ってどういう意味でしょう?」

「日本って国、あんた知ってる?」


 レイチェルはふるふる首を横に振る。そんな国名は聞いた事がない。


「違う、か……あのヴァンパイアが、おかしな事言うから、てっきり。私があんたの同級生って、どういう意味よ?」


 同級生……確かに訳が分からないわ。セイラさんとは初対面、よね?

 セイラの愛らしい顔をまじまじと見てしまう。


「ま、いいわ。違うなら違うで、その方が都合がいいもの。とにかく! クリフには近付かないでって言いに来たの。邪魔されたくないから」


 わざわざ?


「ちゃんと身の程弁えて貰わないと困るのよ。勇者であるクリフが選んだのは私であってあんたじゃないの。いいわね? 復縁なんか迫ったら承知しないから」


 勇者?


「あのう、勇者って?」


 意味が分からずレイチェルが尋ねると、セイラが小馬鹿にしたように笑う。


「あら、知らないの? クリフは二百年前に魔王討伐を果たした勇者の姿にそっくりなの。生まれ変わりじゃないかって騒がれるくらいにね。その彼に選ばれた私は、大聖女の生まれ変わりなんじゃないかって皆にとっても羨ましがられてるわ」


 うっとりと夢見る眼差しだ。


「そう、なんですか?」


 現実離れした話にレイチェルが戸惑うと、セイラはそれが気に入らなかったようだ。


「なによ、反応が鈍いわね。あんた、勇者を知らないなんてことはないわよね?」

「もちろん知っています。二百年前に魔王討伐を果たした四大英雄の話は有名ですから。勇者バスチアン、大聖女ドリアーヌ、大魔法士アウグスト、そして……」


 ふとレイチェルの言葉が止まる。

 あら? 彼はブラッドさんと名前が一緒だわ。

 セイラが得意げに後を継いだ。


「ふふっ、そうよ。最後の一人はブラッド・フォークスっていう美貌のヴァンパイアよ! 素敵よねぇ、彼。勇者バスチアンも素敵だけど、本当は私、ゲームの中じゃ彼が一番好きだったのよ。徹底的にやりこんで、スチルも全部集めたの。私、彼の大ファンなの」


 セイラがうっとりとした眼差しを虚空に向け、レイチェルは困惑しきりだ。

 ゲーム? スチル? 彼女の言っていることが本当に分からない。


「とにかく、そういうことだから、クリフには今後一切近付かないでちょうだい? いいわね?」


 そう言い捨てて、セイラは身を翻しかけるも、ふと気が付いたように足を止めた。


「そのブローチ……」

「え? ああ、父のお土産です」


 セイラが訝しげな目を向けたのは、例のマーガレットのブローチだ。


「へー……あ、なんか、やな事思い出したわ」


 セイラの眉間に皺が寄る。


「高一の時、結衣っていう心臓の悪い子が同じクラスにいたんだけどさー……。ほんのちょこっと動いただけで、息切れすんの。ほんと、うっとうしかったから虐めてやったんだけどー……あの子が大事にしていたブローチがそれとよく似ていて、なんかやな感じ。なんで私がゴミ収集箱に放り込まれなくちゃならないのよ」

「ゴミ収集箱?」

「彼女にひっついていたサングラスの男が……ああ、なんでもないわ。そうそう、あのヴァンパイアはあんたとお似合いよ? ほんっと、あんたには、お、に、あ、い。くっついたらどう?」


 セイラはにんまりと笑ってそう告げ、意気揚々と外へ出て行った。

 余計なお世話よと、レイチェルはぽつりと漏らす。

 二人の仲を邪魔する気はないけれど、お幸せにと確かにそう言ったけれど……

 店にわざわざ来てまで釘を刺すあたり、すまなそうにしていたのは演技だったのだと分かって、気分は良くない。セイラは男爵家のご令嬢で、確かに自分より格上なのだけれど、クリフ、趣味悪いわ、流石のレイチェルもこの時ばかりはそう思った。




「なぁに! レイチェルってば、そんなこと言われたの? むかつくぅ!」


 夏祭りの翌日、男爵令嬢のセイラが店にまでやって来たことを聞き、憤慨したのは親友のエイミーだ。今いる場所はレイチェルの部屋である。夏祭りの騒動から既に一週間が経っていて、クリフと男爵令嬢との仲は、今では結構な噂になっていた。夏祭りでクリフが散々セイラとの仲を自慢したせいとも言える。


「あーあ……ブラッドがもうちょっと良い男だったらなぁ……。クリフに二人の仲を見せつけてやれば、いい意趣返しになるのに」


 エイミーがそんなことを口にし、苦笑してしまう。


「あら、ブラッドさんはとっても強いし、優しいわ?」


 いい男の部類に入ると思うとレイチェルが言えば、エイミーは不満げだ。


「見た目も重要よ、もう。とくにこういう場合はね」


 見た目……もう慣れっこだから平気、と言ったところでエイミーは納得しそうにない。


「ブラッドさんは目がとっても綺麗よ?」

「目? うーん……血みたいで不気味かなぁ」


 そうかしら? 自分は好きだけれど……

 クッキーを一口かじり、レイチェルは外の騒ぎに気が付いた。窓から外を見ると、村人が集まっているようである。


「レイチェル! お願い! 助けて!」


 窓から顔を出したレイチェルに気が付いた村人の一人が言う。話を聞けばグールが村のあちこちで大量発生したらしい。レイチェルは驚いた。

 聖神官様がいらっしゃらない、こんな時に!

 そう、今丁度、聖神官が王都に帰っていて、不在である。


「教会へ行きましょう!」


 緊急事態になれば、皆教会に避難する。レイチェルは急ぎ神聖服に着替え、聖神官から借りている杖を手に取った。そう、実力はあってもまだ聖女候補なので、あくまで借り物である。


「さぁ! 皆さん! ついてきてくださぁい!」


 レイチェルが手にした杖がひときわ大きく輝けば、その光に押しのけられて、グールが道を空ける。一筋の道が出来、レイチェルが歩き出せば、その後に知らせに走った村人達が続く。


「酒場の女将さんがフォークスを呼びに行っているから、それまで頑張って」

「はい、大丈夫です! 任せて下さい!」


 教会に辿り着けば、その周囲を徘徊していたグール達が、レイチェルの神聖魔法に押しのけられ、やはり道を開けた。中へ入れば、殆どの村人が集まっている。


「結界を張りますから! もうちょっと辛抱して下さい!」


 窓硝子を割って入ってこようとするグールを突き刺し、殴ってなんとか押し戻しているけれど、限界らしい。村の男達が悲鳴を上げていた。

 レイチェルの神聖力に反応し、杖が眩く輝く。

 すると、床に触れている杖の先から、するすると光の筋が走るように、神聖語を綴った魔法陣が描き出されていく。ふわりとレイチェルの白金の髪が波打った。


『女神エイル様、降り給え、守り給え、我に助力を……』


 巨大魔法陣が完成すると同時に、レイチェルの可憐な声が響き渡った。


『神聖結界発動!』


 どんっと描き出された魔法陣をレイチェルが杖でつくと、魔法陣が眩い光を放った。それが教会全体をすっぽりと多い、群がっていたグール達が弾き飛ばされ、近付くことかなわない。静寂が教会内に戻れば、わっと歓声だ。


「おい、あれ、見ろ!」


 村人の一人が窓の外を指し示す。


「フォークスか?」

「いや、違う。夏祭りを見物に来た冒険者二人だ。グールを退治してくれてる!」


 見ると確かに、例の大柄な女剣士が大剣を軽々振り回し、グールの頭をかち割っていた。豪腕のジョージアナとはよく言ったものだと思う。もの凄い怪力である。

 疾風のニーナはやはり風使いだ。にゃんにゃんと飛び回りながら、グール達を切り刻んでいる。風の刃で切り刻まれてなお、しつこくうごめくグールのトドメは、やはり豪腕のジョージアナの役目らしい。頭部を真っ二つだ。


「凄いな……」

「ああ、あ! おい、あれ見ろ!」


 赤い煌めきが走り、グール化した遺体が次々力を失って倒れていくのが見える。


「フォークス、か?」

「多分……あいつの場合って、ほら、体を霧に変えるだろ? 攻撃している姿が見えないんだよな。 闇に溶け込むっていうか……時々フォークスの使う武器が見えるだけで」

「ブラッディ・クロー?」

「そうそう、こう、拳から血の色みたいな赤いかぎ爪が飛び出て、おっかないけど格好良い」


 わいわい言い合う若者達の会話を聞きつけたクリフが声を荒げた。


「あんなやつのどこが格好良いんだよ! 死人みたいで不気味だぞ!」


 友人達の賞賛を耳にし、クリフは腹を立てたらしい。ブラッドに無理矢理踊らされたお陰で、肉離れを起こし、グール退治に参加出来ずふてくされていた。


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